七章 ロマンス
sixty-three
「迎えに来てくれる時と……! 迎えに来てくれない時の……! 違いはなに!?」
「贅沢言ったらだめです。お城から使いを送ってくれるなんて、一生に一回あるだけとんでもないことですよ」
エイミーはそう言うが、疲労は隠し切れていない。えっちらおっちら細い脚を運んで、坂道を上がっていた。ここ最近は気温も高くなってきていた。湿度が日本ほどじゃないから過ごしやすいけど、今日みたいな晴天の青空の下ではそれなりに堪える。
朝に、船に乗って姫の領へと戻ってきた。船を降りたあとは、そのまま城を目指している。休息は竜巣で十分取ったし、報告が遅れればローゼにどんな小言を言われるか分からないから、とにかく先を急ぐことにしていた。イルさんの名前を出して虎の威を借るのも、姫の前じゃ無理だ。なにしろこの件で報告が遅れるのもそんなに良いことではないだろうし、姫もたぶん私を待っているだろう。どんな表情で待っているか、少し楽しみだった。
しばらく時間をかけて、坂を登り切る。すでに見慣れた白亜の城がそこにはあった。膝に手を置いてため息をついた途端、不意に知らない声が私を呼び止める。
「斎藤菜月」
若々しい女の声だった。声のした前方を見やると、暗い外套を身に付けた背の低い女の子がいる。クライネかと思ったが、よく見たらまるで知らない人だった。私は首を傾げて、その人を見る。
「……はい、斎藤菜月ですが」
私が言うと、少女は外套を引きずりながら、ペンギンみたいに駆け寄って来て、突然私を抱きとめた。
「会いたかった!」
困惑して何も言えなくなった私に、エイミーがおどおどとした声を掛ける。
「菜月さん、この方は……?」
少女は私に抱きついたまま、エイミーを見る。
「あなたはエイミー・アイ・ケイシー」
「え、あ、はい」
なんかの依頼で知った人か、あるいは辺境伯の屋敷で助けた奴隷かと記憶を探ったが、ぴんとくる顔はない。おそらく本当に初対面だった。見上げた上目遣いがじっと私の瞳を見る。暗い色をした瞳だった。歳下に見えるけど、そこまで離れてはない。まるで知らない子だ。でもどこか見覚えのあったのは、たぶんこの女の子の髪が、黒くてショートのボブだったからだろう。あっちの世界じゃみんなこの髪型をしていた。
「想像していたより、ずっとかわいい! あ~、魔女っていうからもう少し大人っぽい人想像してたけど、お人形さんみたい! 肌真っ白じゃん、太陽浴びてる? 太もも触ってもいい?」
「う、うお……」
け、気圧される……。
「あ、あの!」
エイミーが声を上げた。ナイス! その調子でなんとかして!
「エイミーさん、ちょっと静かに!」
「えっ!」
だめだ、負けた! エイミーはあまり人見知りするタイプではないけどこの勢いに勝てる子でもなかった。
私がなんとかしなきゃだめだ。頭の中には、「馴れ馴れしい」と「後輩」という言葉が同時に浮かんでいた。なんだかよく分からないが、高校というコミュニティには、まるで関わりがなかったのにある日突然馴れ馴れしくしてくる後輩というのが存在するのだ。「先輩」というのは後輩たちのなかで勝手に神格化されて、勝手に仲良くなった気になられるということがままある。その現象に似ていた。
「あ、あー……、ねえ、どうしたの? 急に抱き着かれたらびっくりしちゃう」
私は彼女の肩を優しく持って、自然に抱きつくのを止めさせた。肩を掴んだまま、首を傾げて目を覗き込む。
「本当に私がその斎藤菜月かなんてまだ分からないんじゃない?」
「ううん、それは分かるよ。変な服きて杖を持ってるって聞いてたから。あ、ほら、私も杖作ってもらったんです。こんなの初級の時代にしか使わなかったけど、あなたが持ってるから。真似してる人、少しずつ増えてるんだよ」
少女は自前の杖を私の前に掲げて、無邪気に頬を綻ばせた。
「ああそっか、それで分かったんだね。あなたの名前は?」
少女は問われて、不意に姿勢を正す。外套の裾をはたはたと叩いて、咳払いをする。
「リタ。リタ・ジクシー。菜月ちゃん、あなたのことずっと探してたんです。なぜ探してたかというと、旅の仲間に入れて欲しかったから。なんで入れて欲しかったかというと、憧れだから」
私は自分の髪を指で梳いて、それで俯いた。青空の日差しが頭部に当たっているのを感じる。
「あー、憧れね。なんか記事とか読んだんでしょ」
「ええ」
「でもあの記事、嘘ばっかだよ」
彼女の瞳を見返すと、少し微笑んだまま、笑って答えた。
「知ってます」
「え?」
「知ってますよ。検証しました。流行ったあれは実に大げさでプロパガンダ的な記事でしたね」
当惑する。勢いばかりかと思ったが、そうでもないのか。検証といってなにをしたのかは分からないが、大げさでプロパガンダ的だというのは、あの記事の評価として正しいはずだった。
「だから、私はそこらへんの大衆とは違って、等身大の菜月ちゃんを見つけにきたの。それでも予想よりずっと女の子だったけど」
「どうして今日ここに来るって分かったの?」
「それは分かってませんよ。でも王国の皇女と繋がりがあるのは知ってたから、待ってた。いつかなにか用事があって来るだろうと思って。探してあちこち行くより、合理的でしょ?」
「待ってたの?」
「うん。何度か憲兵に怒られたけど。姫さまに話を聞いて欲しいんですーって言ってれば、馬鹿な領民だと思われて、無碍に追い返されることもない」
彼女のその行動と、話す時の手振りがおもしろくて少し笑った。けれどやはり、単なる馴れ馴れしい後輩にしておくには、やたら思考が据わっているとも思った。とはいえ、そこまでの熱意を持たれて接されても困るのが事実だ。だからといってごめんなさい無理ですと今ここで追い返すわけにもいかない。けれども私は割と先を急いでいるのである。
「お察しの通り、これから姫に用事があって、なるたけ早く行かなきゃいけないの」
リタと名乗った少女は素直に頷き、ボブの毛先を揺らした。
「だから、どこかで待っててくれる?」
「あー、うーん……待つのはいいですけど、逃げちゃったら困ります。せめてお話、聞いて欲しい」
「逃げないって。約束するから。ほら、じゃあ杖、預けとくから。保険」
「保険ならもっと大事なものじゃないと困ります。……うーん、そしたら、分かりました。エイミーさんを借りていきます」
「へ?」
「人質で。城下にいい喫茶店があるの知ってるんです、連れて行きますよ! 菜月ちゃん、城下に『二輪車』って名前のカフェがあるので、終わったらそこ、探しに来てくださいね」
リタはそう言うと、エイミーの腕を引っ掴んで、有無を言わさず走り去って行った。突然のことに目が回ってエイミーはまるで反応できず、されるがまま連れて行かれてしまった。私は城の前にぽつんと取り残され、エイミーに伸ばした腕が中途半端に浮いていた。
……追い掛けたって押し問答だろうか。エイミーに危害を加えたいわけではなさそうだったし、ちゃんと場所まで指定してくれた。『二輪車』という意図の分からない店名のカフェは、行く途中でなんとなく目を引いたので覚えている。大通りで人も多いし、なにか変なことをされることもないだろう。姫への報告をさっさと済ませて、エイミーを救いに行こう。そう考えて、私は城への一歩を踏み出した。
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