fifteen
ようやくその暑さに慣れた頃に、夏は秋めいて、ようやくその寒さに慣れた頃に、冬は春めく。枯れの色が馴染んだ頃には散るし、健康な少女の頬の色を愛おしく思う頃には、すでにその先には青空しかない。
花の色の空の下で佇んで、道路の脇で排気ガスを吸い込む。眩しさを避けるみたいに路地裏に逃げ込むと、思う以上のじめりけと埃っぽさに嫌気が差す。何をするよりも何をする。何かするくらいなら何もしない。そういうことを常に繰り返し続けて、なぜか摩耗していく精神の、擦り切れた粉末が絵の具にもならないで風に飛ばされて消えていくのを、そして伽藍堂の部屋だけが、子供の頃夏に遊んだ神社のような山奥に残されているのを、それを、いたくみすぼらしく思う。
・・・・・
そろそろスライムも減る時期だから、ということで、農家の男性と一応は最後の仕事を終えた。エイミーとのスライム退治は、三食のご飯とそこそこの贅沢と宿を提供してくれるくらいには稼がせてはくれたが、ポミュリン退治を経て、危なかっしくはあるがそこそこの仕事はこなせるかも、という自信が身に付いたので、今後はそういう依頼をこなそうというふうに思った。そう思った瞬間に、エイミーのことを見て、頭の中をぐるぐると鈍行列車みたいに廻り始めたことこそが、私にとっての最大の悩みだった。
「明日から、私ひとりでギルドに行く」
その夜、そう伝えた時のエイミーの表情の、そのぎこちなく、なんと反応したら良いのか分からない時に無意識の際で出る小さな愛想笑いが、私の胸を突くのだった。
甘えたがったあの夜から、私たちの関係は何よりも厚くなっていたはずなのに、そうなればなるほど、私には気味悪くもエイミーから離れなければという強迫観念が襲ってきていた。
イルさんとお酒を飲み交わしたあの日に実感した自分の心情と、「それでも一緒にいて欲しい」と言われたその磁石のような免罪符が、許されているからこそ否定を選ばなければならないという気にさせる。
もはやなにも語らず、エイミーも理由は問わず、むしろそれ以上に問えずに、ベッドで寝る時には真逆の方向を向いて寝る私の裾を、照明を消して数分して、私が寝ただろうと勘違いしたエイミーが遠慮がちに掴む。それが、私をこれでもかというくらい惨めな気持ちにさせるのだった。
寝れるはずもない。安心したって簡単には寝られない私が、擦り切れた精神を抱えた状態で。
寝付きの悪くないはずだったエイミーの不眠がようやく鳴りを潜めて、その寝息が立つ頃になると、私は振り返って抱きたくなるそのエゴイズムを手のひらに爪を食い込ませて抑えて、明るくなってきて起きたエイミーが、寝たふりをする私の顔を数分見つめていって、やがておずおずと部屋を出ていくと、数十分だけ寝られる、というのを繰り返していた。
魔法は睡眠不足を顕著に示した。暗記したはずの音と形が瞬時に出てこないのはおろか、やっとのことで振り絞った魔法現象もどことなく捩れる。
けれど、受けた依頼は、危なっかしくはあるがこなせていた。単価の高い仕事は危険なものも少なくなかったが、スライム退治で一ヶ月かけて稼いだ報酬を、たった一回の依頼で稼ぐということがざらになった。中級ギルドの依頼も気になり始める頃だったけれど、どのようにして所属の許可を得られるのかが分からず、決心と断念を繰り返していた。エイミーに聞ければ良かったのだけれど、都合のいい時にだけ頼るのは――最初は打算でエイミーを頼ったくせに、いまさら憚られた。
瓶を倒して音を立ててしまったエイミーが、ほとんど絶望したみたいな、悲痛に歪んだ小さな声で「ごめんなさい」と言うのが痛々しく、私の応え方も曖昧になる。そういう小さな不快感が、あの部屋には充満しつつあった。
部屋を変えようとと考えたわけではなかった。でも私の決心が固まれば固まるほど、その必要はなくなった。
イルさんが私に声を掛けたのは、そういう日々を二週間ほど繰り返した時だった。ここに来た日付すら忘れていた私が、こればかりは覚えていた。
「どういうつもりなの?」
「どうもこうもないです」
夜遅くに帰宅して、竜宿の扉を開くと同時に疲労でほとんど倒れ込みそうになっている私に、追い打ちをかけるみたいな鋭い声。反射で答える私の目に、イルさんがいつものように何食わぬ顔で立っているのが見えた。
「今日、下降りてこられる? 飲まない?」
「疲れてますので」
「それは分かるけど。……見てたら分かるよ。痛いくらい。でも別に、契約取って仕事してるわけじゃないんだよね。受注ギルドなんだから、一日くらい休んだっていいんじゃないの?」
「…………」
「エイミーのことばっかり言うけどさ、私は……でも、菜月ちゃんのことも、心配してるんだよ」
「エイミーのことが心配だから、いま夜のこと誘ってるんじゃないんですか?」
「だから、どっちも心配なんだって」
「ああ、はい、分かりました。どのみち、私も話したいことがあったので」
「うん。エイミーも誘ってるからね」
「……はい」
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