僕と栞里さんのおうち時間

五色ひわ

僕と栞里さんのおうち時間

 僕は夜遅くに、やっと帰ってきた栞里しおりさんを玄関で出迎えた。


「明日からテレワークになったんだ。」


(テレワーク?)


「自宅で仕事をするってことよ。」


 栞里さんは、無知な僕に『テレワーク』について詳しく教えてくれた。とにかく、明日からは仕事をお家でするらしい。


 それは一日中、一緒に居られるということで……


「テレワークって、そんなにいい事ばかりじゃないのよ。」


 僕がはしゃいでいるのに気がついて、栞里さんが盛大にため息をついた。



 翌日、僕と栞里さんは同じベッドで目を覚まし、いつも通り、一緒に朝食をとった。テレビを見ながら笑っていたし、朝食は栞里さんの好物のベーグルサンドだったから、栞里さんは機嫌がいいんだろうと勝手に思っていた。


 それなのに……


 僕をリビングルームに残して、栞里さんは自室に鍵をかけてしまった。僕が何度、声をかけても開けてくれない。ただ、顔が見たいだけなのに……


(今まで、こんな事なんてなかった!!)


 僕は栞里さんと過ごした日々を思い出して悲しくなった。


 僕と栞里さんが運命的な出会いを果たしたのは、2年前の春だった。栞里さんの綺麗な黒い瞳と見つめあって、僕は一瞬で恋に落ちた。


 すぐに一緒に暮らすようになったのだから、栞里さんも同じ気持ちだったんだと思う。


 僕は周囲に『イケメン』だって言われて育ったし、栞里さんの『特別』だって自信もある。今の状況はやっぱりおかしい。


(僕が『テレワーク』で喜んでしまったのが、いけなかったの?)


 僕はソファーの上に、だらしなく寝っ転がって、ただ、栞里さんのことだけを考えていた。



 夜になって部屋から出てきた栞里さんは、上機嫌にパスタを茹ではじめた。


「『おうち時間』が増えて嬉しいな。 ゆっくり、料理ができるじゃない?」


 栞里さんはそう言って、嬉しそうに僕に微笑みかけてくれる。僕も栞里さんの機嫌が直ったのが分かって嬉しくなった。


 食事の後、僕と栞里さんはソファーに並んで雑誌を読んだ。いつもより、リラックスした栞里さんが見れて僕も嬉しい。


(おうち時間サイコー!)



 数日後、栞里さんは朝から大忙しだった。掃除機をかけたり、料理を作ったり。僕が不思議に思っていると栞里さんが教えてくれた。今日はお客様が来るらしい。


「今はあんまり出歩けないからね。」 


 栞里さんはそう言いながらも、別に嫌ではないみたいだ。鼻歌なんて歌っているから、いい事なんだろう。僕も嬉しい。

 

 だから、僕は危険が迫っているだなんて思ってもいなかったんだ……


 ピンポーン


 お昼前にインターフォンがなる。嬉しそうに玄関に向かう栞里さんのあとを、僕は慌てて追った。


 画面には知らない男が映っているのに、栞里さんは躊躇もしないで扉を開ける。


 僕は栞里さんと男の間に慌てて割って入った。


(僕が栞里さんを守……)


墨田すみだくん、いらっしゃい! 迷わなかった?」


「うん、平気だよ。これ、お土産ね。」


「わぁ、ありがとう。」


 栞里さんは見たこともない笑顔で『墨田くん』からケーキの箱を受け取った。栞里さんが好きなお店のケーキだけど、そんなに食べたかったのだろうか? 僕は気になったけれど、それよりもっと気になることがある。


(こいつ、誰だ!?)


 僕が考え込んでいるうちに、2人はリビングに行ってしまった。


 慌てて追いかけると、2人はソファーに並んで座っている。それも、墨田くんが座っているのは、僕がいつも座っている栞里さんの隣だ。


(!!)


 僕は慌てて、栞里さんの膝に飛び乗った。ここにいれば、いつでも栞里さんを守ることができる。僕は墨田くんみたいに大きくはないけど、墨田くんにはない、立派な牙がある。


(栞里さんを傷つけたら許さないぞ!!)


 僕が睨みつけても、墨田くんはニコニコと笑うだけだ。


 威嚇してみても、栞里さんが墨田くんに謝るだけだった。


 墨田くんは「毛並みがいいね。」とか「可愛いね。」とか、僕の事を褒めてくれる。こんな事で僕の警戒心を解こうだなんて舐めてもらっては困る。


(僕には、栞里さんを守るという大事な使命が……)


「あ、タロウにもお土産があったんだった。栞里ちゃん、あげてもいい?」


「うん、ありがとう。」


(こ、これは!)


 墨田くんが僕に渡してくれたのは、テレビCMでお馴染みのおやつだった。


(墨田くんってすごくいい人!! おうち時間ってやっぱりサイコー!)


 僕はその日、ソファーで寝ることになってしまったけれど、別にいいんだ。明日だって明後日だって、僕は栞里さんと一緒にいられるんだから。


(僕は今日だけは譲ってあげる。僕はもう大人なんだから! って、本当に今日だけだよね??)



 半年後、墨田くんも一緒に住むって言われたときはショックだった。


「タロウも喜んでくれるよね?」


 不安そうな声で栞里さんに言われたら、僕も祝福するしかない。


 それに墨田くんと一緒にいるときの栞里さんは、とってもかわいい。だから、僕と栞里さんと墨田くんで過ごす時間も、僕は胸を張って言えるよ。


(おうち時間サイコー!)


 本当は、心から思えるまでに1年かかっちゃったけど、栞里さんには内緒だよ。




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