第3話 幽霊、探し。

「アイパレットって何?」

「アイシャドウパレットです」

「アイシャドウパレットって何?」

「アイシャドウの、パレットです」

 ……そろそろキレそうなんだが。

「オーケー。アイシャドウって何だ?」

「目の周りに陰影をつけるメイクです」

「それのパレット……つまり、絵の具みたいにいろんな色が乗っている……」

「そうです」

 最初からそう言え。


「あの子は知り合い?」

 僕はさっき声を上げた子を示して訊ねる。柴田麻帆が頷く。

「はい。同じ研究室です」

「声をかけて」


「雪ちゃん」柴田麻帆が声をかける。

「アイパレット盗まれたの?」

「そう! ないの!」

 雪ちゃんなる女の子は鞄の中に手を突っ込みながら答える。

「さっきまで、鞄の中に……」


「お訊ねしたいんだが」

 僕は横から入る。

「君は化粧品を鞄に直接入れているタイプ?」

「いえ、普段使いのはポーチに入れてます。でも、非常時というか、ちょっと直したい時のとかは、鞄に常備していて……」


 雪ちゃん、は再び鞄の中を覗く。ショートカットがふわりと揺れる。僕の近くにいる三人が綺麗系だとすれば、彼女はかわいい系だろう。


「いつの時点まではあった?」

「うーん?」雪ちゃん、は考える。

「お昼ご飯食べた後に、メイク直しをしました。その時はあったと思う」

「何時頃?」

「一時半? かな?」

 僕の講義中だ。もうほとんど終盤だが。

「なくなったと気づいたのは今……つまり、一五時四〇分」

 腕時計を見る。二時間の間になくなっている。


「その間、この研究室に出入りした人間について心当たりは?」

「分かりません、そんなの」雪ちゃんは首を横に振る。

「君は一人でこの研究室に来たの?」

 僕のこの質問に、雪ちゃんはびっくりしたような顔になった。

「いえ、ある人と待ち合わせを……」

「それは誰?」

「私です」


 背後から声。僕たちは振り返る。


「先生、さっきぶりですね……二時間ぶりかな?」


 そこにいたのは、青島真保だった。



「と、いうわけなんだ」

 母校。その食堂。僕は名木橋に先日起こったことの顛末を話す。

 僕はコーヒー、名木橋はサンドイッチをかじりながら座っていた。少しの間の後、サンドイッチを食べ終えた名木橋が口を開いた。


「腹ごなしに歩こう」

「いいよ」


 端的に言って、僕が母校に籍を置いておくことができるのは名木橋のおかげだ。名木橋は、自分を犠牲にして僕を守ってくれた。問題行動を起こした僕をかばって……教授、というポジションを犠牲にしてまで……僕をこの大学に置かせてくれた。


 多分、学部内での彼の立場は悪い。他の教職員から冷たい目で見られているだろう。でも名木橋は、僕と仲良くしてくれていた。それがとてもありがたかったし、嬉しかった。いつかこの恩は何かの形で必ず返そうと、そう自分に誓っていた。


「その青島って女の子が怪しいな」


 散歩。大学構内を出て、馴染みの古本屋がある方面に向かって歩いている最中、名木橋がつぶやいた。


「君もそう思うか」

 僕はポケットに手を入れ歩いていた。名木橋が石ころを蹴った。


「被害者に繋がりがある。……まぁ、その線だけで疑うのは根拠が弱いが」

「被害者に繋がりがある、という点では、青島さんは確かに怪しいんだ」


 僕に相談してきた女子学生、一人目。

 内村千佳は青島さんと同じサークルだった。野球サークルのマネージャー。二人ともサークル男子から人気の女の子らしい。

 

 二人目。

 吉岡仁美は青島さんと同じ研究室。研究室の飲み会では青島と吉岡が教授を挟むことがお決まりになっているのだとか。


 三人目。

 長瀬美路は青島と同じ高校出身。高校時代から青島も長瀬もモテモテで、彼氏自慢をしてノロケあっていた仲なのだとか。


「柴田麻帆とかいう女の子も怪しいな」

 名木橋。僕も頷く。

「依頼者なら疑われない、という盲点を突く可能性は確かにあるな」

「容疑者は二人」


 僕と名木橋は歩き続ける。僕の母校は山を切り開いて作った大学だ。大学から一歩出ると、そこはどこもかしこも急斜面。坂道をゆっくり下りながら僕は名木橋に並ぶ。


「二名どちらも犯人という説は?」

 名木橋の言葉に僕は頷く。

「あり得る」

 でもまぁ、と僕は言葉を続ける。

「メリットがあるか、だよな。二人で共謀して他人の化粧品を盗んで何がしたかったのか、という話はある」


「女性の犯罪者は……」と名木橋がつぶやいた。「女性の犯罪者は、『コレクター』であることが多い。収集するんだ。男性の犯罪者が『ハンター』に例えられることが多いのに対し、女性はあるものを収集する目的で犯行に及んだりする。まぁ、もちろん、例外はあるが……」


「つまり、あれか」僕は名木橋の言いたそうなことを要約する。「二人して他人の化粧品を『コレクション』していたと?」

「想像の域を出ないな」

 名木橋はため息をついた。

「ハッキリ言って、動機は分からん。心理学者がこんなことを言うと元も子もないかもしれないが、他人の心なんてどう足掻いても分からん。定量化できないからな。俺たち心理学者は、その心を定量化しようと試みている学者、とも言えるが」


「同意する」僕。「心理学者だから人の心が読めるのか、と訊いてくる馬鹿は片っ端からぼっとん便所に頭ぶち込んでやりたい」


 名木橋は笑った。

「君は昔から過激派だよな」


 過激派、という言葉が胸に刺さる。僕は過激だから、あんなことをしたのだろうか。僕は過激だから、人を傷つけたのだろうか。僕は過激だから、悪魔になったのだろうか。僕は過激だから……。


「深い意味はないぞ」

 僕の沈黙を気にしたのだろうか。名木橋がこちらを見てきた。

「気に障ったら悪かった」


「いや、いいんだ」

 僕は首を横に振る。悪魔は今も僕の心に巣食っている。多分、一生付き合う。彼とどう過ごすか。彼に飲み込まれずにいるにはどうしたらいいか。それが、僕の課題だ。


「それより、だ」僕は言葉を続ける。「さっき『動機は』分からないと言ったな?」

「言ったよ」名木橋は笑う。僕は続ける。

「『犯人』は青島か柴田のどちらかだ」

 僕の言葉に、名木橋は頷く。

「そうだろうな」

「では『トリック』は?」


 君はもう分かっているのか? 

 僕がそう問うと、名木橋はにやりと笑って僕の方を見てきた。


「今、向こうの歩道を歩いていった青い帽子の男だが、何をしていたか分かるか?」

「青い帽子の男……?」

 僕は向こうの歩道……つまり、僕たちが歩いている歩道とは反対側の歩道……を見る。青い帽子の男なんて、いない。


「いや、さっぱり分からないが?」

 すると名木橋はまたにやりと笑った。

「そういうことだ」


 ああ。

 この瞬間、僕は名木橋の言わんとしていることが分かった。


「そういうことか」



 翌日。

 僕はあの四人を呼び出した。内村千佳、吉岡仁美、長瀬美路、そして雪ちゃんこと、末広雪。柴田さんは呼び出さなかった。僕の考える条件に、彼女はおそらく適合しない。


「君たちに訊きたい」

 四人は真剣なまなざしでこちらを見つめる。


「君たちは、客観的に見て、美しい」

 多分、「美しい」なんて言われ慣れていないのだろう。まぁ、彼女たちは言われていても「かわいい」とか「綺麗」とかだろうな。彼女たちの頬が少し染まることを僕は確認した。


 これは心理学を応用したテクニックの一つだが「言われ慣れていない賛辞」をぶつけられると人はその言葉とそれを言ってきた相手とを鮮明に記憶する。好きな女の子を口説きたい男子は、その子に「かわいい」なんてありきたりな言葉をぶつけるのではなく、「美しい」とか「麗しい」とか「ときめく」とか、ちょっとした変化球を投げてみるといいだろう。


 さて。僕は別に彼女たちを口説きたいわけではないのだが。

 しかしどきりとさせることは今後の尋問を優位に進める上では大事である。僕は質問を続ける。


「君たち、ミスコンに出ないか、と言われたこと、ない?」

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