She is η(本編)

刻谷治(コクヤ オサム)

第1話

頭を回転させ、言葉を産み、それを画面上に書き連ねていく。出来た文章の配列を何度も読み返し、ああでもないこうでもないと推敲を重ねる。

風が吹いてなびく情景、キャラクター達の表情と発した言葉、主人公の目に写る世界、頭の中で映像として流れるそれらを、再現するのに最適な言葉に変換して書き起こしていく。

僕は小説を書いて生計を立てている。ありがたい事に世間でも少しずつ名前が知られ始め、生活にも多少の余裕が出来つつある。とはいっても、安定した収入を得るにはまだまだ作品を出し続けなければならない。

時刻はてっぺんを過ぎてから確認していない。もう夜である時間よりも朝の方が近づいている頃合いだ。

3徹目のこの時間が1番キツい時間だ。脳味噌を雑巾のように絞って絞って、言葉を抽出していく。

ふぅと一息を吐き、僕はキーを打つのを止めてコーヒーを啜った。冷めてから大分時間が経ってしまい、酸化して苦味と酸味が増した味に変わっている。それは僕の嫌いなコーヒーの味だったが、今ならその味すら許せる気分だった。

やっと書いていた小説が完成した。

うんと伸びをすると、固まっていた身体の節々からパキポキと小気味良い音が鳴り、1人物静かなワンルームに響き渡った。

もう一度、もう一度と何度も読み返して、改めて完成したなと再確認する。

ふと時計を見ると午前4時の5分前といったところだった。充実感が沸々と胸の奥で燻り始めていて、疲労こそ感じてはいるものも気分は高揚していた。

まぁでも、温かいシャワーでも浴びて寝転がっていれば、そのうち勝手に眠りにつけるかな。

そうして僕は担当編集の白河さんに完成した文章の束をメールに添付して送信し、シャワー室へと向かった。これで起きた頃には返信のメールか電話が返って来てるだろう。そんな事を考えていると途端、ズキンッと胸が何かで刺されたかのように鋭く痛んだ。

「ぐっ……」

思わず声が漏れるほどの痛みだった。またいつもの狭心症か?でもいつもよりも痛みが強いのは疲れているからかな?などと考えながら胸の痛みには気もくれずにシャツのボタンを外していると、ふと目の焦点が合わなくなり、ボタンが上手く外せなくなった。

あれっと思っているうちに視界が徐々に白く霞み、全体がぼやけ始めていく。

これ、ひょっとしてまずいか……。

そう思ったのも束の間、視界がブラックアウトし、僕はそのまま意識を失い、はだけたシャツに身を包んだまま、自室で1人倒れ伏した。




次に目を覚ましたのは見慣れない灰色のベッドの上で、空中に映し出されたホログラムの時計を見ると、倒れた日から5日が経過していた。

自分の身体へと意識をやると口元は酸素吸入器で繋がれ、腕には点滴、その他胸元や臍といった色々な部分にも彩り豊かなコードが繋げられていた。

まるでメンテナンス中のロボットの気分だなと呑気に思っていると、僕の起床に気が付いたナースが駆け寄ってきた。僕の全身を一瞥したかと思うと安静にしてて下さいねとだけ言い残して立ち去り、どうやらここは病院らしいなんて考えている間に医師を連れて再びやって来た。

やって来た医師は20代後半くらいの僕と歳が近そうな男性で、短めの黒髪で清潔感と清涼感を兼ね備えた雰囲気を保っていた。しかし意外な事に彼が発した僕の担当医であると言った言葉は機械音声で、彼が見た目に反してアンドロイドである事を物語っていた。

それから医師でありアンドロイドでもある彼が僕に話した事を3行で纏めると、どうやら僕は心臓の病を発症し、倒れたという事。

緊急搬送されて即手術し、なんとか一命こそ取り留めたが、再発すれば次はもう心臓が耐え切れないという事。

再発までの期間は約1年で、その間何事も無ければ完治という事だった。

余命約1年かもしれないという突然放たれた宣告を、へえそうなのかと僕は案外あっさりと受け入れてしまった。言葉通り機械的な彼の言葉のおかげで、あまり実感が湧かなかったのかもしれない。

そういえば、と僕は医師にある事を尋ねた。

「病院に連絡をして下さったのはどなただったんですか?」

僕は独り身で、隣人との仲も特別親しい訳ではない。家庭用ロボットや、増してや家庭用アンドロイドだなんて高級品も持ってはいなかった。だからこそ、僕を発見して病院に連絡をした人は、ある意味命の恩人とも言える人だ。その人を知りたかった。

しかし医師は首を傾げ、横のナースを見るとナースが一言

「それが……誰だか分からなかったんですよね」

と答えになっていない答えを返したのだった。

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