アメリア
かえる
アメリア
目隠しをして座っている彼を見ていると、自然と息が詰まった。この空間には、およそ十年分の退屈と鬱屈とした空気が充満している。
「悪いな、こんな格好で。人と会うときはこうして目隠しをしておかなくちゃならないんだ。君の身のためさ。許してくれ」
彼は私の気配に向かって話した。
「一人で来るのは初めてだったな。ジョージと呼んでくれ」
彼は立ち上がったが、握手は求めなかった。
「アメリアです」
「そこにかけて」
彼が指さした場所に木製の椅子が現れた。恐る恐る腰かけると、ほのかにフィトンチッドの香りがした。
「幾度か面談に立ち会ったことはありますが、何度見ても慣れないですね」
「まあ、君もそのうち気にしなくなるさ。粗末な椅子で悪いね」
彼は乾いた声で笑った。
「そうだ。珈琲は好きかい?」
「ええ、カフェで仕事をすることが多いので」
「そうか、どおりで」
彼は急に笑い出した。
「なんです?」
「いや、君がこの部屋に入ってきてから、微かに珈琲の香りを感じたんだ。目隠しをしていると、本当に驚くほど嗅覚が冴える」
彼は何かを思い出すようにして、額に手を当てた。
「砂糖は入れるかい?」
「ええ」
部屋の中央にあるテーブルに珈琲が注がれたカップが現れた。
「本当に考えただけで……」
「そうさ。想像して創造するわけだ」
私は聞き覚えのある冗談に作り笑いをしてから、カップに口を付けた。
「少し苦いですね」
「すまないな。もっぱらブラックで飲んでいるからかな」
彼は本当によく笑う。
「もしかして、この部屋の物はご自身で?」
「ああ、時間だけは有り余っているからね」
部屋の一角に置かれた棚には、どこかで見たような彫刻がいくつも並んでいて、小洒落たシーリングライトに照らされていた。壁に掛けられた時計は、一見何の変哲もないように見えるが、正確な時を刻んでいるわけではなさそうだった。
「あの鏡も?」
「あれは形だけさ。何度か試しては見たんだけれど、ちゃんとは作れなかった。記憶だけで作るって言っても、映る景色は環境によって変わるだろう? そういった動的なものは、うまく作れないんだよ」
「何でもできるわけではないんですね」
「そうだな。自分が想像できないことはまるでダメなんだ。まあ言ってしまえば、誰しも想像のできないことは出来ないんだろうけれども」
「この写真は……」
「妻だよ。これは作ったんじゃない。生前に撮ったんだ。ブロンドの髪が綺麗だろう?」
彼の声が少し低くなった。
「死に別れてからは、何をするにもうまいこといかなくなってね。それから、この実験に参加することにしたんだ。自暴自棄になっていたんだと思う」
彼が参加した実験というのは、人間の潜在的なリソースにアクセスする通信機を脳に直結する、というものだった。人間の『イメージ』という、未だに解明されていないエネルギーを材料にして、思い描いたものを作り出すという構想らしい。目先の利益が先行し、安全性が度外視されたこの実験の結果は、凄惨を極めた。
「後悔……しているんですね」
「私は何人もの人間を殺めてしまったんだ。後悔という言葉で片付けられるようなものではないよ」
研究員は、人間の潜在意識について見落としていた。彼が潜在的に抱えていた残虐性が、この実験によって発現してしまったのだ。この結果は、人間は誰しも密(ひそ)かに残虐性を持ちうるのではないか、ということを提起した。実験によって得られたものはそれのみで、失ったもののほうが多かった。
頭蓋に嵌(は)め込まれた平板型のチップを取り出しても、彼はものを生み出し続けられた。おそらく彼は、嵌め込まれたチップのことを想像したのだと思う。取り出されたチップは想像で作られた偽物だった。現在は彼の頭内の至るところにチップが転移しているだろう。すべてを取り出すには脳への負担が大きい。本物のチップを特定して取り出すか、あるいは彼の思考を制御する方法を導くことが私の仕事だった。
「長話をしてしまったな。今日は何をするんだ?」
私は自分の目的を思い出して居直した。
「クイズです」
「クイズ?」
「ご存じだと思いますが、これはあなたが自由になるための手段を探る目的で行われます」
「ああ、やっぱり研究員はみんなそれを言うようになっているんだな。いつもおかしな実験ばかりするけれど、その常套句を聞くと、なんだか落ち着くようになってきた」
私は手元のメモ帳をめくった。
「あなたの目の前に、色とりどりの風船が大量にあるとします」
彼の周りで大量の風船が跳ねた。あっという間に床を埋め尽くし、私の膝丈ほどの高さまで達した。
「……その中に、風船とよく似たボールが紛れ込んでいます。あなたならどうやってそのボールを探し出しますか?」
「それがクイズ?」
「ええ」
「そうだな……」
彼は手のひらにオレンジを作った。
「オレンジの皮にはリモネンという成分が含まれているんだ。こいつにはゴムを溶かす性質がある」
彼は足元の風船を手に取り、オレンジの皮を絞った。
「こうすると……」
しばらく彼が皮を絞る様子を見ていたが、何も起こらない。
「……作り方を間違えたらしい。すまないが、手伝ってくれないか?」
そう言って、金属針を差し出してきた。
「とにかく、リモネンを全体に噴きかけると、風船だけが割れて、ボールが後に残るというわけだ」
彼は手探りで風船を捕まえながら言った。
「ちなみに正解はなんだ?」
「いえ、特にこれといった正解はありません。でもあなたの回答はとてもスマートだと思いますよ」
彼は呆れたように鼻で笑った。
「やっぱり変な実験だな。何の意味があるっていうんだ」
それから私たちは、逃げる風船を黙々と追いかけた。
最後の風船が弾けると同時に、彼は何か閃いたような様子を見せた。
「そうか! チップに目印を付ければいいんだ。本物のチップがどれかは私ですら知らないけれど、だからこそ本物にだけは印を付ける想像ができないんだ」
「……三ミリ四方のチップに印を?」
「いや、頭蓋骨全体に色を付けるんだ。ペンキで塗りつぶすようにね。本物のチップにだけペンキが塗れないはずなんだ」
彼は嬉々とした表情で言った。
「試してみる価値はありそうですね」
「なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう」
「有用な情報が得られたじゃないですか。実験に意味はあったんですよ。きっとすぐに、あなたに自由が訪れる日が来ますよ」
「ありがとう、アメリア。今日は当たりくじを引いたようだ」
言いながら、彼の表情は次第に曇り始めた。
「本当に誰も気が付かなかったんだろうか」
ドアを叩く音がする。
「誰と話しているんです?」
男がドア越しに呼びかけてきた。
「アメリアだよ。君が招いたんだろう?」
言いながら、急に不安が押し寄せてきた。それは幾度となく経験してきた不安のような気がした。
男が部屋に入ってくる。
「何をおっしゃっているんですか?」
汗がふっと噴き出て、玉のような水滴が額を伝うのを感じた。
アメリアはこの部屋のどこにもいないらしい。
「さっきまでここで会話をしていたんだ。君がこの部屋に来るときにすれ違わなかったか? 急に出ていくなんて、突飛な行動をする人だ。何か忘れものに気が付いたんだろうか」
男は黙っている。
私は時々、人の肉声を作り上げてしまうことがあった。それは無意識と会話をすることと同義なのだと思う。
「君は誰なんだ?」
答えは返ってこない。聞こえるのは自身の心音だけだった。
唐突に訪れた静寂は、私にとって耐えがたい苦痛だった。
私はすぐにレコードでお気に入りの曲をかけた。
この期に及んで私は、アメリアのことを諦めていなかった。彼女と話しているとき、確かに他とは違う感覚がした。彼女がオリジナルでないはずがない。第一、私はアメリアの言動が
私は意を決して目隠しを外した。
ふいに強烈な既視感が襲い、視界を歪ませた。
そこに、アメリアはいた。
「そうか……。成功したんだ」
私は写真以外のすべてを自分で作り上げた。
この部屋にドアはない。
そして私は、日々移りゆく外の世界を想像することができない。
それでも確かにアメリアはここにいる。
私はここでしか生きることができないのだ。
All My Lovingが流れ続けている。
私はその場に
ブロンドの髪が頬を叩く。
アメリアは私と同じように微笑み、手を重ねた。
アメリア かえる @vtstar5139
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