事故物件 その2

 後藤田の膝は不規則なリズムで震えていた。彼の貧乏ゆすりは独特で、オーケストラの様に徐々に振動が大きくなっていく。揺れは後藤田の苛立ちに比例しており、怒りがピークになる手前でデスクに膝をぶつける事になる。そのリズムや膝をぶつけるタイミングが、クラシックの『ボレロ』とシンクロしているため、社員の間では『ボレロゆすり』と呼称されていることを、後藤田は知らない。M字に薄くなった頭皮は剃り込みのように見え、頬はこけている。彼は今、琥珀色のレンズの奥に潜むカタギとは思えない鋭い目をユウイチに向けている。


「おう、ユウイチ。ルミ子はまだか」

「わ、わかりません。私、鬼村さんと会ったことがないもんで、どのような外見をしているのか知らないもので・・」

「お、そうだったな。まあ、あいつの特徴なんていちいち説明しなくても、見かけていたらお前の海馬に家を建てているだろうからな」

「そうなんですか。なんか、馴染めるか不安ですね」


 ユウイチの弱気な声に、後藤田は顔をしかめた。


「おい、ユウイチ。俺がなんでお前を心霊部門にやったか分かるか? お前は都市伝説希望だったよな。俺はこう見えても社員思いの心優しい上司だ。社員の要望には可能な限り答える。にもかかわらず、俺はお前を心霊部門に行かせた。なぜだと思う?」

「心霊部門が人材、特に新人が不足しているからじゃないいんですか。なんでも、みんなすぐ辞めていくそうで、この五年間で今も残っているのは雨宮さんだけだと聞きました」

「確かに、新人は皆辞めていく。みんな幽霊やらが好きだし、鬼村ルミ子のファンだった。だが、雨宮を除き、みないなくなってしまった。なぜだと思う?」


 なぜなぜしつこい上司だ。進研ゼミでも行って来いよ、とユウイチは思った。


「鬼村さんが厳しいからですか? それか、本当に心霊体験をして怖くなったとか」

「んー、ちょっとちがうな」


 ユウイチが想定通りの誤回答をしたことに後藤田は機嫌を良くしたは、したり顔で答えた。


「あいつらは本当に幽霊を信じていた。だからこそ現実とのギャップに耐えられなくなってしまったんだよ」

「どういうことですか?」

「お前も時期に分かる。お前がこの部門をあてがわれた意味もな」


 ユウイチは奥歯に物が詰まったみたいな気分になった。後藤田との会話はいつも謎を含んで終わる。この伏線はいつ回収されるのか心配だった。

 

「ところで、ルミ子さんはまだ出社していないんですかね。もうとっくに出社時間は過ぎているんですけど、時間にはルーズな人なんですか?」

「あー、出張帰りはだいたい遅刻だ。まったく、俺をなめてやがる。最初は叱りつけてやったんだが、あの女、少しも堪えねえ。あいつの記事が金にならなかったら、とっくにクビにしているぜ」

「あら、それなら今日の取材も張り切らないとね。後藤田編集長」


 興奮する後藤田の背後に鬼村ルミ子がいた。行儀よく一直線に揃った前髪の下から覗く瞳には榊ユウイチの呆気にとられた顔が映っている。鬼村ルミ子は榊や後藤田よりもずっと大きかった。縦にも横にもだ。身長は恐らく170cmは超えているだろう、その上、8cmくらいのピンヒールを履いている。ルミ子の巨体を支えらるのか、ユウイチは心配になった。ピンヒールに同情をしたことは、恐らくユウイチにとって初めての経験だった。その巨体はハリがあり、肥満ではあるが肉のたるみがまったくなく、膝上のタイトなスカートから覗くお御足は、丸太のような太ももに対して膝や足首は異様に細い。まるで風船アートの様だった。ムチムチとムキムキのちょうど中間にあたると言えよう。そして、噂通り、彼女は真っ赤なシャツの襟を立てていた。


「鬼村、いきなり俺の背後に立つんじゃねえって、いつも言ってんだろうが!!」

「あら、私はずっとここにいたのよ、後藤田編集長。それなのに遅刻扱いしてくれて、まったく人聞きの悪い。この新人君が変な誤解をしたらどうするのよ。ただでさえ変な噂が流れてるのに」


 これが、鬼村ルミ子。ユウイチはその存在に圧倒されていた。そして、後藤田の言ったとおり、彼女は遅刻を反省する素振りがない。その堂々とした答弁を聞いていると、本当に最初からそこにいたんじゃないかと錯覚していしまいそうになる。こんな存在感のある女が後藤田の後ろに身を隠すなんて、キリンが匍匐前進するぐらい難しいことだ。しばし呆然としていたが、ユウイチはひとまず、初対面である鬼村ルミ子に社会人のマナーとして挨拶、自己紹介をすることにした。


「は、はじめまして。榊ユウイチといいます。今年度より入社し、心霊部門を担当させていただくことになりました。鬼村ルミ子さん。これから色々お世話になると思いますが、よろしくお願いします」

「鬼村ルミ子よ、よろしくね。まあ、固くならないで。これから仲良くしましょうね」


 意外とマイルドなルミ子の反応にユウイチは少し安心した。


「相変わらずだなお前のそのふてぶてしさは。馬の耳に念仏、釈迦に説法、ルミ子に説教だな。まあいい、とりあえず揃ったな。それじゃあ、時間もないので手短に今回の取材場所を説明する。ユウイチには事前に話してあるが、鬼村、お前、俺が送ったメールの資料に目は通してるか?」

「当然、そんなもの知らないわ」


 後藤田は折れた天狗の鼻みたいな溜息を付いた。


「そうだな、そうだよな。聞いた俺が馬鹿だったわ。ユウイチ、説明してあげて」

「ええ、編集長が説明するんじゃなかったんですか。急にふられても」

「そうよ、しっかりしなさいよ」

「お前、黙れ」


 ユウイチはしぶしぶ、昨晩作成した資料を取り出し、これから向かう心霊スポット『コーポ バンビ 204号室』の説明をすることにした。


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