屋上に現れたもの
高田さんは引き摺られるかのように、一歩一歩前へと進んでいく。
しばらく、僕たちは茫然としていた。急にそれが行われたから、誰も気が付かなかったのだ。しかし、やがて誰もがその違和感に気がついた。
高田さんはいま、尋常な状況にない。何か、奇妙な事象が起きている、と。
「―――座間さん、この剣を視ないでください!」
お嬢さんが叫ぶ。
つまり僕は、お嬢さんの除霊の邪魔をしていた。あれが悪しきものであれ何であれ、彼女はあれを用いて魔を退けている。僕があの剣に意識を向けている限り、お嬢さんは退魔が出来ない―――!
急いで意識を剣を外した。
次いで、いままさに飛び降りようとしている彼女の方へ意識を向ける。いつの間にか手すりの外にまで行っていた。まずい―――!
「いま行きまする!」
藤子さんが手すりの方へと駆け寄る。彼女の肩を取り、無理やりこちら側へ引き寄せようとする。
僕は僕にできることをしなければ。
意識を高田さんに向ける。悪しき怪異は、視えた。
彼女の手と足に、何かが纏わりついている。あれが彼女を地面に落とそうとしているのだ。
ぐん、と意識を向ければ、それは動きを止めた。
千里眼は確かに効力を発揮した。
―――しかし。物理現象までは止められない。高田さんは依然として不安定な足場におり、急ぎ魔を退けてこちら側に引き寄せなければならない状況だ。
「お嬢さん、その剣は―――」
「ダメです、一度繋がりが断ち切られるとリセットされちゃうみたいです。藤子さん、鶴姫は―――」
「ケースに入れておりまする!こちらにおもちください!」
ええ、とお嬢さんは床に置かれた藤子さんの楽器ケースまで駆け寄り、中から刀を取り出し、それを慣れた手つきで引き抜いた。
そのまま、手すりの方へ急ぐ。
―――だが。
びくん、と再び彼女の手足が不自然に動き出した。藤子さんを押しのけようとする挙動を取っている。
―――そんな馬鹿な。僕の停止が効いていない……いや、相殺されている?
「座間さん、意識を外していますか?」
「そんなはずは」
無い。依然として怪異は視えている。
あれを悪しきものと解釈し、その動きを止めるべく千里眼は稼働していた。
「ならばよほど強いか、相性が悪いのでしょうね。怪異の場所を教えてください。鶴姫で相殺します」
手と足のあたりに視える、と伝える。
しかし長い刀を用いて祓うには足場が不安定だった。
手すりからこちら側へ引き寄せようにも藤子さん一人の筋力では限界がある様子で、苦戦している。
「沙也加さんっ」
聞いたことのある声をした男性が駆け寄ってきた。
彼は―――セキ氏だった。
「セキくん、ちょうどいいところに。あの方をこちら側に引き寄せますので手伝ってください!男性としての力の見せどころです!それファイト!」
「なるほどポリコレ時代に全くふさわしくない文句だな!」
言いながらもセキ氏も手すりから身を乗り出して彼女の身を抑えた。
僕は―――いや、僕が助太刀しても邪魔にしかならない。
僕はやはり、出来ることをするべきだろう。
集中する。意識を深化させる。あの手足にまとわりつく怪異に向けて、より深い集中を行う。
息を吐き、息を吸った。
視界が明瞭になる。より、その怪異は鮮明に視える。
そうだ。僕はもともと、そのために生まれてそのために生きてきた。
霊を視て、霊を停止させる。そのための身体であり、そのための眼であり、そのための意識だ。
最近、ちょっと気が緩んで忘れそうになっていたが、そういう人生を求められてきたし、そういう人生を送るはずだった。
―――果たして、再び怪異はその動きを止めた。
視線も意識も、今度こそあの怪異をとらえて離さない。
不自然な力は再び止まった。
セキ氏と藤子さんとお嬢さんとで力を合わせ、手すりのこちら側へと引き寄た。
念のため彼女の身体を藤子さんとセキ氏とで抑えつける。
「―――オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」
お嬢さんは謡うように、唱えるようにその言葉を繰り返した。
お経……いや、真言だろうか。
そしてそのまま剣を、両手と足とすれすれの場所に切りつける。
果たして、怪異は今度こそ霧散する。
―――悪しき怪異は祓われた。
僕たちは安堵のため息を吐く。高田さんは恐怖に体を震わせている。
少なくとも、憑き物落としは成功したと考えていいのではないだろうか。
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