依頼者の事情

 依頼者はこの会社の一社員らしい。

 社長とか管理職などのいわゆるえらい人では無い。なので当然、業務時間中に僕たちがビルに押し入ったところで追い払われる。

 だから昼休憩の時間に依頼者と合流して今後のことを相談したり報告したりしあうことになっていた。


 約束の時間の一時間ほど前に、件のビルへと向かう。

 平日昼間の亀戸周辺は、人通りが多いとは言い難い。


 問題のビルはいわゆる商社であるらしい。コーヒーや水、お茶などのサーバーを設置させる会社なのだという。


「ここでありまするな」


 二人して、何食わぬ顔でビルの前までやってきた。


「久遠さま、何か視えまするか?」


 藤子さんは僕にそう聞いた。

 視えないし、感じもしない。話によると決まった時間に、ということだった。ならばその時間にしか現れないのではないか。幽霊といえどもいつも待機しているわけではないだろうし。

 僕がそういうと、藤子さんも同意してくれた。


「わたくしは一週間ほどこのビルに張り込んでおりまする。怪奇現象が起きる時間は午後1時30分。決まってこの時間でありました。何かが視えるとしたら、その時間ということでありましょう」


 ふと疑問に思う。

 藤子さんは視える人なのだろうか、と。

 僕は多分、視える。これまで九頭鬼という怪異を封印してきたが、僕はその姿が結構はっきり見えるタイプだった。というか、視えなくては封印術式が成立しない、そういう代物だった。

 僕はやや不躾とは思いつつ、藤子さんに聞いてみると「はっきりとは見えないのでありまする」と恥じるように言った。


「わたくしの場合、五感で言うと嗅覚が―――匂いに霊感が現れるタイプと言いまするか」

「匂いですか」

「はい。もっとも、霊感と言う言葉が適切では無いのかも知れませぬ。人と嗅いでいるものが違う、というのが適切なのやも知れませぬな」


 日常生活でいう匂いはほとんど感じないのだという。

 だとすると食事は不便ではないだろうか。食事にあたって嗅覚は味覚と並ぶものだという話を聞いたことがある。


「恐らく、それも人とは違うものを嗅いでいるのでありましょう。わたくしが嗅いでいるのは人の意図なのだと思いまする。その点で言うと、今朝いただいた鮭の切り身は大層いい香りがいたしました」


 ありがとうございます、と彼女は礼を言った。

 ……なるほど。心づくしとか善意―――と自分で言うのもおこがましいが―――そういうものに対して香りを感じる、ということなのか。


「依頼の話に戻しまする。午後1時30分前後、わたくしはある匂いを嗅ぎました。その瞬間だけ、まったく違うものを感じ取ったのでありまする」

「―――差し支えなければ、教えていただきたいのですが」

「はい」

「何の匂いを?」

「血です――――血の匂いを、感じ取りました。人が死に、穢れた時の匂いでありまする」




 約束の時間から15分ほど遅れて、依頼者である女性社員はエントランスから現れた。

 山口加奈子。27歳。彼女が今回の依頼者だった。

 一般的なオフィスレディという格好をした彼女は僕たちの姿を認めると「すみません」と謝罪の言葉を述べた。


「すみません。仕事の関係で昼休みに割り込んでしまいまして」

「いえ。山口さまもお仕事が大変でございましょう」

「いえ―――だとしてもです」


 これで話を付けても良いだろうと思うのだが、それでも山口さんは謝罪の言葉を述べ続けた。どうしても自分を下に置きたいのだろうか。内罰的な思考が目立つ。


「あの、不躾かもしれませんが、そちらの方は?」

「ああ!本日からわたくしの助っ人として来ていただいた霊能力者の方でありまする。座間久遠さんです」

「ああ、座間です。よろしくお願いします」


 よろしくお願いします、とお互いに頭を下げ合う。

 山口さんは藤子さんと同じくらい丁寧である。しかし、そこにはおどおどとしたものが感じ取れた。

 藤子さんは、丁寧ではあっても腰を低くはしていないと思う。ただ、他者には敬意を払う、ということを堂々としている。

 山口さんは、どちらかと言えば腰が低い。自分を下に置くことで何かから許されようとする心理があるような気がする。


 ―――別に霊視した結果では無い。僕がそういう風に感じただけだ。

 彼女には何も視えなかった。ただ、おびえているだけだ。


 ではいつもの喫茶店に、と藤子さんは彼女を先導する。

 彼女たちが落ち合うのはいつも決まったカフェであるようだった。昼食を摂りながら山口さんはビル内で変わったことが無かったか、藤子さんの調査の進展はどうなったかと言ったことを情報交換するのだという。


 山口さんはパスタセット、藤子さんはハヤシライス、僕はサンドイッチを。それぞれ注文して席につく。


「―――今日は少し合わないかも知れませぬ」

「はい?」

「いえ、こちらの話です。いただきます」


 藤子さんはスプーンでハヤシライスを救って口に入れる。朝食の時の積極性はどこに行ったのか、顔をしかめながらなんとか口に入れている様子だった。

 ……そう言えば、さっきカウンターから視えた男性店員はけだるい表情をしていた。そういうことまで匂いとして感じ取ってしまうのだろうか。


「それで、先日お願いいたしました社内の聞き取りと録音はしていただけましたでしょうか?」


 質問に山口さんは「はい」と答えると、卓上にICレコーダーを載せた。


「これで1階から10階まで、すべての音声サンプルを撮ったことになります」

「はい。これである程度の推測が出来るようになりまする。……ただ、これまで例を考えますと、やはり―――」

「ええ。10階にも同じように音が鳴ってます。人がいるところ全部で、聞こえるようになってるんです」

「ちなみに聞こえる方と聞こえない方がいる、というようなことも無いのでございますね?」

「すべての人間に聞いたわけじゃありません。ただ、同期とか親しい社員に聞く限りは、みんな聞こえているようでした」

「つまり、音と衝撃はすべての階に、同じように伝わっているのでありまするな」

「……はい」


 これまでの調査は、どのような怪奇現象が起きているかの検証に費やされていたらしい。

 午後1時30分。都内のオフィス街にあるビルに衝撃と奇妙な音がする。

 それがどのように、どこまで聞こえるのか。その検証の結果がこのICレコーダーなのだという。


 僕もそのレコーダーを聞かせてもらった。 

 トラックは1~10まで存在する。


 取引についてのやりとり、コピーの依頼、資料の作成―――そういう仕事に関するやり取りがぼそぼそと聞こえる。

 昼休みの後、仕事を再開したことによるあわただしさが漏れ聞こえる声からは感じ取れた。


 そして、問題の時間。

 水の入った袋がべちゃ、と落ちたような。あるいはごん、と硬いものがたたきつけられたような。そういう音がレコーダーには収録されていた。

 この二つの音が全く違う性質のもののように思われるが、矛盾する音では無い。


「……人が落ちた音」


 そういう感想が浮かんでくる。

 聞いたことがあるわけではない。しかし、そういう嫌な連想が現れる音だった。


「―――やっぱり」


 そう漏らしたのは山口さんだった。

 彼女はなにか、暗いものを湛えた表情をしている。

 ―――なにか、心当たりがあるのだろうか。


「すみません。すでに確認していることかもしれませんが―――」


 過去に何かがあった。

 だからわざわざ拝み屋に依頼を出したということだろう。ならば、その何かとは何なのか。それを彼女は知っているか聞いているかしているはずだ。


 山口さんから出た言葉は単純なものだった。

 飛び降り自殺があったんです、と。


「それはいつの話ですか?」

「一昨年です。同期の社員でした。営業に異動になった細身くんが」


 飛び降り自殺した。

 ならばこれは、飛び降り自殺を延々と再現し続けている音なのだろうか。

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