桃太郎~after story
ぶんぶん
敗走
焼けつくような夕日に目を細め、犬は一言つぶやき、奥歯を噛む。母犬はその真意を聞かない。かけたい言葉も喉の奥に押し込む。口に出したところで何になろう。腹を痛めた我が子の命運は、一つと決まっているのだ。
「キジは」
「食われた」
「サルは」
「逃げた。責めるつもりはねぇ。俺も自分がサルなら逃げた」
「でもお前は逃げない」
「そうさ。『我らは誇り高き牙狼の仔。大恩の将に耳を、勇猛の主に鼻を、聡明の師に尾を捧げる』。クソくらえだ」
犬は立ち上がる。沈みかけた太陽に向かって歩き始める。細く遠吠えをあげる母を背に。犬は振り向かずに母に言葉を遺していく。母がこれから何度でも思い出しても良いような言葉を。
「いっそあんたも逃げちまえば良かったんだ」
「そ、そんなわけにいくか」
膝や手をガタガタさせ青白い顔をした男を、犬は睨み付ける。例えるならまさに桃のよう。精悍という言葉とは対極にある、肥え太った体。財と名声を成した先々代の遺産を見事に食い潰してしまった。武芸の才は皆無。頭が良いかと言えば、並程度。三度の飯が何より好きで、食後の昼寝を欠かさない。鬼退治など微塵の興味もないが、一族を追い出されるとなれば、背に腹は代えられぬ。渋々鬼ヶ島に赴いたのが五日前。手痛く返り討ちにされ、一度態勢を立て直すために逃げ帰った。逃げる最中、仲間のキジは命を落とした。一度故郷に帰り、犬は母に最期の別れを告げたが、どうやらこの桃太郎は、それすらしてこなかったらしい。
「鬼の首を取ってくるまで、敷居はまたがせぬと、カカ様に言われておる」
「あんたこれから死ぬんだぜ。せめて感謝の言葉くらい」
犬の耳がピクリと動く。血生臭い悪臭。寒気のするような低い唸り声。奴らだ。
「来たぜ、桃太郎さん」
「ヒィッ」
のしりのしりと、鬼が近づいてくる。少なくとも十と五。大きいのも小さいのもいる。
一族郎党、この桃太郎の家系に忠義を尽くすと誓った、初代“犬”。それを引き継いだ七代目“犬”の自分も。その誓いに殉じるつもりだった。命を失っても良いと思っていた。でもそれはこんな形ではない。こんな惨めで不名誉な形ではない。望んでいたのは、もっと崇高な・・・
ふと一匹の鬼に犬の眼が止まる。
(あの鬼。キジの羽を身に付けていやがる。キジからむしり取ったのか。そしてあっちの鬼はなんだ。あぁ・・・あぁ。サルよ。そこにいたのか。お前手だけになって。逃げ切れなったのか)
「犬よ!犬!我を守れ!忠義を見せよ・・・あぁっ!」
犬は桃太郎に体当たり。危機一髪。鬼から振り下ろされる金棒が、桃太郎の頭をかすめる。
(せめて一矢報いる)
犬は鬼の首元めがけて跳びかかる。牙をエイヤと突き立てると、緑色の血が噴き出した。だが足を掴まれ、犬は宙ぶらりんになる。
「桃太郎さん!桃太郎さん!助けてくれ!身動きが」
桃太郎の助けはない。首が胴を離れては、返事もできない。犬は身体をひねると鬼の腕に噛み付く。驚いた鬼は手を放す。地面に落ちるが、囲まれた。だが犬は素早い。鬼たちの足の間を潜り抜け、頭だけになった桃太郎をくわえる。せめて、これだけは。犬は駆け出す。乗ってきた舟めがけて。犬の足に鬼は追いつけない。海岸はもうすぐだ。着いた。しかしそこに舟はなかった。粉々になった板切れだけが、海を漂う。ただ鬼たちがこちらを見ていた。退路は断たれた。犬は桃太郎の頭を捨て、夢中になって逃げまくる。鬼ヶ島中を走って走って。疲れて、疲れ果てて。
やがて鬼の鈍足が犬に追いつく。犬にはもう、逃げる元気はない。金棒が犬の頭に落ちてくる。落雷のように。ギャンッ。四方から鬼の手が伸びる。犬の耳が、鼻が、尾が。誇りが奪われていく。
バリボリ バリボリ
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桃太郎~after story ぶんぶん @Akira_Shoji
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