第26話
真紅の鎖に囲まれたテレサ様は、しかし、それらをまるで気にも留めずに、いつも通りの淡々とした表情で、ひょいひょいとヌイグルミの影を量産し始める。
「むしろ鎖は奴隷の象徴的」
淡々とした雰囲気のままに、更に淡々と口撃まで挟んでいく。
この状況で煽る余裕すらあるのだから、テレサ様の強心臓には頭が下がる。
「ふんっ! 言うではないか!」
グリッズは中空に赤い鎖を出現させ、優雅に周囲を歩きながら、生み出した鎖を張り巡らせる続ける。
その光景は、もはや鎖というより蜘蛛の糸だ。
「いいのか、のんびりとして。我のフィールドは出来上がりつつあるぞ」
さっさと大技でも放って、一気に決めてしまうのかと思いきや、グリッズはしっかりと準備を整えつつ、相手の出方を窺っている。
彼は増長しているし、同時にやはり油断もしているのだろう。
今更、中界の人間などに負けるとは一ミリも思ってはいまい。
だが、それで普段の戦い方を変えるような愚か者ではないということか……それくらいの慎重さなくしては、魔王にはなれないのかもしれない。
「貴方は中界を侮っているけれど、この世界にやってきたばかりの貴方は勝手も分からない。そこは私が有利」
そう、こちらにも有利な要素は存在する。
魔界人は強力な魔法を使うことが出来るが、しかし、中界では恒常性により、そこにズレが生まれる。
普段通りには行かないだろう。
「それが思い上がりなのだ!中 界と魔界の差は恒常性だけではない。最大の差は想像力よって生じる! 貴様らの狭い世界では、決して育たぬものだ!」
そのセリフと共にグリッズの指先が振り下ろされる。
その細長い指先に従うように、天で創造された鎖が、テレサ様に向かって、ジャラジャラとした高い音を響かせながら高速で迫っていく。
影のクマが鎖を払うように、その太い腕でガードしようとすると、意思を持つ蛇にも似た動きで、鎖は滑らかに腕に巻きつき、締め上げていく。
というか影を当たり前のように縛っている!
これが想像力というやつの差なのか?
「これまで見てきた可能性が違うのだ。貴様ら中界人は、制限された中で想像力を、魔法を鍛えてきたのだろうが、そんなのは無駄でしかない」
語りながらもグリッズはその手を緩めることはしない。
赤い鎖が輝くようにその赤さを増していくと、その発光に伴うように、影の輪郭も歪んでいく。
「不可能が可能であることを目撃した者こそが、非常識が常識に変わる瞬間を味わった者こそが、そして、広く自由に鍛えたものこそが! 真にその道を極められるのだ!」
グリッズの力強く握り込まれた拳のように、鎖はグシャリとその身を縮めて、握りつぶされた影はあえなく離散した。
「制限されたからこそ、見えるものもある」
クマが縛られている隙に、テレサ様は次の行動に移っていた。
テレサ様が生み出した影は六匹。
たった今、クマがやられてしまい現在は五匹だ。
以前は五匹が限界だったテレサ様の影魔法だが、今回は六匹まで増え、その追加されたヌイグルミはタカだった。
テレサ様はコブタに跨ると、影の動物たちと共に、グリッズに向かって突撃していく。
途中に、当然、張り巡らされた鎖が波のように動き初め、テレサ様を縛り上げようと邪魔が入るが、それを器用に避けつつ、少しづつグリッズに迫る。
鎖の攻撃によって一匹、また一匹とその姿をかき消されていく動物たちだが、テレサ様はなんとか自身が跨るコブタは死守し、グリッズの横合いまで接近する!
がんばれー!テレサ様ー!
応援することしかできない自分の身が恨めしい!
けど、あっと一歩だ!テレサ様ー!やっちまえー!
だが、私の心中の応援も虚しく、寸前でグリッズの足元から伸びてきた鎖によって、コブタが一瞬でしばりあげられる。
背後に隠しておいたのか!
「さて、これで貴様の影魔法は打ち止めか?」
全ての影を失い、グリッズの側で座り込むテレサ様は何故か後ろ手で、何かを探すように手を動かしている。
何か逆転の一手があるのだろうか。
「まだいる」
テレサ様が手を広げると、タカがそこから飛び立っていく。
コブタだけでなくもう1匹守りぬいていたのか!
「そいつも含めて打ち止めだと言っている!」
グリッズはそんなものは当然、見抜いていた。
まだ手元に残しておいた鎖によって、そのタカを縛り上げようとする。
けれど、一つ、見落としていた事があった。
テレサ様がその手から放ったものは、タカだけではなかった。
それはまん丸で、頭に長い耳がある謎の影。
「私の魔法は確かに未熟で不自由……全ての影は操れない。けれど、貴方のそれなら操れる」
テレサ様がその手から放ったもう一つの影。
それは、グリッズがずっと被り続けていた兎の被り物の影だった!
タカの爪に握られ状態で放たれたその影は、テレサ様がひっそりと背後に手を回し、具現化させたグリッズ自身の装備の影。
そうか、あれもヌイグルミと同じ系列なんだ!
「しまっ……!」
投擲された兎頭の影は、グリッズの頭部に直撃し、装着していた被り物を弾き飛ばす。
被り物によって被り物が外された!
当然、そうなると、中身の顔が明らかになる。
兎の被りもので、隠され続けていた魔王の素顔は……凄いイケメンだった。
魔界人のお約束で、髪は紫と黄色が混ざり合ったもので、非常に毒々しいが、しかし、それすら似合っている端正な顔つき。
魔界人は美形しかいないらしい。
「ぐっ……落ち着け我! 中界で顔を晒したからといって何も変わらん! 噂など噂だ……!!!」
言い聞かせるように、頭を抱えるグリッズは明らかに動揺していた。
やはり、中界への忌避でビビっている部分は結構あったらしい。
その巨大な隙に襲いかかりたいテレサ様だが──残念ながら、もうエンジン切れのようだった。
六匹、いや兎の被りものも合わせて七匹の影を操る作業は脳にとって相当な重労働だったらしく、息を切らして、地面に伏している。
「舐めた真似をしてくれたな娘!」
怒号と共に、振り下ろされる鎖がテレサ様に迫る。
僕は全力で走った。
『メイド技術その7〝
シロフィーのその声と共に、世界はゆっくりと流れ始め、僕の走りは加速する。
鎖とテレサ様の間に余裕を持って、僕は入り込んだ。
そして、鎖を掴み取る。
手に握られた赤く発光する鎖の感触は、焼くように熱いが、そんなものは問題にもならない。
グリッズはその露わになった鋭い紫色の瞳で、驚いたように、僕を見つめる。
けれど、今はテレサ様だ。
「テレサ様、ご立派でしたよ……! 魔法の訓練はこれくらいでよろしいですか?」
背後で蹲るテレサ様は、僕の顔を見るなり、にっこりと微笑んで、呟くように言った。
「うん……後はお願い」
「はい、お願いされました!」
もう十分にその魔法が分かった上に、グリッズは冷静さを完全に失っている。
準備万端とはこのことだろう。
魔王であろうとなんだろうと、少しも恐ろしくはなかった。
「メイド……そうではないかと思っていたが、美しいだけではなかったか」
「ええ、棘があるんです」
握り込んだ赤い鎖の強度を確かめるために、左右に引っ張りながら、そんなことを言ってみると、グリッズは何が可笑しいのか、笑い始めた。
ギャグセンスには自信があるほうだけども!
「……はっはっはっ!丁度いい、コケにされた礼は貴様に払ってもらうとする!」
「私が貴方にあげられるものは、この鉄拳くらいですよ」
「いいや、我が勝ったら貴様を連れ帰り……嫁にでもしてやろう」
その瞬間、僕の全身を駆け巡る恐怖!
そして背中を伝う寒気!
こいつなかなかの変態……!
『いや、変態なのは貴方で、グリッズは普通に魔王的な発言してるだけですよ』
普通に魔王的な発言ってなんだよ!
嫁になんてならないぞ僕は!
「ぜっっったいに嫁などにはなる気はありませんが、ぜっっっっっっったいに貴方に負けるわけもないので、貴方が勝ったら嫁にでも何にでもなってあげますよ」
「ふんっ、十魔王相手に随分な発言だな」
そう、ぜっっっっっっっっっっったいに負けるわけがない。
十魔王だろうが、なんだろうが、大きな理由がそこにはある。
だって、もう既に勝っているのだから。
「貴方はただの負け犬ですよ。テレサ様が既に勝負は決めてくださりました。だから、今から行うのは戦いではなく、お掃除です。メイドとしての、お掃除」
掃除ならもう慣れたものだ。
少しくらい大きなゴミでも、さっと片付けてしまおう。
そういえば、シロフィーは昔、こう呼ばれていたらしい。
〝掃滅のシロフィー〟と。
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