第222話 平和
「"平和"は一つではないと思います」
少し考えてから、ユキが答えた。
「えっ?」
予想していなかった言葉に、レンは戸惑った。
「私の"平和"と、レンさんの"平和"は似ていると思いますが、詳しく照らし合わせると違っている部分があるはずです」
違う人間である以上、まったく同じことを思い描くことは有り得ないと、ユキが言った。
「私は、そう思っています」
「……そうか。そうなのかな」
レンは、真っ直ぐに見つめてくるユキの双眸から眼を逸らした。
「レンさんが考える平和を教えて下さい」
「僕の……"平和"」
足下に視線を落とし、レンは"平和"という言葉を小さく呟いた。
辞書を引けば"平和"の意味は載っている。
ただ、ユキは"平和"は一つではないと言う。
人それぞれに"平和"があるのだと……。
(戦争とか……そういうのがない状態で……戦技教練とかやらない学校に通って……射撃訓練じゃなくて、なんか……スポーツをやって……彼女とデートしたり……)
"死"というものを意識しないで暮らすことが"平和"だろうか?
住む場所や食べ物、着る物のことを心配する必要がない状態のことか?
憎まれたり、差別されたりしないこと?
様々な形の暴力が向けられない状態?
気の合う友人や恋人に囲まれて過ごすこと?
趣味や仕事に夢中になっていること?
("平和"……難しいな)
なんとなく、目指すべきもののように捉えていたが、具体的に何を達成すれば良いのだろう?
いや、そもそも誰もが納得する"平和"というものがあるのだろうか?
地球どころか日本に限っても、利害が一致する人ばかりではない。
『イデオロギーというの? 観念? 信じる条理などもバラバラなのでしょう? それを
視界に、2頭身の"マーニャ"が現れた。
(それは……
『できるだけ大勢の人間が納得できるように、"平和像"の最大公約数を求めてみる?』
"マーニャ"が小首を傾げる。
(それも、何だか……おかしいです)
レンは軽く頭を振った。
納得ができない部分を残したまま、妥協を押しつける形になるだろう。
(でも……)
『どこかを我慢してもらわなければ、共通の"平和"は思い描けないでしょう?』
(共通の"平和"……)
どこか、しっくりこない言葉だ。
『誰かに"平和"を考えてもらう? そして、その"平和"を自分にとっての"平和"にする?』
腕組みをした"マーニャ"の頭上に吹き出しが浮かぶ。
(それは……)
自分が感じる"平和"とは違っている可能性が高い。仮に、多くの部分が共感できたとしても……。
("平和"って、何だ?)
レンは、難しい顔で考え込んだ。
『戦争が起きていない状態だけが"平和"の要素ではないのでしょう?』
(まあ……そうですよね)
国と国の関係であれば、戦争が起きていない状態を平和だと言うのかもしれない。
ただ、人と人の関係だとどうだろう?
『喧嘩をしていない状態とか?』
"マーニャ"が訊ねてくる。
(……喧嘩にも色々ありますし……口論くらいは誰だって)
端から見ると喧嘩をしているようでも、当人同士はじゃれ合っているだけということだってある。
『あら? そういえば……私は、マイチャイルドが口論している現場を見ていないわ』
(そうですか?)
『口論どころか、誰かと喧嘩をしたことがないと思うのだけれど?』
(戦闘はいっぱいやりましたけどね)
レンは苦笑を漏らした。
確かに、誰かと言い争ったり、殴り合いの喧嘩などはしていない。
口喧嘩くらいならまだしも、殴り合いは論外だ。どんな相手でも即死してしまう。
『遠慮? 自重をしていたの?』
(自重というか……これまで、そういう感情が起こりませんでした)
そう答えつつ、レンは記憶を辿った。
これまで意識したことはなかったが、確かに所謂戦闘以外で他者と争った記憶はない。
いつだろう?
喧嘩らしい喧嘩をやったのは……。
強いて言うなら、イーズの商人に腹を立てた時くらいか?
あの時も腹が立っただけで喧嘩をしたつもりはない。
(う~ん……)
自分は思っていたよりも穏やかな人間なのだろうか?
『それは、とても酷い飛躍よ!』
"マーニャ"が首を振る。
(でも、本当に喧嘩をした記憶がないんですよ?)
『マイチャイルドは、
2頭身の"マーニャ"がレンを指差した。
(
レンは内心で首を傾げた。
『そういうところよ!』
(えっ?)
『そこで、ガァーーーっと燃えるのよ! なんて酷いことを言うんだって吠えるのよ! 激情の発露よ!』
(いや……吠えるって……犬じゃないんですから)
『……びっくりするくらい感情の振れ幅が小さいわ』
"マーニャ"が、がっくりと肩を落とした。
(僕が喧嘩したら駄目でしょう? 多分……いや、絶対に相手が死んでしまいますよ)
自分でも限界が分からないくらいの戦闘能力を保有している。
温和しいくらいで丁度良いと思うのだが……。
『ダメダメね』
溜息を吐いて、視界から2頭身の"マーニャ"が消えた。
代わりに、等身大の"マーニャ"が姿を現す。
「恋人さん、マイチャイルドが大変よ!」
"マーニャ"がユキに近寄って言った。
「どうしました?」
「喧嘩ができない男子に育ってしまったわ!」
「戦闘は沢山していますよ?」
ユキが首を傾げる。
「戦闘ではなくて、喧嘩よ! 主義主張をぶつけあう魂の闘争よ!」
「議論のことでしょうか?」
「気概が足りないのよ! 相手を論破してやろう、やり込めてやろうという熱量が絶望的なくらいに不足しているわ! パッション不足よ!」
「その方が格好良いです」
「嘘でしょう? それはおかしいわ! 信念を曲げずに闘う、熱い男の子の方が格好良いでしょう? 少々間違っていても、ガツンと自分の主張を押し通すくらいの気魂が必要よ!」
"マーニャ"が目を剥き、拳を握って熱弁を振るう。
「何についての信念かによります」
「どうして?」
「何もかも、"曲げない" "譲らない"では困ります」
「……そうね。それは駄目ね」
"マーニャ"が腕組みをした。
「それに……」
ユキがレンを見た。
「レンさんは、地球で一番強いでしょう?」
「地球だけではないわ。マイチャイルドは、私が知覚できる空間内において比類なき強者よ!」
"マーニャ"が両手を腰に当てて胸を張った。
「強者だからこそ、他人に優しくできる……ゆとりを持つべきだと思います。強者が自分の主張を押し通すばかりでは困ってしまいます。そういう意味で、変な熱量は無い方が良いです」
ユキがレンを見つめたまま言った。
(なんか、おかしい)
先ほどから論点がズレている。
レンとしては、とても居心地が悪い状況になってきた。
"平和"はどこへ行ったのだろう?
「でも、主張すべき時に主張できない男は駄目よ! きちんと自分の言葉で自分の思いを語ってみせないと!」
「どれだけ会話が上手で、立派なことを言ったとしても、行動が伴わない男性に魅力は感じません」
「貴女、本当に16歳? とても手厳しい意見を持っているわね。でも、自分の意見を持たない男の子は頼りにならないでしょう? 苛々しないの?」
「私はもう……全てが良く見えてしまうので……ただ、今の世界を生き抜くことを目的とするなら、レンさんより頼りになる男子を見つけることは難しいと思います」
ユキが耳の辺りを赤くしながら視線を伏せた。
「マイチャイルド、出番よ!」
「いや、そこで急にふられても……」
「そういうところよ!」
"マーニャ"がレンを指差し、糾弾の声をあげた。
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"平和"についての話が脱線した!
レンが"平和"ではなくなった!
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