第214話 殺菌消毒


 冷え切った空間の中に、乾いた銃声だけが響いている。

 

 閉じた空間で、レンがユキの姿で現れるコンヴィクタと戦っていた。

 

 予想通り、コンヴィクタはレンの記憶を読み取って、感情が揺さぶられるであろう人物の姿を利用した。

 

(なのだけれども……)

 

 "マーニャ"が小さく溜息を吐いた。

 

 相手に嫌な思いをさせることでしか"動揺"を仕掛けられないことが、コンヴィクタの限界であり、生命を観察することができない疑似生命体の限界なのだろう。

 

 コンヴィクタを消滅させるには、思念戦で粘り勝つしかない。

 

 仮に"マーニャ"が相対したなら、数百年という単位の戦いが続くことになる。

 

 恐らく、"マーニャ"が競り勝つはずだが、それを試すことは、それだけの時間をコンヴィクタに奪われることを意味する。

 

 それは、極めて退屈で無価値な時間の喪失だ。

 

 "マーニャ"にとって、退屈することは自らを滅ぼす猛毒となる。

 

 だから、コンヴィクタの存在を迷惑だと思っていても衝突を避けてきた。

 

(でも……今回だけは譲れないわ)

 

 レン達には伝えていないが、宇宙は笑えない状況に陥っていた。

 

 知的生命体による物質文明のほとんどが滅ぼされてしまい、マーニャが識る限りにおいて、地球は"物質文明が最も繁栄した惑星"になった。

 

 他にも存在していた文明は、コンヴィクタを筆頭にする迷惑な連中によって蝕まれ、滅んでしまった。

 

 無論、"マーニャ"にしても、宇宙の全てを把握しているわけではない。

 

 ただ、マーニャが観測できる範囲においては、地球以上に繁栄をしている物質文明は存在しない。

 

 だから、護らなければならなかった。

 

 ただ、"マーニャ"だけではどうにもならない。

 

 物質文明側に、理解者と協力者が必要だった。

 

(レンと巡り会えたのは幸運だったわ)

 

 今にして思えば、恐ろしく低確率の当たりくじを引き当てたものだ。

 

(何と言うのだっけ? とみくじ? 宝くじ? そういうやつね!)

 

 "マーニャ"は手でぶら下げている虫籠を見た。

 

 虫籠の中から、身の毛がよだつような苦鳴が聞こえる。

 

 思念の悲鳴だった。

 

 仕掛けたコンヴィクタが、もう止めろと怒鳴り、やめて欲しいと懇願し、ついには啜り泣きを始めていた。

 

(……悪手だったわね)

 

 すでに内包する思念エネルギーが7割以上消滅している。

 

 この空間にいる限り、再生することはできない。

 

 マーニャがそれを許さない。

 

 そして、何よりもレンが攻撃の手を緩めない。

 

(物質文明は宇宙に大量のゴミを撒き散らし、戦争で恒星を破壊することもある。それは事実なのだけれど……だからと言って、存在そのものを否定すべきではないわ)

 

 虫籠を自分からできるだけ遠ざけてぶら下げつつ、"マーニャ"は感覚を拡げて外の空間に触れた。

 

 そろそろ、元の宇宙空間に戻る頃合いだ。

 

(計算より少し早いかしら?)

 

 機人化したレンの体を保護しているエネルギーを虫籠の方へ分配できるようになる。

 

 そうなれば、中で奮闘しているレンを支援できるのだが……。

 

(必要なさそうね)

 

 "マーニャ"は、虫籠を覗こうとして慌てて身を引いた。

 

 すでに、コンヴィクタが地球人の姿を失い、アメーバのような形状になっている。その体の表面を、レンの記憶にある人間の顔が埋め尽くしていた。

 

 そして、レンが怒っている。

 罵るわけではなく、怒鳴ることもせず、冷え切った眼差しを注いで、9ミリ自動拳銃を構えて、引き金を引いていた。

 

 虫籠の中に、物質は存在しない。

 

 思念が支配する空間だ。

 

 レンが撃っているのは、コンヴィクタという存在を根絶させようという意思の弾丸だった。

 

 傷を負っていたはずのレンは、何事も無かったかのように回復し、対するコンヴィクタは体表をざわつかせて次々に人面を浮かび上がらせながら這い回っている。

 

 それを、レンが撃つ。

 

 不幸なことに、コンヴィクタの声はレンには届かない。

 

 コンヴィクタの思念もレンには直接触れることができない。

 

 "マーニャ"がプロテクトをかけている。

 

(もう、気味の悪い姿を見せることしかできないわ)

 

 ある意味で、宇宙でも指折りの厄介者だった"コンヴィクタ"が、地球という惑星のまだ幼い生命体によって消滅され続けている。

 

(こんな役目を押しつけられて、私を恨んでいるかもしれないわね)

 

 記憶が不鮮明なためなのか、それが元来の性質なのか、大きな感情の変化を見せない少年だった。

 地球人の少年少女は、もっと感情の起伏が大きく、不安定な生き物という認識だったが、どうもレンという日本の少年には当てはまらないようだ。

 

(終わったら、どうしようかしら?)

 

 もっと先になると考えていたコンヴィクタとの決戦が、想定を遙かに上回る勢いで終結しそうだ。

 

 "マーニャ"は、地球の文明を保護するために、このまま滞在を続けるつもりでいる。

 

 ただ、コンヴィクタのような厄介な相手がいなくなるのなら、レンの中に居座る必要はない。

 

(マテリアルは戻せないけれど……制限をかけて地球人並に身体能力を落とすことはできるわね)

 

 しかし、地球を取り巻く状況がそれを許容するかどうか。

 

(あの創られた世界……ゾーンダルクのこともあるし、創造主? よく分からない存在が居るらしいから……このままかしら?)

 

 "マーニャ"がわずかに首を傾げた時、虫籠の中でコンヴィクタが存在を諦めたようだった。

 

 怒りに染まったまま揺るがないレンを前に、どうすることもできずに只々攻撃され、延々と削られて、追い込まれ……。

 

 全てを諦めて、ひっそりと消えていった。

 

(……同情はしないわ)

 

 "マーニャ"は、そっと虫籠の中を覗き見た。

 

 思念体の死骸とでも言うべき残滓を、レンが撃ち続けていた。

 

 虫籠は、このままコンヴィクタの棺桶になる。

 

(創造主というのが、同類でなければ良いのだけれど?)

 

 "マーニャ"は小さな溜息を吐いた。

 

 識らない存在に興味はそそられる。だが、中途半端に創造された"ゾーンダルク"が地球の文明を滅ぼしかけたのは事実だ。

 

 "鏡"は、ある種の文明交流のための仕掛けで、地球人を滅ぼそうという意図は無かったと、"ナンシー"は言っていたが……。

 

(やっぱり、レンはこのままね)

 

 本人の思いがどうであれ、このまま"勇者"を続けてもらう必要がありそうだ。

 

(あっ……見つけたわね!)

 

 "マーニャ"は、ほっと安堵の笑みを浮かべた。

 

 レンの小さなお友達が、邂逅する座標を見つけたようだった。

 

(マイチャイルド!)

 

 "マーニャ"は虫籠の中に思念を送った。

 

(……"マーニャ"さん?)

 

 レンの思念が返る。

 少し尖っていたが、怒りで我を失っている感じはしない。

 

(小さなお友達が、レンを見つけたわ! 高速艦で帰れるわよ!)

 

(……アイミッタが?)

 

(そうよ! もうすぐ、空間から弾き出されるの。それで向こうから認識できる場所に出るのよ!)

 

(コンヴィクタは? どうなりました?)

 

 レンが訊ねる。

 

(消滅したわ。お疲れ様……ミッション・コンプリートよ!)

 

(消滅……姿は見えませんが、消えているだけかも?)

 

(いいえ、あいつは存在することを諦めたの。もう、残り滓すら存在していないわ)

 

(……そうですか)

 

(嫌なことをさせたわね。御免なさい)

 

(えっ?)

 

(あいつ、嫌な姿を見せたでしょう?)

 

(止めを刺すことは、僕が自分で選択したことです。確かに、嫌な思いはしましたが……)

 

(残念なお知らせがあるわ!)

 

(何ですか?)

 

(悪いのだけれど、君の体はこのままよ!)

 

(ああ……それは構いません。創造主というのに会わないといけませんし、たぶん……まだ、色々ありますよね?)

 

(そうね。大きな脅威は去ったから、これからは今の環境下で、地球人が絶滅しないように……できるだけ文明を失わないように、護ってゆくことになるわ)

 

(何をどうやればいいのか……)

 

(まずは、休むことよ!)

 

(休む? そうですね。少しだけ……疲れました)

 

(あら? 邂逅が早まりそうね。あの高速艦、たいした性能だわ)

 

(ユキ達が来ているんですか?)

 

(予定座標めがけて、真っ直ぐに移動中よ! そろそろ、元の空間に弾き出されるわ!)

 

(僕はどうすれば?)

 

(念のため、殺虫剤を噴射するわ!)

 

(……えっ!?)

 

(嫌なら、さっさと戻っていらっしゃい!)

 

 "マーニャ"は、軽く笑いながらエアゾール缶を模したものを取り出した。




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レンは、コンヴィクタを消滅させた!


どうやら漂流しなくて済みそうだ!

 

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