第196話 鏖殺未遂
「……やっぱり」
香奈が呟いた。
「やっぱり?」
レンは香奈の顔を見た。
「ちょっと前にね。そういう……噂というか。そうなんじゃないかって話になったの」
「誰と?」
「クラスメイトよ。同じ地区の子が一緒に疎開してたから……レンは有名人なんだから。第九期の傷病特派生の写真が出回ったことがあったの。まだ、レンが"神の啓示"で紹介される前のことよ」
「そうなんだ?」
「その時の写真……ユキさんも映っていたわ。背景がおかしいから、コラージュかも?」
「どこで撮られたんだろう?」
「渡界者名簿の顔写真だと思う。データを書き換えたでしょう? 今はもう2人の顔写真なんて、どこを探しても出てこないわ」
「紙に印刷した物はそのまま残っていると思うけど」
「今時、印刷して残していると思う? 何もかもクラウドのボックスに入れるでしょ?」
「……まあ、そうかな?」
「戦技訓練校上がりの渡界生還者ということで、元クラスメイトの間じゃ、レンはヒーローだったのよ」
「……ヒーロー?」
レンは眉をひそめた。
「第九期の傷特者の情報を熱心に集めている子がいてね。その子が言ってたのよ。レンと……ユキさんが付き合っているんじゃないかって」
「ふうん?」
レンはユキを見た。
「きっと、まだ髪が無い頃の写真ですね」
ユキが淡い笑みを浮かべた。
「付き合うようになったのは、ほんと最近なんだけどね。ずっと……それどころじゃなくて、訳が分からないことばっかり次々に起きるから、対応に追われっぱなしだった」
レンは、小さく溜息を吐いて軽く頭を振った。
「レン君が何か大変なことをやっているのは分かっていたけど、詳しい事は何も……どうやっても調べられなかったのよ」
叔母が言った。
「"神の啓示"で、レンがロボットみたいな巨人になってたわ。あれって……」
「事実です」
「えっ? でも……」
叔母がレンの姿を見回す。
「少し長いんですが、呪文を唱えると、ああいう姿に変身します」
「変身? ロボットに?」
「まあ……そうですね」
レンは苦笑いを浮かべた。
「でも、人間なんだよね? レンは……その、矢上蓮でしょう?」
香奈が不安そうに表情を強張らせる。
「少し変わったかもしれませんが……僕は僕のまま……矢上蓮です」
レンは、叔母と従姉妹を見て小さく頷いた。
「あのロボットが、日本の領海に現れた米軍の船を全滅させたって……」
「トガシ教官ですか?」
「う、うん……ここ来る前に」
「まだ、そんな認識なんだな」
レンは小さく息を吐いた。
「レン君?」
「米軍の艦船が現れたのは日本の領海ではなく、"ナイン"の領海です。もう、日本には領海は残っていませんよ? "ナイン"の援助に対する対価として、国土の8割以上を"ナイン"に差し出したんですから」
「えっ!? どういうこと?」
「今、日本列島を実効支配しているのは"ナイン"という国です。まあ、支配というより保護……保全かな?」
「"ナイン"は……でも、レンが国王なんでしょう? レンは……日本人じゃないの?」
香奈が怪訝そうに訊ねる。
「僕は、"ナイン"人だ。日本人じゃない」
「でも、それは便宜的に……対外的に取り繕うためでしょう?」
叔母が不安げにレンを見つめる。
「僕は日本人じゃありません。もう、国籍が違うんです。地球上のどこにも、僕の国は存在しません。僕の国は、"鏡"の向こう側、ゾーンダルクにあります」
レンは、叔母の目を見ながら、ゆっくりと言った。
「……そんな……でも、国籍なら戻せるでしょ? あなたが望めば……」
「叔母さん……日本はもう国じゃないと思いますよ?」
「えっ?」
「精神的な支柱が残っているから、まだ日本があると信じている人達がいますけど、実態はもうボロボロです。国家の体を成しているとは思えません」
「で、でも、国会とか……総理大臣だっているじゃない。疎開村に来て、色々支援物資の約束をしてくれたよ」
香奈が言った。
「その支援物資は、全て"ナイン"が運び入れた品だからね? 各地の疎開村へ運んでいるのも"ナイン"の救援部隊。必要な幹線道路を修繕し、大型トラックが通れるようにしたのも"ナイン"だ。この列島で生きている人間を減らさないために、"ナイン"が必要だと判断した範囲で救援を行っているだけなんだ。その活動を、日本政府主導のものだと騙るのは気分が悪いな」
「それは……だって」
「"ナイン"は、"ナイン"を国家と承認した国を対象に支援を行っている。日本国が"ナイン"を国家と認めたのは、ずいぶん遅かったよ? そもそも、その何とか大臣は"ナイン"が国交を結んだ日本国には存在しないはずだけど?」
レンは、カフェの店員を呼んで飲み物のおかわりを頼んだ。
「少し話は変わるけど……ここの支払いは、"ウィル"という通貨で行うよね?」
「うん、だから……引率の教官達と一緒じゃないと何も買えない」
「"ウィル"を稼ぐ方法は?」
「ゾーンダルクとか、ヒトデのダンジョンでモンスターを斃して、その素材を持ち帰って売る?」
「……ポイントというのが換金できると聞いたわ」
叔母が補足する。
「日本国内でも、"ウィル"じゃないと物が買えなくなったでしょう?」
レンは叔母を見た。
「ええ……もう、円では何も買えないわ。"ウィル"が稀少過ぎて両替が成り立たないとか……そんな説明を聞いたわ」
「日本国は、"ウィル"をどのくらい持っていると思いますか?」
「どのくらい保有しているかということ?」
「はい」
「……ちょっと分からないわ。たぶん、多くは無いのよね?」
「"ウィル"をほとんど保有していないのに、警察や消防、自衛隊の人が日本国のために働いた対価をどうやって支払っているんでしょう? まさか"ウィル"に替えられない円で支払っているはずがありませんよね?」
「それは……お金じゃないなら、食料や水?」
「ゴキブリが大量に発生して、備蓄穀物が汚染されたことを知っていますよね? 日本が公務員に支給できるだけの食料を持っていると思いますか?」
「でも、だったら、どうやって……もしかして、アメリカが支援をしてくれてるの?」
「アメリカは滅びる寸前です」
「えっ!? アメリカが?」
「軍の上層部が魔王に乗っ取られて、"ナイン"領の小島に攻め込んで来たので、こちら攻撃を行って軍の主要施設を破壊しました。今は、わずかに生き残った人々が、高い塀に囲まれた町で暮らしているだけの大陸です」
他国を支援するどころか、滅びる一歩手前の状態にある。"ナイン"としては、国家が滅んでも、そこに生息する人間を必要数だけ保護すれば良い。
「じゃ、じゃあ、援軍は無いの? 他に大丈夫な国は?」
「そうですね……フィンランドは大丈夫そうです。次点でオーストラリアかな? 他は、大氾濫のモンスターが溢れかえっていますから……ゴキブリやマネキンの襲撃もありますし、ちょっと大変そうですね」
「フィンランドって……そんな遠くの国……私達は、そういう情報を持っていないのよ。日本がどうなっているのか、日本の周りがどうなっているのか……あのマネキンみたいなモンスターは何なのか、ゴキブリはどこにどれだけいるのか……いつになったら東京に戻れるのか。誰に訊いても分からないのよ」
叔母が額を手で押さえて俯いた。
「叔母さん、神様って信じますか?」
「……神様?」
香奈が訊き返した。
「"鏡"は、神様が作ったゲームが原因らしい」
「ゲームって……じゃあ、あの魔王が?」
「あれは、ただのプレイヤー……ゲーム自体を作ったのは、神様なんだって。こんな話、信じられる? 本気で情報が知りたいなら、こういうのを理解できないと駄目なんだけど」
苦笑気味に言ったレンの顔を、叔母と香奈がじっと見つめた。
「……本当なの?」
香奈が訊ねた。
「まあ、今のような滅茶苦茶な状態になったのは、神様のゲームを改ざんしようとした魔王が原因なんだけどね」
「蓮は、その神様に会ったの?」
「60年後には会えるかもしれない。まあ……会えなかったら、全人類をゾーンダルクか、宇宙のどこかに移住させないと駄目かもなぁ」
そう言って、レンは大きく伸びをした。
「えっと……神様というのは、何かの宗教の?」
「ああ、宗教じゃなくて、神様……のような存在と言った方がいいのかな? 今から2人が行くゾーンダルクを創った存在……それを"創造神"と呼んでいるんだ」
「ゾーンダルクって……巨大化した生き物がいっぱいいる惑星でしょ? 海しかなくて、地球の何百倍も表面積があるって聞いたわ。その人というか……神様が、そんな惑星を創ったってこと?」
香奈が言った。
「あれ? そういうのは知っているんだ?」
「異探協の渡界前講習で習ったから」
「そうか。ああ……旧異探協じゃなくて、シーカーズギルドの方が最新の情報を持っているから。何かを知りたい時は、シーカーズギルドへ行った方がいいよ」
「そうなの?」
「"ナイン"が運営している組織だからね。シーカーズギルドは全世界の、人類が生存可能な地域に存在している。その地域の国家が滅んでも、シーカーズギルドは存続するから」
「国が滅ぶって……」
「あのゴキブリが発生しなければ、自給自足ができる国は沢山あったと思うけど……ああ、やっぱりか。本当に鬱陶しいな」
レンは、補助脳が表示した情報に目を通して露骨に顔をしかめた。
「蓮、なにかあった?」
「トガシ教官に命令したのは……防衛事務次官か。それに命令したのは防衛大臣? どうして、こんなくだらない事をやるのかな?」
レンは溜息を吐いた。
「……蓮?」
「もう、こういう幼稚な遊びはウンザリだ。"ナイン"が、日本への支援を打ち切らないと思っているのかな?」
不快な気分を露わに顔をしかめ、レンは叔母と香奈を見た。
「蓮、どうしたの?」
「あのね、蓮君……」
「僕が姿を見せて接触すれば、2人が利用されると分かっていたから……だから、2人には連絡をしなかった。日本の対応には苛ついたし、それでも我慢して付き合っていたのは、叔母さんと香奈のことがあったからなんだけど……」
レンは、ユキを促して立ち上がった。
「こうなったのも、僕に責任があるということかな。2人を巻き込んでしまったことを謝罪します。そして……僕のことを気に掛けてくれていたことを感謝します。今までありがとうございました」
レンは、強張った表情のまま頭を下げた。
「蓮……?」
「蓮君!」
「いつか、こういうことも笑い話にできる……そういう日が来ると……今は、そう思いたいです。これ以上は……ちょっときつい」
呻くように言ってレンは立ち去ろうとした。
その時、
「レンさん」
拳を握りしめたレンの手を、ユキがそっと包むように掴んで引き止めた。
慌てて立ち上がった香奈がテーブルを回り込んで蓮の前に立つ。
「蓮、なにか誤解してるよ! 私達は、何かを聞きだせとか、そういうのは言われてないよ? ただ、蓮と出会う可能性があるのは、こちらのステーションだからと言われて、それで連れてきて貰っただけよ。ねぇ? お母さん?」
「……御免なさい」
「お母さん?」
香奈が目を見開いた。
「講習会で香奈が席を外していた時に、それらしいことを言われたのよ」
叔母が悄然と肩を落とした。
その様子を見て、レンの中に沸々と怒りがこみあげてきた。無論、叔母に、こんなつまらない真似をさせた日本政府に対しての怒りだった。
「レンさん、大丈夫ですよ?」
ユキがレンの手を握ったまま微笑んだ。
「ユキ……?」
噴火しそうだった激情が、ユキの双眸に見つめられて揺らぐ。
「レンさんのことを知りたい人は世界中にいっぱい居ます。だって、ヒーローなんですから」
ユキの双眸が仄かな笑みを湛えた。
「……初めて聞いたよ、そんなの」
レンは、視線を逸らして俯いた。
「全部、教えてあげましょう。必要な資料はここのギルドで全て揃います」
「公開している情報ばかりだよ?」
「叔母さんと香奈さんに、全部教えてあげましょう。それで、どこかの暇な人達が安心します」
「話したところで、信じてくれないと思うけどな?」
"存在が認識できない"存在の話など、信じる信じない以前の話だ。理解しようとすらしないだろう。
また、自分達が理解できる"真相"を探るために叔母達か、他の人間を使って接触してくるだろう。
「信じてもらう必要はありません」
ユキが小さく頭を振った。
「そうは言うけど……」
「レンさんは、これから色々と忙しくなるでしょう? こうして、2人と会って話す時間は貴重だと思います。頭の悪い人達のことは放っておいて、今を……この時をもう少しだけ大切に過ごしませんか?」
小さく首を傾げたユキが、レンを見つめて微笑んだ。
こうなると、もうレンの負けである。沸点を超えかけていた激情は、どこかへ片付けられてしまった。
「今、宇宙で戦争やってますって……信じられる? 無理でしょ?」
小声でぼやきながら、レンは椅子を引いて腰を下ろした。
「タシロナさんも、カナタさんも座って下さい。レンさんは、これから宇宙で戦争です。ゆっくりお話をする機会は、しばらく無いと思います」
ユキに促されて、叔母と香奈が俯きがちに座り直した。
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レンが、爆発しかかった!
ユキが、あっさり鎮火した!
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