第169話 救援隊
「同盟国のモデウス上陸阻止は概ね成功だったみたい。少し被害が出たようだけど……うちの医療ステーションを受け入れたところは死者は出なかったわ」
キララが朝食のモーニングセット(和食)を食べながら報告する。
「"ヒトデ"用の借地も、思ったより簡単に契約できたぜ。"鏡"とモデウス、ナイトメアのクリーチャーに対応するだけで手一杯だ。"ヒトデ"からモンスターが出ないようにするという"ナイン"の提案は渡りに船といったところか。フィンランドなんか、医療ステーション用の土地まで用意したからな」
ケインが焼き魚を毟りながら言う。
お台場にある"ヒトデ"島の隣、少し前まで国際展示場などがあった島の上だった。
某国が大量に降らせた極超音速ミサイルによって瓦礫の山となった場所に、仮設の大型テントが張られ、食堂や日用品の売店、温浴施設などが造られていた。
"ナイン"の排他的経済領域となっているが、"ナイン"の国民だけでなく、防衛任務中の自衛官や保安要員の他、瓦礫撤去用に雇われた労働者など、日本政府が利用許可証を与えた者達なら自由に利用できる施設になっていた。
「もう、これ以上の改変は起こらないんですよね?」
レンは食堂の奥へ目を向けながら訊ねた。
温かいお茶を貰うために厨房前のカウンターへ行ったユキが、数人の男女に囲まれていた。
(……誰だ?)
ユキが"ナイン"の重要メンバーだということは知られている。興味はあるが、気安く話しかけることは避けている……そういう雰囲気だったのだが。
レンの疑問に答える形で、ユキの周囲に集まった男女についての情報が表示された。情報源は警視庁が監理しているビッグデータだ。
(渡界者……1人は、公安調査庁所属か。にこにこしている男と女は国籍不明で、残りは……元留学生?)
無視してお茶の準備をしているユキに熱心に話しかけながら、意識の半分はレン達が座っているテーブルの方へ向けている。
(こんな世の中で、スパイごっこ? もう、日本から出ることも難しいと思うけど?)
半ば呆れながら、レンは席を立ってユキのところへ向かおうとした。
その時、ユキを囲む男女が崩れ落ちて床に転がった。
(あぁ……)
間に合わなかった。
「お待たせしました」
ユキが、アルミ製のトレイに緑茶の入った大きな急須と湯飲みを載せて戻って来た。
「日本政府が許可をした人達ですよね?」
ユキが湯飲みにお茶を注ぎながら言った。
情報は共有している。
「日本の厚生労働省と国交省と経済産業省が作った団体が交付しているらしい」
「通商条約を結ぶ方は時間が掛かっているのに、その団体を作ることは早かったですね」
ユキの声が冷え冷えと尖っている。
「うん……日本国内のことだから……かな?」
レンは苦笑を浮かべながら、近づいてくる人影へ視線を向けた。
公安調査庁に所属している男だ。
年齢は38歳。上森浩介と名乗っているようだが、本名は磯谷信二となっている。渡界経験者で、異界滞在時間は累計で261時間。約10日間の滞在経験があるようだ。
家族の租界地は長野県の木祖村。レンの視界には、妻子の氏名や年齢、顔写真、現在の住所まで表示されていた。
「どうも……私、こういう者ですが」
男が名刺を差し出した。『上森浩介』の名刺だ。フリーのジャーナリストという肩書きになっている。
「どうぞ」
ユキが、レンの前にお茶の入った湯飲みを差し出した。
「ありがとう」
レンは礼を言って湯飲みを受け取った。
続いて、同じテーブルに居るキララ達にもお茶が配られた。
「ええと……ああ、ケインさんでしたね? 外交トップの……」
男が名刺を持った手をケインの方へ向ける。
「改変のことだけど、残念ながら……分からないわ」
お茶を啜りながら、キララが答えた。
「まだ何か変わるんですか?」
「滅亡シナリオが進行すると、地殻変動が連続して起こることになるわ。気象が変化するほどの変動だから……改変と言っても良いかもしれない」
「ダイスを上手く転がせば、局地的な地殻変動に限定できるぜ」
ケインが言った。
「そのダイスはどこに?」
「さあな……それらしい物は観測できていねぇんだが……ゾーンダルクのように空に現れるんじゃねぇか?」
「まだ、ゲームマスターが誰なのか……どこにいるのか分からないのよ」
「ゲームマスター?」
「あの……すみません」
男が名刺を手に声を掛けてくる。
「そこのお巡りさんチーム、こっちに来てぇ~」
不意に、マイマイが大きな声で言いながら手を振った。少し離れたテーブルに座っている男女が困惑顔で顔を見合わせている。
「公安の磯谷信二さんが煩いんですぅ~」
マイマイが、『上森浩介』の名刺を持って立ち尽くす男を指差した。
「公安が嗅ぎ回るってことは、日本政府の指示だな。"ナイン"と戦争でも始めるつもりか?」
ケインが男の顔を見た。
「ああ……いや、私はそういう者では……」
「もう、そういうのいいよぉ。情報ダダ漏れだからぁ~」
マイマイがタブレット型の端末を男に向けて見せた。そこに、顔写真入りで、男のプロフィールが表示されている。
「……これは……いや、その……失礼しました。今回のことは私の独断で……」
「とりあえず、日本政府には厳重注意をしておくぜ? このテント村は、試験運用中だ。そっちが面倒を起こすなら、畳んで更地に戻すぜ?」
「申し訳ない。そういうつもりじゃ……」
「はい、バイバイ。もう、いいから、あっち行ってぇ~」
マイマイが手を振って追い払う。
「せっかく、ご飯が美味しかったのに……なんか、台無しね」
キララがお茶を飲みつつ笑う。
「そうか? 想定より、静かに食えた方だろ?」
もっと煩くつきまとう連中がいると思っていたのだが……。
「あちらの人達はどうしますか?」
ユキが厨房前の床に転がった男女へ目を向けた。ユキにすり寄ってきた時の笑顔のまま昏倒している。
「放っておきましょう。警察が放置しているんだから」
キララがテーブルに座って何やら話し合っている男女を見る。
全員が現役の警察官だった。内、渡界経験者は2人。"ナイン"が陣取るテーブルから5メートルほどの位置に座っているのは偶然ではないだろう。
「監視ぃ~? 護衛ぃ~? どっちなのぉ~?」
マイマイが"お巡りさん"チームに大きな声で訊ねる。
「氏名年齢から所属組織や部署、ついでに家族構成や居住地なんかを読み上げようか?」
キララが言うと、腹をくくったらしい"お巡りさん"チームが席を立って近づいて来た。
「何か用があるの? それとも、ただ見ているだけ? はっきりして欲しいんだけど?」
「いえ……私達は非番でして……」
年長らしい四十前後の男が頭に手をやりながら笑みを浮かべた。
「山村井さんね。こっちが苛つくようなことばかりして……もう、日本は外交を放棄したの? 日本政府が備蓄用として確保した米や小麦、トウモロコシが汚染されているのに、私達に喧嘩を売るとか正気?」
「いや、そのような……そんなつもりではありません。ただ、ここがどういうところか興味があっただけで……彼らには後学のために集まってもらいました」
男が慌てた様子で訂正しつつ、連れを振り返る。
「白いゴキが、東京の地下で大繁殖しているんでしょ? こんなところで遊んでいないで退治に行ったら?」
キララが並んでいる若い男女の顔を見回した。
「我々は治安を守る方が仕事でして……まあ、これだけ疎開が進むと、それも虚しくなりますが……」
「暇なの?」
「え? ああ……まあ、忙しくはないな」
「全員、渡界済み……滞在時間は、2週間ちょいね」
タブレット型の端末を見ながら、キララが呟いた。
「……筒抜けだな。どこに置いてある情報かな?」
「誰が記入したのかは知らないけど、過去の交際相手まで載ってるわよ?」
「なんだって!?」
「ふうん……日本政府から正式な指示は出ていないのね。どっかの議員か、警視庁のお偉いさんからプライベートなお願いでもされた?」
「……非番だと言ったろう? 興味本位で足を運んだだけだ」
「テロ対策チームのメンバーが勢揃いで?」
「非番の時も、チームとして一緒に行動することが多い」
「政府備蓄米がどんどん汚されているのに、警視庁の対テロチームがこんなところで何をやってるの?」
「だから……非番で」
男が言いかけた時、
「ああ、レン君! ここに来ていたのか!」
大きな声と共に、大柄な自衛隊員が近づいて来た。後ろを、男女2名の自衛隊員がついて来る。
「トウドウです! その節はお世話になりました!」
自衛官が、豪快に筋肉が盛り上がった大きな体を揺らして大股に近づいてくると、レンに向かって敬礼をした。後ろで、男女が苦笑気味に敬礼をしてみせる。レンとは顔なじみの、イトウとカザマだった。
「元気そうですね」
レンは、空いている椅子を引いて座るように勧めた。
「ナイン国に亡命を申請するために参りました!」
「……えっ!?」
「上からは、亡命のふりをして内部から"ナイン"を探るように命じられましたが、自分には無理です!」
「亡命?」
レンは呆気にとられつつ、助けを求めてケインを見た。
「いや、そういうことは、もっと小さな声で言うもんじゃねぇか?」
ケインも呆れている。
「くだらん腹芸などやっている場合ではないのです! そんなことをしていたら、日本は滅んでしまう! そもそも、自分は内偵など向いとらんのです! 何を考えているのか、上の連中は! くだらん! まったく、くだらんのです!」
トウドウが太い眉を怒らせて吐き捨てる。
「ちょっと補足をすると……私達だけでなく、レン君と面識がある自衛官には同じような命令が出ているみたい。私達は、"ナイン"が何を目的にしているのか、どういう野心を抱いているのか、実際どの程度の物資を供給可能なのか、以上3点を調査して報告するようにという命令を受けたわ」
イトウが説明する。
「同盟を結ぶ前に、信用調査をやっておこうってことじゃないかな? 君に泣いて縋らないといけないって時に、アホくさ……無意味なことをさせるよね。通商条約について、外務大臣が賛同を拒んでいるらしくて、その説得材料が欲しいとか……そんなことを言ってたかな」
冷ややかに言って、カザマが顔を歪めた。相当頭にきているらしい。
「なるほど……」
憤懣やるせないといった顔のトウドウ、幻滅顔で顔をしかめているイトウ、冷ややかな笑みを浮かべているカザマ……。
3人の顔を眺めて、レンは小さく頷いた。
「いきなり受け入れることはできません。色々、集まってきているようなので……」
床に転がっている男女を指差し、続いて近くで立ち尽くしている"お巡りさん"チームに目を向ける。
「何かあったんですか?」
トウドウが"お巡りさん"チームに向き直った。
「トウドウさん、正義の味方をやってみませんか?」
「……は?」
戸惑い顔で、トウドウがレンを振り返る。
「"ナイン"の国旗がついたトラックで、食料や衣料、医薬品を配る……その部隊を編成して下さい」
そう言って、レンはキララを見た。
前々から計画してあったことだ。ただ、実行するための人手が足りていなかった。
「食料を狙って襲ってくる人間がいるかもしれませんし、モンスターに襲われている地域に出向いてもらうことだってあります。荷台には、簡易型の治療ステーションを積載しますから怪我や病気の治療もできます。そういうトラックを運転して、日本各地を訪問する……救援部隊です」
「おおっ! いや……しかし、部隊? 私だけなら今すぐにでも可能ですが……」
喜色を浮かべたトウドウが、途中から困惑した顔になった。
「"ナイン"に所属している人を組織するんですか?」
イトウが訊ねる。
「いえ、トウドウさん、イトウさん、カザマさんが声を掛けて集めてください。食べ物と飲み物、衣服と医薬品、そして救急治療を提供するための部隊です」
レンの視線が、"お巡りさん"チームに向けられた。
「通商条約前だが……いいのか?」
ケインが笑みを浮かべてレンを見る。
「同盟国はどんどん協力体制を整えているのに、日本だけが遅くて苛々します。もう、面倒臭いです!」
「あははは……レン君、いいよぉ~」
「レン君がやりたいように、やっちゃって!」
マイマイとキララが楽しそうに笑う。
「トウドウさん、"ナイン"が特派する救助隊を組織してください。最速でお願いします」
レンは、トウドウの顔を見上げた。
「はっ! 拝命いたしましたっ!」
トウドウが興奮で顔を真っ赤に紅潮させて敬礼をした。後ろで、イトウとカザマが背筋を正して敬礼をする。
「ああ……その……我々も参加できないかな? 大型免許なら持っている。消防にも知り合いがいるが……」
"お巡りさん"チームが遠慮がちに声を掛けてきた。
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レンは、日本国政府を相手にすることを諦めた!
"ナイン"国の救援部隊を作ることにした!
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