第150話 白い尖兵


「結構、厳しい相手らしいな」

 

 ホテルのロビーで紅茶を飲んでいるとケインが近づいて来た。

 大手町にあるビジネスホテルである。建物の上の方は損壊していたが、低層部分は無事だった。もちろん、営業はしていないが、合流したキララ達が勝手に入り込んで宿にしている。

 当然、紅茶やお菓子類は、すべて自前で持ち込んだものだ。

 

「そうみたいです」

 

 レンは、小皿に並んだ焼き菓子に手を伸ばした。

 

「おいおい、他人事みたいに言っている場合か? 結局、体張るのはレン君なんだぜ?」

 

 ケインが苦笑気味に言ってレンの肩を軽く叩く。

 

「良い兵士は何も考えないそうです」

 

「ん? なんだそりゃ?」

 

「頭のおかしい教官の口癖です」

 

 レンの口元に笑みが浮かぶ。あの教官は、タガミに同行して渡界した後、無事に帰還したらしい。

 帰還後は政府の要請を受け、渡界経験者による特殊な部隊を率いる役に就いたと、メッセージが届いていた。

 

「あいつか。学生相手につまらねぇことを教えやがって……」 

 

「これ、美味しいですね」

 

 スポンジのようなお菓子を咀嚼しつつ、レンは紅茶のカップを手にとった。

 

「フィナンシエ? フィナンシェだったか、そんな名前だな」

 

 ケインがレンの向かい側に椅子を持ってきて座った。

 

「紅茶飲みます?」

 

 レンは、紅茶が入った保温ポットを手にとった。

 

「いや……」

 

 ケインがじっとレンの目を見ている。

 

「……なにか?」

 

「今朝、何食ったか覚えているか?」

 

「朝? ご飯と納豆です」

 

 レンは、ケインの目を見ながら答えた。

 

「昨日の夜は?」

 

「鶏の唐揚げとクリームシチュー……それと、塩パンでした」

 

「……きついか?」

 

 ケインが、レンの目を覗き込むようにして訊いてきた。

 

「えっ?」

 

「レン君の役回りだ」

 

「"勇者"ですか? ちゃんと宣言してきましたよ?」

 

 東京では、機会を見つけて"勇者宣言"をしてきた。もちろん、相手にされなかったが……。

 

「『第九号島の島主』『ナインの国家元首』……まあ、"勇者ごっこ"はオマケだが……君の年齢を考えると色々と背負わせ過ぎている」

 

「問題ありません」

 

 レンは首を振った。

 肩書きが増えても、何か特別な仕事が増えたわけではない。

 企画立案、プロジェクトの進捗管理はキララとマイマイがやり、対外交渉は全てケインが引き受けてくれる。実務上のレンの負担はゼロに等しい。

 

「そうだな。レン君はそう答えるよな」

 

 ケインが溜息を吐いた。

 

「変ですか?」

 

「ああ……」

 

 ケインが顔をしかめて頭を掻いた。

 何かを考えているようだったが


「どうも……こういうのは俺の柄じゃねぇよな」

 

「ケインさん?」

 

「上手い言葉が見つからねぇんだが……こう……なんというか、レン君は"私"が薄いと感じるな」

 

「……薄い?」

 

 レンは小さく首を傾げた。

 

「自分がやりたいこと、自分が感じたこと、自分が考えたこと……そういうものを隠しちまう。いや……隠すというのは違うな。意識してか無意識なのかは分からねぇが……抑圧して表に出さないようにしている」

 

 普段からそれが気になっていたところに、先ほどの兵士の話を聞かされて、このままではいけないと思ったらしい。

 

「だからどうしろってわけじゃねぇが……」

 

「……意識をして抑えている部分はあります」

 

 レンは、手にした紅茶のカップに視線を落とした。

 

「兵士であるために?」

 

躊躇ためらわずに引き金を引くために……撃つべき時に撃てない兵士はいらないでしょう?」

 

「レン君は、兵士がやりたいのか?」

 

「兵士しかできません」

 

「いや、それは違うだろう?」

 

「言い直します。兵士しかできません」

 

「ん?」

 

「僕には経験が足りません。知識は……勝手に増えているんですが、体験したことじゃないので、ただ知っているだけで……ケインさんのように交渉をして、相手を説得したり……そういうことはできないんです」

 

「あんなのは慣れだ。誰にでもやれる」

 

「情報を手に入れても、キララさんのように素早く分析して考えることができません。なんというか……僕の考える範囲が狭いんです。だから、せっかくの情報が纏められなくて、上手く生かせません。どうすれば良かったのか……今でも分からないことがいっぱいあります」

 

 ケイン達が"補助脳"を得ていれば、もっと上手に活用していただろう。

 

「あのなぁ……」

 

 ケインが乱暴に頭を掻きながら息を吐いた。

 

「俺達も、結構ギリギリなんだぜ?」

 

「え?」

 

「逃げ出したいと思ったことなんかザラにあるぜ? キララだって、即断即決だとか言っているが、後になって頭を抱えて布団にくるまっているからな? マイマイは……まあ、あいつはあのままだが……何が正しいかなんて誰にも分かってねぇんだぜ? 何もかも全部が推測でしかねぇ。憶測だけで動かなきゃいけねぇ時もある。何もかもがあやふやで……この先がどうなるのかも分からねぇ。誰に訊いたって正しい解答は返ってこねぇ……だからといって、じっと座っているのは性に合わねぇから、とにかく動いているってだけだ」

 

 ケインが焼き菓子を摘まんで口に入れた。

 

「分からねぇまま動くしかなくて……動いた中で次の何かを見つける。それをネタに、次に何をするべきかを考えて……だが、見つけたつもりのネタがガセで前提がグダグダになり……継ぎ接ぎだらけの工程を修正して、修正して、修正して……途中でやり直したくなるんだがゲームじゃねぇからな。嫌になったからリセットしてやり直しってわけにはいかねぇ……あいつが悪い、こいつが悪い、あの判断が悪かった、あの時どうだった……さんざん罵り合って、ヤケ酒飲んで潰れて床で寝る。俺達は、そんな程度でしかねぇんだよ」

 

「……そうは見えません」

 

「見せてねぇだけだ。美味くできているが……ちょっと酒を飲むには甘いな」

 

 ケインが紅茶のポットへ手を伸ばした。

 

「僕……自分の周囲に誰が居るのか分かるんですけど」

 

 レンは次の焼き菓子に手を伸ばした。

 

「様式美らしいぜ」

 

 ケインが苦笑を浮かべて、レンの背後へ視線を向ける。

 そこに安っぽい衝立があって奥は簡易調理場になっているのだが、ケインが来た時からキララとマイマイが衝立の裏に潜んで聞き耳を立てていた。

 

「レン君のメンタル面が少し心配になってな。何か悩んでいるようなら相談に乗ろうと思ったんだが……あいつらは、ただの野次馬だ」

 

「大丈夫だと思います」

 

 レン自身、変調は感じていない。補助脳によってレン自身の状態は監視されている。数値上の異常はないはずだった。

 

「兵士の話は……今は、それでいいと……そうあるべきだと思ったからです」

 

「そうか」

 

「でも……自分にできることがもっとあると……そう感じています。何をどうすればいいのかは、分からないんですけど」

 

 レンは、諦めの悪い2人が隠れている衝立を振り返った。

 

「そうだな。それは常に考えていた方がいいぜ」

 

 ケインが熱そうに紅茶を啜った。

 

「でも、考えるだけですよ?」

 

 いくら考えても結論は出そうにない。

 

「それでも、考え続けるべきだ。何もしねぇで、ただ考えているってのは問題だが……レン君の場合はむしろ時間を作ってでも考えておくべきだな」 

 

「……なんにも考えていないように見えます?」

 

 状況に流されているのは確かだが……。

 

「俺が心配しているのは、レン君が責任を自作して、勝手に背負い込むことだな」

 

「責任を?」

 

 レンは首を傾げた。

 

「自分なら何とかできる。自分がやらないといけない。自分がやらなかったからこうなった。自分がやっていればこんなことにならなかった……ってやつだ」

 

「それは……少しだけ考えたことがあります」

 

 思い悩むほどではなかったが、自分ならもっと何かができたんじゃないかと考えたことはあった。

 

「今は違うみたいだな?」

 

 ケインが見つめてくる。

 

「色々と特殊な力を貰いましたけど……"鏡"一枚割れないんですから」

 

 レンは、右手を握って拳を作った。

 今の自分なら、素手で赤い巨鳥と戦える。幼鳥が相手なら斃すことだって可能だろう。

 

(でも、そんな程度じゃ"鏡"を砕けない)

 

 "鏡"は、どんなに強い力をぶつけても破壊できない。熱しても冷やしても傷一つつけることができない。

 

(だから、"鏡"を創造した存在に撤去を願うしかない)

 

 それが気に入らない。


「ふうん? この手の話は、少し呑みながらやりてぇが……レン君、酒が飲めるまで、ちょっとあるか」

 

「16歳です」

 

 レンは紅茶のカップに手を伸ばした。

 もうアルコールを摂取したところで問題が起きるような身体ではなかったが、それでも今は緑茶や紅茶の方が良い。

 

「そう……まだ、16なんだよな」

 

 ケインが小さく呻くように言って天井を見上げた。

 

(ユキと……これは、タチバナさん? タガミさんもいる)

 

 レンの視界に、補助脳のメッセージが浮かび、小枠が開いて映像を表示した。

 

「ユキが交戦中です」

 

「……なにっ!?」

 

 ケインが慌てて立ち上がった。

 

「場所は、日本橋……東京駅方面へ移動しています」

 

 レンは、探知した情報を伝えた。

 

「相手は? まさか、自衛隊じゃねぇよな?」

 

「大きな虫……新顔です」

 

 呟きながら、レンは眉をしかめていた。

 

 灰色をした昆虫だった。もちろん、自然発生した虫では無い。

 

『形状から、ヨロイモグラゴキブリの近縁種だと推定します』

 

 補助脳が、映像の横に茶色いゴキブリの写真を並べた。

 

(体長3メートルのゴキブリ? 銃弾を弾いているのか)

 

 ユキが四輪駆動車の後部座席から身を乗り出してHK417を撃っていた。ユキは、狙う場所を変えながら確かめるように撃っていたが……。

 

(貫通弾は、5発に1発くらい?)

 

 白っぽい体の表面に当たった 7.62×51mm弾が小さな火花を散らして弾かれている。

 

(エネルギーの膜なんかは無いのか。単純に硬いだけ?)

 

 運転席のタガミが何かを問いかけ、ユキが銃撃を続けながら答えている。

 

「首都高に乗るみたいです」

 

 一度戦闘服に換装してから、レンは思い直してマイマイから支給された戦闘スーツに着替えた。こちらの方が機密性が高い。

 

(うわぁ……あれは浴びたくない)

 

 ユキが84mm無反動砲に持ち替え、疾走して追いすがる白いゴキブリを噴き飛ばした。

 粉々になった体の破片と紫色の液体が派手に散って料金所を染めている。

 

(……多いな)

 

 灰色の巨大ゴキブリが続々と集まって首都高速道路の料金所を通過してゆく。

 

「レン君、車こっちだよぉ~!」

 

 呼ばれて振り返ると、マイマイがホテルの裏に続く通路で手を振っていた。

 

 

 

 

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お話の最中にゴキブリが出たっ!

 

ゴキブリの大群が首都高を走っている!

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