第110話 情報収集衛星

 

(……居た!)

 

 ユキの姿を認めて、レンは息を呑んだ。

 昇降機エレベーターで島の地下へ降りてすぐの場所に、ユキがうずくまっていた。

 

(おかしいな?)

 

 声を掛けようとして、レンは思いとどまった。ユキが、この距離で背後に立ったレンに気が付かないはずがない。

 

『高濃度ナノマテリアル反応があります』

 

 視界に、補助脳のメッセージが表示された。

 

(まさか……隷属の虫にやられた?)

 

 レンの背筋が恐怖で粟立った。

 マーニャによって、精神を侵食されないように防御して貰ったはずなのだが……。

 

『ユキの至近に、エネルギーの発生源が存在します』

 

 補助脳のメッセージが強調表示される。

 

(ユキの……)

 

 うずくまっているユキが透過表示され、見知らぬ幼児が映し出された。ユキは両手で抱えて、その幼児を押さえ込んでいるようだった。

 

(あれは……イーズ人?)

 

 レンは、HK417を構えながら昇降機エレベーターから出て近づいた。

 

『直上から、エネルギー体が接近します』

 

 補助脳のメッセージが視界に浮かんだ。

 

 

 - 18.4m

 

 

『捕捉しました』

 

 咄嗟に見上げた視界に、赤く輪郭を強調表示された物体が映った。

 

 瞬間、

 

「ティック・トック!」

 

 レンは、ナンシーから与えられた魔法名を口にしながら、上方に向けてHK417を構えた。

 

 周囲が薄暗くなり、レンの頭上に、大きなアナログ時計の文字盤が浮かぶ。

 

 

 チッカッ……チッカッ……チッカッ……

 

 

 規則正しく時を刻む機械音が聞こえ始める。

 

(子供?)

 

 レンは、HK417の引き金を引いた。

 

 

 ダダダッ!

 

 

 補助脳が赤く表示したエネルギー体に銃弾が吸い込まれる。赤く表示された枠内は無色透明だったが、幼い子供のような外形をしていた。

 

 使用したスキルの効果で、本来なら素通りするだろう 7.62×51mm 弾が、そこにある何かに当たっている。

 

 

 キィアァァァ!

 

 

 苦鳴のような甲高い声が響き、幼児のような姿をしたものから何かが放たれた。

 

『エネルギー弾です』

 

 補助脳のメッセージが浮かび、飛来するエネルギー弾が着色表示される。

 

「レフト・シザーズ、オン!」

 

 レンの宣言と共に、左腕に"シザーズ"が顕現した。

 レンは、飛来した不可視のエネルギー弾を"シザーズ"で払い、HK417を撃ちながら床を蹴って跳んだ。

 

 

 - 2.1m

 

 

 上方から襲ってくる物体との距離が一気に詰まる。

 "シザーズ"が届く距離だ。

 

(パワーヒット、オン!)

 

 スキルの使用を意識しながら、左腕の"シザーズ"で殴りつけた。

 シリコンゴムのような柔らかい感触が返ったのも一瞬、幼児のような姿をした物体が身を折りながら吹き飛んで床に激突した。

 

 

 ダダダダダダッ!

 

 

 動きを鈍らせた物体めがけて銃弾を撃ち込みながら着地すると、レンは容赦なく"シザーズ"で滅多打ちにした。

 

(……8秒)

 

 スキルの経過時間を見ながら、レンは"シザーズ"で幼児のような何かを挟むと、間髪を入れずに切断した。

 

 微かに弱々しい悲鳴が聞こえた気がしたが……。

 

 

 ボ~ン……

 

 

 ボ~ン……

 

 

 ボ~ン……

 

 

 大きな時計の音が鳴り響き、周囲を包んでいた薄闇が晴れていった。

 

(どうなった?)

 

 左腕の"シザーズ"を解除し、レンはHK417の弾倉を入れ替えながら床上に視線を巡らせた。

 視界から、補助脳による赤枠が消失している。

 

『エネルギー体の消滅を確認しました』

 

 視界中央に、補助脳のメッセージが浮かんだ。

 

(今のは、思念体?)

 

 前に遭遇した"ゾーンダルク"とは何か違う気がしたが……。

 

『思念体です』

 

(ふうん……)

 

 レンは、周囲を警戒しつつユキの傍らに片膝を突いた。

 大きな傷は見当たらない。流血した様子はない。

 

(でも……体が冷たい)

 

 ユキが押さえ込んでいたイーズ人を確認して、レンは顔をしかめた。

 

(なんだ、これ? 人形?)

 

 レンが見ている前で、イーズ人のように見えていた物が、みるみる外見を変化させて、つるりとした乳白色のマネキンのようになった。

 

(ユキ……息はあるみたいだけど)

 

 脈と呼吸を確かめると、レンはユキの腕から人形を引き剥がした。

 

(……とにかく、治療だ)


 レンは【支援要請(治療)】を選択した。



 シャラァ~ン……



 久しぶりに聞く音と共に、10,000 wil という文字が目の前に浮かび、サラサラと砂のように崩れて消えていく。

 直後、目の前に白衣が浮かび上がった。


(……ナンシーさん)


 艶やかな香水の匂いが拡がる中、白衣の内側に黒い煙のようなものが満ちて、豊麗なナンシーの姿へと変じていった。

 

「お久しぶりね」

 

 ナンシーが微笑しながら、白衣の襟から長い髪を抜いて背へ流す。

 

「ユキの治療をお願いします」

 

「……この子ね」

 

 ナンシーがユキを覗き込んだ。

 

「そこの、イーズ人みたいな人形を捕まえて倒れていました」

 

 レンは床に転がった幼児のマネキン人形を指差した。

 

虫籠むしかごのようね」

 

 ナンシーが小さく頷いて、ユキの額へ手を当てた。

 

虫籠むしかご?」

 

「それは、実体の無いものを運ぶための人形よ。思念体が入っていたはずだけど?」

 

 ナンシーが周囲へ視線を巡らせる。

 

「消滅させました」

 

「ああ……君は、対抗スキルを持っていたわね」

 

 ナンシーが頷いた。

 

「ユキは大丈夫でしょうか?」

 

「この子は、まだ思念体と戦えるスキルを持っていないから……かなりの精神攻撃を浴びたようね」

 

 ナンシーが呟いた。

 

「治療できますか?」

 

「もちろんよ。5日ほどかかるけど……完治させるわ」

 

「よろしくお願いします」

 

 レンは、ほっと安堵の息を吐いた。

 

「その人形……この世界には存在しない素材が使用されているわ。思念体がこの世界で遊ぶために作った容器でしょう」

 

「この人形が?」

 

 レンは、床に転がっている乳白色のマネキンを見た。

 

「どうやって、この領域に入り込んだのかしら? 島に登録された人間しか入ることはできない領域なのだけど……」

 

 ナンシーが柳眉をひそめて首を傾げる。


「まあ、いいわ。今はこの子の治療を優先すべきね。君のエーテル・バンク・カードを出して……支援要請の手続きを完了させましょう」

 

「はい」

 

 レンは、手の甲にEBCエーテル・バンク・カードを浮かべた。

 

「そのお人形を保管しておきなさい。君の小さなお友達が、詳しく調べるでしょう。たぶん、この世界の技術で作られた物ではないから……あの子の方が専門よ」

 

「マーニャが?」

 

「また、監理の不手際を責められそうね」

 

 ナンシーが苦笑を浮かべつつ手を軽く振ると、床に倒れていたユキが消え去った。

 

「虫対策をしたのは、君の小さなお友達かしら?」

 

「えっ?」

 

「精神攻撃に抵抗できるように防壁が組まれているわ。思念体の攻撃を浴び続けて無傷とはいかないまでも……軽傷で済んだのは、精神防壁のおかげよ」

 

 ナンシーがこめかみのあたりを突いてみせる。

 

「はい。隷属虫対策をして貰いました」

 

 レンは頷いた。

 

「この世界のことわりを完璧に守った処置をしているから文句を言えないわね」

 

ことわり……ですか?」

 

「それに比べて……」

 

 ナンシーが床に転がる男児のマネキンを睨み付けた。

 

「何か欲しい物はあるかしら?」

 

 不意に、ナンシーが訊いてきた。

 

「欲しい物?」

 

 レンはナンシーの目を見た。

 

「君の小さなお友達から別途請求されそうだけど……そうね、ある種の戦争イベントに対する報酬という位置づけで、一つだけ特別報酬をあげるわ」

 

「何でもって……わけじゃないですよね?」

 

「いくつか望みを言ってみなさい。可能な物があれば、一つだけあげるわ」

 

「大型のミサイル……空対空ミサイルを使えるようになりませんか?」

 

「この世界のことわりでは使用できないわ」


 ナンシーが首を振った。

 

「無反動砲や迫撃砲なんかは?」

 

「爆薬の量によるわ。小型の物なら使用可能でしょう」

 

 明確な線引きは分からないが、手榴弾程度の爆発物なら良いらしい。だが、レンが欲しいのは小型のグレネードなどではない。

 

「……相手を攻撃する魔法を使えるようなりませんか? 今の銃より威力のある攻撃手段が欲しいんです。こっちの世界には、そういう魔法はありませんか?」

 

 対物狙撃銃の弾丸は確かに威力はある。ただ、それは相手が人間や車両といった常識的な対象だった場合だ。ゾーンダルクで出現するモンスターが相手では威力不足だった。

 

「魔法は、いずれ使えるようになるわよ?」

 

「そうなんですか?」

 

「特定の条件を満たせば、渡界人もある程度の魔法を使えるようになるわ。今回の改変で、イベントが追加されたのよ。特異装甲の取得イベントも緩和されたわ」

 

 ナンシーが苦笑した。キララやマイマイ達の要望らしい。

 

「そういうことなら……リアルタイムで世界を映し出す地図……衛星で映したような地図はありませんか?」

 

「……地図ね」

 

 呟きつつ、ナンシーが胸の前で腕を組んで沈思した。

 

「ボードメニューの【ワールドマップ】は大雑把過ぎて……ファゼルナやデシルーダの位置がまったく分かりません」

 

 第九号島を守るためには、もっと広域を精密に警戒する必要があった。

 

 ゴブリンやスズメバチを満載した岩塊をぶつける強襲は、他の島を襲撃する際のファゼルナの常套手段だろう。

 今のままでは、ファゼルナの望むタイミングで好き放題に攻撃をされてしまう。

 一度や二度の襲撃で占領されることは無いが、この先、ずっと受け身に回って攻撃を受け続けるわけにはいかない。

 

「……いいわ」

 

 ナンシーが首肯した。

 

「君を中心として、半径3000キロメートルの範囲を俯瞰可能な"眼"を貸与しましょう。これは、"思念体"が使用している試作の"眼"より上質なものよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 レンは、勢いよく頭を下げた。

 

 

 

 

 

======

 

第九号島に入り込んだ"思念体"を排除した!

 

レンは、新しい【マップ】を手に入れたらしい!

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