第94話 飛べ! 噴進タクシー!
壁面に設置された巨大なスクリーンに、ケインの顔が映っていた。
照明を絞った薄暗い室内に、823人の男女が座って真剣な眼差しを向けている。オンラインで、8万人を超える人間が視聴していた。
遭遇したモンスターの生態や敵対する知的生命体の存在、友好的な知的生命体との交流などの話に続き、有望視される資源をテーマにした調査報告が始まっていた。
「我々は、民間の有志という立場で調査渡界を行った。主なテーマは、日本で有効活用できる資源の有無を調べることだった」
ケインの顔が画面の隅へ移動し、代わりに、棒状に成形されたインゴットが整然と積まれた倉庫が映し出された。
途端、会場内にある種の緊張と共に、熱を帯びたどよめきが広がった。
「インゴットになっている物は製錬では無く、おれ達の手で精錬した状態だ。見た目が派手なところから……金、白金、イリジウム、パラジウム……向かって左手に並んでいるのは、問い合わせが多かった、マンガン、リチウム、コバルト、ニッケル、グラファイト……容器に入っているのは、ネオジム、ジジム、ガリウム、ジスプロシウム、イットリウム、バナジウム、ジルコニウム、インジウム、セレンだ。奥に積んであるのが、チタン、アルミニウム、鉄、銅、タングステン、金属ケイ素……他にも、真珠箔なんかが手に入った」
会場にさざ波のように声が漏れ聞こえる中、スクリーンの中央に別の映像が映し出された。
「これらの容器には、軽質ナフサ、重質ナフサ、石油エーテル、軽ガソリン、重ガソリン、ケロシン、ガス油が入っている。どれも向こうの世界で採取し、精製したものだ」
ケインの声が会場に流れると同時に、質問の声が方々であがった。とうとう声を抑えきれなくなったらしい。
「ここに並べたサンプルは、すでに日本政府が買い取りを希望している。だが、条件によっては、日本政府に
スクリーンの中で、ケインが顎の無精髭を撫でつつ笑みを浮かべた。
「おっと? 日本人だから日本を
「おっと? 都合が悪いから、通信を遮断しようってか? しゃらくせぇ真似しやがるじゃねぇか? まあ、精々頑張れや!」
楽しそうに笑いながら、ケインがグラスを呷った。
「さて、ここからはお説教タイムだ。美味しいお土産が欲しけりゃ最後まで聞きな……これを見てる奴は、頭がお花畑の間抜けばかりじゃねぇよな? ちゃんと分かってる奴もいるんだろ? 各地で頻発する
ケインがボトルを手に、赤みを帯びた酒をグラスに注いだ。
「今から3年後の地球に、文明人らしい生活を継続できている国がどれだけ残っていると思う? 近隣諸国と連絡不通になって何ヶ月経った? 日本政府の発表じゃ、187ヶ国が"鏡"の大氾濫をコントロールできてるんだって? 誰が聞いたって、嘘だって分かるよな?」
ディスプレイの映像が切り替わり、地球が大きく表示された。
「
ケインの声と共に、地球の表面が半分以上赤く染まった。
「187ヶ国? どこの国が無事なのか教えてくれねぇか?」
グラスに氷を足しながらケインが皮肉っぽく口元を歪めた。軽く掲げたグラスで氷が回って音をたてる。
映像を見ながら、
「きゃはははは……ケイン、格好いいぃ~ 最高よぉ~」
マイマイが、腹を抱えて笑い転げていた。横でキララが息も絶え絶えに身を折って床を叩いている。
文字通りの抱腹絶倒であった。
「うるせぇな! やれっていったのは、てめぇらだろうが!」
ケインが不機嫌そうにカップ酒を呷った。
「ユキちゃん! ケインが格好いいよぉ~ 見てあげてぇ~」
ひぃひぃと背を震わせて笑いながら、マイマイが両足をバタつかせて床を蹴った。
「くそっ……」
むくれた様子でケインが酢漬けのタコに齧り付いた。
全部、演技である。
スクリーンで流れているのは、世界に向けた"煽り"映像であった。
収録後、こうして"セーフハウス"に集まって放映の状況を眺めていたが、途中からキララとマイマイの笑いが止まらなくなってしまった。
画面の中では、地球の先行きが暗いだの、このままでは文明社会が衰退するだのと、皮肉っぽい表情をしたケインが説教口調で演説を続けている。
それを眺めて、キララとマイマイが抱き合って転がり、涙を流して笑い声をあげている。
ピンポーン……
不意に、チャイムの音が鳴り、キララとマイマイが涙を拭きつつ手元のタブレットを操作した。
訪問者の映像がタブレットに映し出される。
「タガミさんとカオルちゃんよ。見事に5分前集合だわ」
「後ろにヤバそうな人が来てるねぇ~」
キララとマイマイがケインを振り返った。座っていたユキが立ち上がって、周囲へ視線を巡らせる。
タガミを"セーフハウス"に呼んだのはケイン達である。カオルというのは、異界探索協会の立花薫という女だった。"ヤバそう"だと言っているのは、2人の後ろに立っている禿頭の大男のことだ。どう見ても堅気の人間ではない。荒事に慣れ親しんでいる風貌をしている。
「アラートは出ていません」
ユキが消音器付きのMP7を肩から吊るし、ベルトのナイフや腰の拳銃を確かめた。
「まだ、敵じゃないってことね」
キララが頷いた。その時には、全員が迷彩戦闘服に防弾チョッキという戦闘装備に換装し、鉄帽の顎紐を締めている。
「地下の施設、バレてると思う?」
キララがケインに訊ねた。
「施設っていうか……雨水管だがな。まあ、水道局に動きは無さそうだ。今回は使えるだろう」
そう言いながら、ケインがモニターに映った人物を確かめる。
「こいつ、自衛官か?」
ケインが呟いた。
横から、ユキがモニターを確認する。
「戦技教練の教官です。巡回指導の教官リストで見たことがあります」
「戦技の教官? 凄そうなの連れてきたわね」
キララが少し躊躇ってから、インターフォンの応答ボタンを押した。
「お久しぶりね。タガミさん」
『この声は……キララさんか? 君達に指定された時間より早いが……構わないかな? のんびりしていると、
モニター画面の中で、タガミがカメラのレンズを探すように顔を動かしている。
「その強面さんも一緒に?」
『ん? ああ……彼は、トガシという元自衛官だ。ヤガミ……レン君と面識があるというから同行させた。政府から指示を受けていないことは保証する』
「レン君、ここに居ないわよ?」
『それは知っている。だが、君達は彼に連絡をする手段を持っているだろう?』
「ステーションに戻ればね」
『彼と話がしたいそうだ』
「同行はできないわ。ステーションで会いましょう」
『……だそうだが? どうする、トガシ?』
タガミが後ろに立っている禿頭の大男を振り返った。
『問題ありません。元々ステーションに行くつもりでしたから』
トガシという男の低い掠れ声が聞こえる。
「ふうん? まあ、とりあえず中に入ってくれる? そこだと近所迷惑になっちゃうから」
マイクに向かって言いつつ、キララがユキを見て頷いた。
"セーフハウス"などと言っているが、外観は倒壊寸前の町工場である。コンクリートを張った上に、古びた旋盤やボール盤、小型のプレス機やグラインダーが並んでいる。
蹴れば破れそうなシャッター横の壁に扉があり、インターフォンが取り付けてあった。シャッターが半開きのままなので、わざわざ扉を開けなくても中には入れるのだが……。
モニター内の映像が、監視カメラに切り替わった。
扉から入った3人が薄暗い工場を見回しながら歩いている様子が映し出されている。
「そのまま真っ直ぐ歩いて。突き当たりに防火扉があるから押し開けてね」
モニターを見ながら、キララが指示をした。
3人が言われたとおりに、防火扉まで辿り着き、押し開けて次の通路へと入った。
「突き当たりが昇降機になってるわ。防柵は手動だから乗ったら手で締めてね。操作レバーを下げると動くから……移動中は、壁にぶつからないように気をつけて」
キララがマイマイを見る。
マイマイは、工場の外を監視しているカメラの映像を確認していた。
「それっぽい人は見当たらないねぇ」
タガミ達を尾行してきた人間が居るだろうと予想して映像を確認しているのだが、どこにもそれらしい人影は見当たらない。
「小型ドローンでも使ってるんじゃねぇか?」
「微弱でも音や電波が出るし、すぐ分かると思うけどぉ……いないかもぉ?」
「タガミさん達が地下に着いたわ」
キララの声で、ケインとマイマイが部屋の電源を落として、非常電源に切り替えた。
「迎えが行くわ。そこで待ってて」
キララが襟のマイクで指示をしながら、壁にある分厚い扉から狭い通路に入る。
もう一枚、同じような分厚い扉を通ると、そこは巨大な地下空間だった。
ケインが雨水管だと言っていた、東京の地下にある巨大な貯留施設の中である。
本来の役割は、東京に降り注いだ雨水が路上に溢れ出さないように貯めておく巨大な雨水貯留施設なのだが……。
床から、本来そこにあるはずのない円筒形の構造物が生えていた。
床面から天井まで聳える巨大な円柱である。
慣れた様子で、ケインとマイマイが円柱壁面の梯子を登って、途中にある小さな小窓から中を覗き込む。
「もう注水は終わってるぜ」
「始動チェックやっとくねぇ~」
ケインとマイマイが壁にある小さな扉を開いて中へと潜り込んでいった。
「ユキちゃん、乗り込む手順は頭に入ってるよね?」
キララが通信機で確認をする。
『大丈夫です』
ユキから短く応答がある。それを聞いて、キララも円筒形の構造物を登り始めた。
『今からタガミさんと接触します』
「気をつけてね。打ち上げ準備を終わらせておくわ」
ユキに声を掛けつつ、キララが構造物の壁面を開いて中へ入った。
その頃、ユキは小さな部屋の中で、タガミ達3人と対峙していた。
「君は……確か、ユキだったかな?」
「はい。タガミさん、お久しぶりです」
MP7を手に、ユキが小さく会釈をした。
狭い部屋の中だ。
タガミ、立花薫、トガシの3人とユキとの距離は、わずか3メートルほどだったが、両者の間には分厚い防弾ガラスがあった。
「やれやれ、警戒されたものだな」
タガミが苦笑しつつ頭を掻く。
「無理も無いでしょう。むしろ、そうあるべきです」
トガシという禿頭の大男が鋭い眼差しをユキに向けている。
「あなたは重度の傷病者だったから、お話をするのは初めてですね。私は、異探協の立花薫と申します。第九期傷病特派、異界探索士NK-09-012:ユキさん……で、合っているかしら?」
「はい」
立花の問いかけに、ユキが首肯した。
「他の……キララさん達は?」
タガミが、ユキの後ろにある扉を見た。
「代わりに、タガミさんの返事を聞いてくるように頼まれました」
ユキの瞬き一つしない双眸が3人の動きを等分に見張る。
「防弾ガラスは遮蔽物としては弱い。特に、おれ達のような渡界経験者にとっては……紙切れのようなものだ」
トガシという男が言った。
「はい」
表情一つ変えず、ユキが頷いた。
「……ったく、これが元傷病組だって? どうなってるんです、九期の連中は?」
トガシという男が苦笑を漏らして立花を見た。
「色々と終わったら、特戦に来てくれねぇかな?」
「トガシ、それは後にしてくれ」
タガミがトガシに声を掛けつつ、防弾ガラスぎりぎりまで近づいた。
ユキはMP7を構えたまま微動だにしない。
「政府の回答は、ノーだった。異界探索協会の公式回答も、ノー……おれ達、引退組はイエス。現役の連中にも参加希望者はいるが……家族持ちは難しいだろう」
「シーカーズギルドの開設については、私……立花と職員7名が協力できるわ」
立花が言った。
「伝えます」
ユキが短く答える。
「これからどうする? この場所も……すぐに知られるだろう。おれ達が場所を言って回るようなことはしないが、衛星の目もあるし、町中に監視カメラがある。おまけに、朝から晩まで、両手じゃきかないほどの監視がついて回るからな」
タガミが言った。
「予定していた用事はすべて終わりました。これから、ステーションに戻ります」
ユキが答える。
「ステーションに? だが、富士までの移動手段はどうする? できれば、自衛隊を相手に銃撃戦をやるようなことは止めて欲しいんだが?」
「ストレス発散をやるそうです」
無表情にユキが答える。
「……なんだって?」
「今後のことは、ステーションでゆっくり話しましょうと……キララさんから伝言です」
「やれやれ、何をやるつもりなんだか……」
タガミが苦笑交じりに笑った。
「ケインさんに、私も……立花もステーションへ行くと伝えてください。今後について、詳細な打ち合わせが必要です」
「俺も同席させてくれ。トガシだ。戦技校の講師をやっていた時期があってな、矢上の……レンの教官だった。覚えているはずだ」
「伝えます」
ユキが小さく頷いた。
「ユキさんだったな? レンは元気か? いや、身体の心配はしていない。ただ、あいつは色々と抱えてたからな。その……まともに会話ができる精神状態を保っているのか? こっちに戻らなかったのは、何かあったからか?」
トガシの問いかけに、
「大丈夫です」
ユキが短く答える。
「……ふむ」
トガシの厳眼がユキの目を捉えた。それを、ユキの双眸が無感情に見つめ返す。
しばらく視線を合わせてから、
「逆順で戻って下さい」
静かな口調で告げて、ユキがMP7を構えたまま後ろ手に扉を開けて部屋から出て行った。
「ふぅ……なんか、とんでもない子だな。こんなに緊張させられたのは久しぶりですよ」
トガシが顔から頭まで手で撫で上げて笑った。
「あの子は……人を撃てるな。下手にちょっかいを出すと死人が出る。妨害任務を押しつけられた陸自の連中に手を出さないように連絡してくれ」
タガミがトガシを見た。
「了解です」
「でも、移動手段はどうするのでしょう? リニアや新幹線は使わないと思いますが……特殊車両でも用意したのでしょうか?」
立花がタガミを見た。
「ストレスを発散すると言っていましたね」
タガミが防弾ガラスに触れつつ、ユキが出て行った扉を見つめた。
「さっさと戻りましょう。ここはまずい」
そう言ったのは、トガシだった。
「そう思うか?」
「あのユキという子が出て行った扉は、やたらと厚みがありました」
「おれにもそう見えた。あれは、防水扉か? だとすると、ここは……」
「後で、別の部隊が調査をやるでしょう。それより、嫌な予感がします。あれが動く内に地上へ」
トガシに促されて、タガミと立花は簡素な作りの
その時、どこからか別の振動音が伝わり始めた。
「おいおい……嘘だろ」
「この振動……この音は……」
タガミとトガシが顔を見合わせた。どちらも頬が引き攣っている。
******
その日、東京都心から飛翔体が打ち上げられ、約24秒後に富士山頂の"鏡"に命中した。
日本政府が対応を協議する時間は無かった。マッハ10以上が出ていたことだけは確認できたが……。
それがミサイルかどうかを検証する間も無い出来事だった。
レーダーが捉えて、各所に緊急連絡が回った頃には、正体不明の飛翔体が富士山の山頂に着弾した後だったのだ。
幸いにも不発弾頭だったらしく、"鏡"を中心に僅かな金属片が飛び散っただけだった。死者はもちろん、わずかな傷を負った者すらいなかった。
「エクセレントォォーー!!」
「誤差は数ミリよ。完璧な誘導精度だったわ!」
「計算より、速度が出なかったな」
「フェザーコートがかなり減りました」
大量のゴミと共にステーションに転がり込んだマイマイ達が歓声を上げた。
ステーション側で待機していた自衛官が呆然と見守る中、4人は何事も無かったかのようにステーション内の各所へと歩き去った。
ケイン達が第九号島に帰還する5日前のことである。
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ケイン達が世界に"煽り"放送を流した!
都内某所から"
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