第82話 チャレンジ!
(僕は……死んだのか)
小型の"恐竜"の鋭い牙が肩に食い込み、鎖骨辺りから肉を毟り取られた。それが最後に感じた苦痛だった。
(ふぅ……)
レンは静かに目を開いた。
全身が嫌な汗で濡れて冷たい。レンを食い千切るために狂乱状態で群がってくる"恐竜"の姿が脳裏にこびりついていた。
(ここは……)
白色の光に包まれた静かな部屋の中、真っ白なシーツで覆われた寝台の上に横たわっていた。
(……クリニック?)
レンは、寝台に上体を起こした。
「あら……目が覚めた?」
女の声がして、ナンシーが入ってきた。いつもの白衣姿ではなく、水色の
「死んでしまいました」
レンは、食い千切られた肩を摩ろうとして動きを止めた。
(……手が)
両手の"シザーズ"がそのままだった。色は、鏡面仕上げの銀色。垢じみて汚れたレンの顔が映っている。
"シザーズ"は、一見すると地球の中世ヨーロッパで騎士が使っていたカイト・シールドに似た形状をしていた。実際、盾としても機能して、咬みついてくる"恐竜"の顎を弾いたり、外縁を使って打ち払ったりできた。
いわゆる
ただし、鋏のように支点を中心に扇状に開くのではなく、分離した刃と刃が宙に浮かんで平行に開く。そして、分離した2枚の刃は、対になったまま距離を拡げたり縮めたりできる。
人差し指と親指を開け閉めするような感覚で、大きな2枚の刃を動かすことができた。
"シザーズ"に変容した肘から尖った先端までの長さは、95センチメートル。刃の厚みは、一番厚いところで25センチメートル。見るからに重量がありそうな外見だったが、重さは元の自分の腕と同程度にしか感じない。
素材は不明。金属のような質感だが、指で触れると石のようでもある。
(これ、意識を失っていても元に戻らないのか)
どういう仕組みなっているのか、迷彩戦闘服の肩から肘までが消えて、代わりに円筒形の腕がぶら下がっている。
「シザーズ、オフ」
レンは、コマンドを呟いた。
途端、両手の"シザーズ"が光る粒子になって消え去り、元の自分の腕に戻った。迷彩戦闘服も元通りになっている。
「特異装甲のアタッチメントね。機甲化を組み合わせたのかしら?」
ナンシーが小首を傾げた。
「そうらしいです」
「あの小さなお友達がやったのね?」
ナンシーがレンの周囲に視線を巡らせた。
途端、
『ハロ~、私に何か用かしら?』
レンの頭上に、白衣を羽織ったマーニャが姿を現した。何のつもりか、縁の赤い眼鏡を掛けて片手に指し棒を握っていた。
「約束は守ったようね。試練で使用した武器や特異装甲の仕様書に違反は見当たらなかったわ」
ナンシーが微笑する。
『当然よ! ルール違反をするつもりは無いわ。ここは、あなたが管理するフィールドだもの。あなたのルールを尊重するのは当然よ!』
マーニャが両腰に手を当てて胸を張る。
「規定違反の取り締まりは面倒だから……助かるわ」
ナンシーが、机に置かれているA4サイズのクリップボードへ目を向けた。
「それにしても……ちょっと信じられないような成績だわ。あの試練を一人で……よく、ここまで稼いだものね」
クリップボードに挟まれた紙に、試練の結果が書いてあるらしい。
「何時間になりました?」
死闘の中、獲得時間を確認する余裕が無かった。最後は、押し寄せる"恐竜"の大群を捌ききれずに、引きずり倒されて喰われたのだ。
「総獲得時間数は、309時間よ」
思いの外、"恐竜"で稼げたらしい。端数切り捨てでも、12日になる。
『やったじゃない! 稼いだわね!』
空中でくるりとレンの方に向き直って、マーニャが破顔した。
「よかった……きつかったけど……本当によかった」
レンは大きく安堵の息を吐いた。
「総獲得時間数と討伐したモンスターの種類数を乗算する決まりになっているから……あなたが試練で斃したモンスターは、7種類ね?」
ナンシーが、クリップボードをレンの前に差し出した。
******
<討伐モンスター>
1> ゴブリン・ガンナー
2> ゴブリン・スポッター
3> リザード・スナイパー
4> 雷筒蜘蛛
5> ボンバー・グライダー
6> ゴリアーテ
7> マンイーター
******
(亀がゴリアーテ? あの"恐竜"は、マンイーターというのか)
レンは、それぞれの姿を思い出しながら小さく頷いた。
「7種だから、7倍。90日になるわ」
ナンシーがレンを見つめて微笑んだ。
「……90日」
レンは瞠目した。
『試練の報酬は時間数だけなの?』
マーニャが訊ねる。
「いいえ。素材やポイント……新しいスキルが手に入るわ」
ナンシーが、クリップボードの上で何かを書くように指を走らせた。
直後だった。
リリリン……
レンの耳音で鈴の音が鳴った。
(……ピクシー?)
ボードを開いてみると、画面右上で小さな封筒マークが点滅している。
『メッセージカードが届きましたぁ~』
ピンク色の髪をした妖精が白い封書を持って現れた。
『開封しますかぁ~?』
「うん」
『かしこまりましたぁ~』
返事と共に、ピクシーが白い封書を宙へ放り上げた。小さかった封書がレンの目の前で拡がって大きな紙になる。
『それでは、ごきげんよう~』
ピクシーがひらひらと手を振って消えていった。
******
こんにちは!
TLGナイトメア運営スタッフ、使徒ちゃんです!
大氾濫イベントの結果と、ボーナスが決定したのでお知らせします。
総獲得時間数 :18,537 min (× 7)
討伐モンスター:ゴブリン・ガンナー
:ゴブリン・スポッター
:リザード・スナイパー
:雷筒蜘蛛
:ボンバー・グライダー
:ゴリアーテ
:マンイーター
討伐ポイント:481,500
異能ポイント:380
技能ポイント:195
採取ポイント:600
固定報酬 :ミラージステップ
獲得スキル :プリビジョン・ファイアサポート・クロースコンバット
以上になります。
******
「この……"使徒ちゃん"は、ナンシーさんだったんですか?」
レンはナンシーを見た。
「ふふふ……あの子は、私とは別に存在しているわ。ただ、私の方が上位権限者だからアナウンスを流してもらうことができるの」
ナンシーが笑みを浮かべる。
「ナンシーさんが……そうですか」
レンは、近くに浮かんでいるマーニャを見た。
『ねぇ、ナンシーさん?』
マーニャがナンシーの前に移動した。
「なにかしら?」
『あなたの権限が及ぶ範囲で良いんだけど……もう少し世界を整えてくれない?』
「世界を整える?」
『このゲーム? 創造した世界の仕様書には、細々とした決め事は存在していないでしょう?』
両手を腰に当てたいつものポーズで、マーニャがナンシーを見下ろした。
「どうして、そう思うの?」
『だって、すべてが完全に規定されていて、何もかもが整っていたら、あなたのような存在は必要ないもの』
「そうかしら?」
ナンシーがわずかに首を傾げる。
『とりあえず、私がゾーンダルクと呼んでいる思念体の介入を排除して欲しいの。あれは、この世界には不要だわ!』
「ゾーンダルク……あの存在を知っているのね」
『あれは、私が属していた世界の老廃物……あまり質の良くない思念の集合体なの』
「そうなのね……でも、創造に協力してもらった対価として、ここで遊ばせるように命じられているのよ。私は、創造主の御意志には逆らえないわ」
ナンシーが肩を竦めてみせた。
『あらら、それじゃ仕方ないわね。あっ……でも、あいつらが勝手に世界を改変することは許していないんでしょう?』
「ええ、もちろん」
『渡界者用のゲートを調べたけれど、海に飛ばされる仕様にはなっていなかったわ。陸地に点在する複数の候補地にランダムで飛ぶようになっていた。それなのに、彼と彼のお友達は、いきなり大海原に投げ出されたのよ! これは、あなたの失敗でしょう?』
マーニャが腕組みをしてナンシーを見つめる。
「……ゲートの行き先を書き換えられた件ね」
ナンシーが柳眉をひそめた。
『ステーションは
「ええ、その通りよ。ステーションのゲートは、浮遊島以外の陸地へ接続するように規定されているわ」
行き先に"海"は存在していなかったらしい。
『もう一つ! 地球に戻った彼と彼のお友達は、"使徒ちゃん"に誘拐されて強制イベントに参加させられたの! ここの情報体に潜って調べたけど、このゲームの仕様では、"鏡"を超えるイベントはモンスターの発生に限定されていたわ! 向こうで……地球側で行ってはいけない禁止事項でしょう? それは、あなたの創造主が決めたルールのはずよ? そういう記述があったわ! 記録を見せましょうか?』
マーニャが厳しい口調で言い放った。
「……あなたが言う通り、地球側でのイベントは規定違反になるわ」
『彼と彼のお友達は、"使徒ちゃん"のイベントと、ステーションからの海洋ジャンプの2度、起きてはいけない作為的な"事故"にあっているわ! どちらも、あなたの責任よ! 監督責任よっ!』
「そうね。処理が後手に回ってしまったわ」
『以上2件の不始末で被った精神的被害について、彼と彼のお友達は、あなたに対して協力と賠償を請求します!』
マーニャが、指し棒の先をナンシーに向けて宣言した。
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レンは、ナンシーのプライベート"試練"から解放された!
マーニャが勇ましく吠えている!
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