第74話 試練の口づけ
レンの視界に、作業進捗ゲージが表示されている。
ゲージの横で、2頭身キャラクターのマーニャが汗をかきつつ、つるはしを振っていた。
時折、つるはしを置いて一息吐いている。
(時間がかかってるな)
島主の屋上に現れたポータルゲートは、行き先未定のランダムジャンプになっていた。そこまではケイン達が調べて分かっていたが、マーニャが調査した結果、転移先のリストに"ステーション"が含まれていることが判明したのだ。
今、マーニャがポータルゲートを"ステーション"に接続している。
作業の進捗ゲージは9割を超えたくらいだろうか。
「……大丈夫ですか?」
レンは、互いを支え合うようにして立っている酔っ払い達に声を掛けた。
「大丈夫よぉ~」
「まだまだいけるわ!」
「これからだぜっ!」
3人がそれぞれ違った酒瓶を持ち上げて答える。
ビールから始まり、持ち寄ったお酒を順番に飲んだらしく、見慣れたビール缶の他に、やけに大きなペットボトルや空き瓶が散乱している。
「ステーションで確認したいことができました。一度、向こうに行って……また、ここに戻って来ます」
レンは、床に座り込んでいるマキシスとミルゼッタに声を掛けた。
「……理解しました。とにかく……ここで待っています」
途切れそうな声で答えたのはマキシスだった。ミルゼッタの方は虚空を見つめて動かない。
(お婆ちゃんもお酒が好きだったけど、ここまでじゃなかった)
レンは床に散らばった酒瓶を眺めながら、強い視線に気付いて顔を向けた。
ユキに連れられたアイミッタが、不安そうに見つめていた。
「……すぐに戻って来るよ」
レンはアイミッタに声を掛けた。
「いかないで」
アイミッタが
「すぐ帰って来るから……少しだけ待ってて」
「ほんと?」
アイミッタが縋り付くような眼差しを向けてくる。
「約束する」
「ゆきも?」
アイミッタがユキを見上げる。
「大丈夫です。そのために、マーニャ先生がポータルゲートを繋いでいます」
「すぐなの?」
「ええ、すぐに戻ります」
ユキが微笑を浮かべた。
「……すぐ?」
「はい。すぐに戻ります」
穏やかに微笑むユキの顔をじっと見つめてから、アイミッタが小さく頷いた。
『ハロ~! マイチャイルド! ゲートを固定したわよ!』
マーニャが姿を見せた。
「ステーションのどこに出ますか?」
『界境……君達が"鏡"と呼んでいるゲートから到着する場所よ』
いつもの楼門が見える場所らしい。
「妨害は無かったんですか?」
ポータルゲートの行き先を変更するなど、許されそうもないのだが……。
『プロテクトはあったわよ? でも、作業に対する妨害行為は無かったわ』
マーニャが首を振った。
「なら……準備をして行きましょうか」
レンは、ボードメニューから【コス・ドール①】を選んで、HK417用の装備に換装した。
「銃なんかステーションじゃ撃てねぇだろ?」
ケインが指摘する。
「御守りです」
『君のスキルを活かすなら、鈍器なんかの方が良いんじゃないかしら?』
「どんな武器も通用しないと思います。だから……御守りです」
恐らく、どう頑張ってもナンシーには敵わない。傷一つつけられないだろう。
「ふうん? レン君、なんか考えてるんだ?」
キララが酒気で赤らんだ顔を近づけて来る。
「いいじゃん! いいじゃん! やっちゃえ、レン君!」
「いや、喧嘩するわけじゃねぇだろ?」
酒瓶を振り上げたマイマイが後ろに倒れそうになってケインに支えられる。
『そう! 話し合いに行くのよ? 向こうの領域で喧嘩しても絶対に勝てないからね!』
マーニャが腰に手を当ててレンを見る。
レンは弾倉ポーチを付けた防弾チョッキを着て鉄帽を被り、迷走柄の戦闘背嚢を背負っていた。HK417を肩に吊るし、手には重たいM95対物ライフルを抱え持っている。
「狙撃戦ですか?」
ユキがHK417を手に訊いてくる。背嚢と対物ライフルを取り出すかどうか迷っているのだろう。
「これは、御守り」
根拠があって武装を選んだわけではない。現状では、ひたすら重い装備類を身に付けただけだった。
『何だか分からないけど……準備ができたのなら行きましょう! 君が触れないと、界境が開かないわ!』
マーニャが、ポータルゲートを指差した。
「では、行きます」
レンは、ポータルゲートに近づいて淡い光の壁に手を伸ばした。
(……だと思った)
レンは小さく息を吐いた。
予想していたことが起きていた。
ポータルゲートの光に包まれると同時に、周囲の光景が一変し、見覚えのある個室に立っていた。
ステーションにあるクリニックの診察室だ。
(探知できる?)
レンは補助脳に問いかけた。補助脳が機能しない可能性もあったが……。
『いくつかの探知手段を遮断されています』
補助脳のメッセージと共に、探知情報が視界に浮かんだ。
(僕だけか)
レン、一人である。ユキやケイン達、マーニャの姿は見当たらない。レン一人が連れて来られたようだ。
(装備は取り上げられなかった)
手早く自分の装備品を確かめつつ、レンは重たい対物狙撃銃を肩に担ぎ上げた。
「ようこそ、クリニックへ」
穏やかな声が聞こえ、豊麗な肢体を白衣に包んだ女医が入ってきた。
「お邪魔します」
レンは、銃を担いだまま頭を下げた。
「治療ではないわね?」
ナンシーがレンの体を見回す。
「相談というか……お願いがあってきました」
「それで脅すの?」
ナンシーがレンが担いでいる対物ライフルを見ながら微笑する。
「これは御守りです。ちょっと重たいですけど」
レンは担いだM95対物ライフルを床に下ろし、銃身を握って支えた。
「そう? まあ、いいわ。まずは話してごらんなさい。用件があるんでしょう?」
丸椅子を指差しながら、ナンシーが自分の椅子に腰掛けた。
「突然押し掛けてすみません」
頭を下げつつ、レンも椅子に腰をおろした。
「さて……何かしら?」
ナンシーが脚を組んでレンを正面から見つめる。
「この世界についてです」
「世界……ね」
ナンシーが上方へ視線を向けた。
「何かいますか?」
レンは、ナンシーを見つめたまま訊ねた。
「ふふ……あなたのお友達が入って来ようとして頑張っているわ」
どうやら、マーニャがクリニック内へ侵入しようとしているらしい。
「ナンシーさんにとっては……敵なのでしょうか?」
「違うわ」
ナンシーが軽く首を振った。
「でしたら、その……友達をここに呼んで下さい。僕より話すのが上手なんです」
「そうしてもいいけど……その前に、あなたとお話がしたいわ」
蠱惑的な笑みを浮かべて、ナンシーがレンの瞳を覗き込む。
「あなたは、世界をどうしたいの?」
「世界……このゾーンダルクという世界ですか?」
レンは真っ直ぐにナンシーの双眸を見つめ返した。
「そうよ。あなたの世界にある遊戯を収集して構築した遊戯場……ゾーンダルクをどうしたい?」
「地球との関係を断ち切りたいです」
「不可能よ」
ナンシーが静かに言った。
「なら、
「却下」
ナンシーの口元に白い歯が覗く。
「大氾濫の条件を変えることはできませんか?」
レンは、マーニャの話を思い出しながら問いかけた。言葉にすることで、少しずつ思考がまとまってくる。
「例えば?」
ナンシーが小首を傾げた。
「渡界者がゼロになってから千年経ったら大氾濫が起きるように変更して下さい」
「面白くないわ」
「じゃあ、900年くらい」
「つまらない」
「……500年?」
「退屈だわ」
「450年とか?」
「う~ん、3分くらいに縮めちゃおっか?」
ナンシーがレンに顔を近づけた。
「せめて、100年にして下さい」
「長すぎる」
ナンシーの両手がレンの頬を挟む。
「……98年?」
「5分ね」
「90年では?」
「話にならないわ」
額と額がつきそうなほど、ナンシーが顔を寄せて目を覗いてくる。
「どのくらいだと、許可してもらえますか?」
「私は今のままでいいの。変えたいとは思わないわ」
「せめて、もう少しだけ猶予を下さい。今のままだと、地球の人間がいなくなってしまいます」
ひんやりとした手で頬を包まれたまま、レンは身じろぎせずに耐えていた。
「そうかしら?」
「地球には、渡界者がいないまま、ずっと大氾濫を起こし続けている"鏡"がありますよね?」
「あるわ」
「もうすぐ、全部の"鏡"がそうなります」
「もう少しくらい頑張れるでしょう?」
「滅びてしまいます」
上手く口で説明できない。それでも、地球が危機に瀕していることは確信できる。ナンシーの正体が何であれ、レン達とはどうしようもない力の格差がある。思念体とかいう連中もそうだ。そんな相手の"遊び"に付き合わされて滅ぶのは絶対に嫌だ。
「……そう。それは本意ではないわ」
ナンシーがレン頬から両手を離して椅子に戻った。
「なら……」
「でも、退屈なのは嫌よ」
脚を組み直して、ナンシーが髪を手で梳いて背へ流す。
「そもそも、大氾濫は必要ですか? あれって何のためなんです?」
レンは、変わらず丸椅子に座ったままナンシーを見つめていた。
「ゾーンダルクに招待しただけだと誰も遊びに来てくれないでしょう? だからルールを設けたの」
「渡界者を増やすために?」
「神の啓示で、そう伝えたでしょう?」
「……もしかして、ナンシー先生がゾーンダルクの創造神ですか?」
"神の啓示"に登場した、青年の姿をした偽神なのだろうか?
「あれは、地球人向けに像を作ったの。啓示……アナウンス内容は、規定されていたものを流しただけよ」
「誰かが作ったシナリオをナンシー先生が放送しているんですか?」
「少し違うけれど、そういう理解でいいわ」
ナンシーが頷いた。
「その誰かにお願いしたら、この遊びを止めてくれるんですか?」
どうすれば良いのか? 誰と話せば良いのか? どうやれば、この遊びを止められるのか?
「創造神は、あなたの認識可能な世界には存在しないし……もうずいぶん前にここを去ったままよ? どうやってお願いをするの?」
「ナンシー先生は連絡できませんか?」
「できないわ」
レンの瞳を見つめたまま、ナンシーがゆっくりと首を振る。
「……そうですか」
「運が良ければ……あなた達の時間で千年くらい後に、ふらっと立ち寄るかもしれないわ。ここのことを覚えていれば……だけどね」
「千年……」
「そのくらいの周期で考えれば可能性があるということよ。約束はできないわ」
「……じゃあ、やっぱり大氾濫の周期を千年にして下さい」
「駄目よ」
「何十年だったら良いんですか?」
「何十分なら……でしょう?」
「もし、近くまで来ているなら、マーニャさんをここへ入れて下さい。僕は、交渉というのが下手だから……」
これ以上は、レンの手に負えない。マーニャか、ケイン達に代わって欲しかった。
「あら? あなたは、上手にやっているわよ?」
ナンシーがレンを見つめて微笑する。
「そうなんですか?」
意外なくらいに穏やかな眼差しを向けられて、レンは戸惑った。
「ええ、とっても上手。余計な条件を出して、遊んであげたくなるくらいに……」
ナンシーの目から笑みが消えた。
「……条件ですか?」
「この世界の表現では、"試練"になるわね」
「ああ……試練ですか」
「そうね。私とあなたのゲーム……プライベートな"試練"ね」
「どういう"試練"なんでしょう?」
「"試練"は、初めてではないでしょう?」
「今まで僕がやった試練は、死ぬことが終了の条件になっていました」
「ああ、そういうことね。うん……もちろん、死んだらお終い。ただし、この部屋に戻されるだけで、本当に命を失うわけではないわ」
あっさりと教えてくれた。
「それだと……」
"試練"の開始と共に死亡すればいいことになる。
「私が用意するモンスターを討伐したら、そのモンスターに応じた時間をプレゼントしましょう」
ナンシーが机の引き出しからクリップボードを取り出し、挟んである紙に何かを書き始めた。
「時間というのは、大氾濫の……猶予時間ですか?」
「そう、渡界者がいなくなってから大氾濫が起きるまでの時間よ。あなたが試練を受けるのなら、24時間という設定を消去して、代わりにあなたが試練で獲得した時間数に置き換えましょう。どうかしら?」
紙面に何かを書き込みながらナンシーが答えた。
「中のモンスターって、1匹倒すと何時間くらい時間がもらえるんですか?」
「1分のモンスターから数時間のモンスターまで色々と用意します」
紙面から顔を上げて、ナンシーがレンを見た。
「……スキルは使えますか?」
「使用を許可するわ。そこに持っている玩具も使っていいわよ。ただし、他の"試練"と同じようにボードメニューは封印するからね」
「僕、一人なんですよね?」
「そうね。でも、後30分ほどでお友達が到着しそうよ。たいしたものだわ」
ナンシーが空中を指差した。
「マーニャが……?」
「でも、お友達の到着を待ってあげられないわ。だって、あなたが交渉した結果でしょう? あなたが決めなさい。私の"試練"を受けるのかしら? それとも諦める? 別に今のままでも良いのよ?」
笑みを浮かべたまま、ナンシーがレンに問いかける。
「……"試練"を受けます」
わずかに逡巡してから、レンは返事をした。こういう事態を予想して"御守り"を準備してきたのだから。
「ふふふ……では、"試練"を始めましょう。あなた、なかなか素敵よ。いい男になるわ」
楽しげに笑いながらナンシーが近づいて来ると、身を屈めてレンの頬に口づけをした。
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レンは"御守り"を準備している!
ナンシーの"試練"を受けることになった!
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