第70話 主治医
「あっ! 本当に帰ってきたぁ!」
大きな声で迎えたのは、マイマイだった。
一筋の光が床を照らしたと思った瞬間、宙空から湧いて出るようにレンが現れたのだ。
(ここは……?)
レンは、眩い光から解放されて周囲を見回した。第九号島の地下、管理エリアの"鶏卵"前だった。
「レンさん、その血は?」
ユキが駆け寄ってきた。
「……血?」
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、すぐに鼻血のことだと気付いてレンは鼻を手で隠した。
【アイテムボックス】に入れてあるティッシュを意識すると、街頭で配っていたチラシ入りのポケットティッシュが出てきた。
(ボードメニューが使える)
それだけで、ほっと安堵の息が漏れる。
「大丈夫ですか?」
ユキが心配そうに訊いてくる。
「うん……これは、ちょっとぶつけただけだから」
レンは、鼻の下を拭いながら言った。
「良かった。みんな、こっちに戻れたんだ」
レンが"試練"を受ける直前、ユキ達は祝符を使った空間に残されていた。あの後、どうなったのか気になっていたのだ。
「私達は、レン君が掠われてすぐに戻されたのよ」
キララ達がレンの周りに集まった。
レンが島主の試練に連れて行かれた直後、キララ達は第九号島の"鶏卵"前に戻されたらしい。
「何日経ちました?」
「レン君が連れて行かれて、8日……ううん、9日目かな」
「そうですか」
レンの体感した日数と大差ないようだ。
「怪我してるわよね? ナンシー先生、呼ぼうか?」
キララがレンの体を見回して訊ねる。
「大丈夫です。鼻血だけで……他に怪我はしていません」
答えながら、レンは自分の体を見た。向こうにいる間は、こうして体を確かめる余裕すら無かったのだ。
(……うっ)
レンは、自分が来ている上着の惨状に気が付いた。
迷彩柄の戦闘服の肩から先が悲惨な状態になっていた。あちこちが破れ、大量の血を吸って黒く変色している。
「あっ、これは……大丈夫です」
レンは、両腕をユキやキララに見せてから、ボードメニューの【コスドール③】を選んで着替えた。
寝間着代わりにしているジャージである。
「レンさん、本当に大丈夫ですか?」
ユキが身を寄せて、レンの目を覗き込む。
「うん、大丈夫……ポータルに入る時に、慌てて顔をぶつけただけだから」
レンは、鼻の頭を摩りながら笑ってみせた。
「鼻じゃなくて、その腕とか……折れたわよね?」
キララがレンの手を掴んでまじまじと見つめる。
「えっ?」
「レン君の……エンカウンターカメラの映像が、そこの"鶏卵"のモニターで流れていたんだ」
ケインが言った。"試練"の間、"鶏卵"の円卓上にモニターが浮かび上がって、レンとモンスターの戦闘場面が映し出されていたらしい。
「エンカウンターカメラ?」
そう言えば、シーカーズギルドで【デスカメラ】と【エンカウンターカメラ】というボードメニューを追加していた。
「全部じゃない。戦闘が始まって、少し……5秒くらいしてから戦闘場面が映るんだ」
ケインの話では、レンの斜め後方、約3メートルほど離れた位置から撮影した映像だったそうだ。
【デスカメラ】とは違って、モンスター側の視線が混じることはなく、一貫してレンの後方からの映像だけが映っていたらしい。
「……そうですか」
レンは頷いた。あの様子を見られていたのなら、無事だと言い張るのは難しい。
(エンカウンターカメラを取得してなかったら、何も映らなかったのかな?)
ポイントに余裕があったから、ボードメニューを全て取得していたのだが……。
「何とか助けたかったんだが、どうにも……方法が無かった。すまん!」
ケインが悔しげに顔を歪めて頭を下げた。
「いえ、どうしようもないです。あれは……誘拐されたようなものですから」
ケイン達に謝罪されるようなことでは無い。
「レン君が連れ去られた後、島主がモンスターに殺されたら試練終了だって、アナウンスがあったの!」
マイマイが唇を噛みしめるようにして言った。怒りで顔が強張り、眉間が青ざめて見える。マイマイが、こんな張り詰めた表情をしているのは初めてだった。
「死んだら、終了だったんですね」
レンは小さく息を吐いた。
その可能性は考えたが、それでも"死ぬ"という選択はできない。質の悪いイベントだった。
「アイミッタちゃんが、レン君が帰ってくるって教えてくれたのよ」
キララが言った。
「えっ?」
「1時間くらい前よ。レン君が戻ってくるから迎えに行きたいって……ほら、あの子、不思議な力があるでしょ? 何かが見えたらしいの」
「そういうの、あるんですね」
レンは、アイミッタの姿を探して視線を巡らせた。
「上の地下街で待ってるわ。ここは、私達しか入れないからね」
地下深くにある管理エリアである。ミルゼッタとアイミッタ、マキシスの3人は昇降機に入ることができない。
「ビーム撃って来るロボットみたいなのと戦った時、レン君の両手が折れたよねぇ? あれは、どうやって治療したの?」
マイマイがレンの肘や肩を揉みながら訊いてくる。
「戦闘後に、治療を受けたんです」
レンは、拳を握って力の入り具合を確かめた。
"マーニャ"の存在を伝えるべきかどうか、まだ迷っていた。ケイン達とは、ここまで共に過ごしてきて、ゾーンダルクの"不思議"は嫌というほど味わっている。今更、"不思議"が一つ追加されても問題無いような気がしたが……。
(一応、マーニャに確認してからにしよう)
怪我の功名とは言いたくないが、"試練"のおかげで"マーニャ"と会うことができた。まだ色々と不安な状況だったが、自身の寿命については光明が見えた気がする。
「治療って、ナンシー先生? あっちで、ボードメニューが使えたの?」
キララが訊ねてくる。
「いいえ、ボードは使えませんでした」
レンは軽く首を振った。
その時、
リリリン……
耳音で涼しげな鈴の音が鳴った。【ピクシーメール】の受信音だった。
(あっ?)
レンはボードの受信箱を開くと点滅している未読メールに指で触れた。
『お手紙ですぅ~』
のんびりとした声と共に、背中に蝶のような羽根のある女の子が現れた。その小さな手に白い封筒を持っている。
「……ありがとう」
レンは礼を言って封筒を受け取った。
『お返事、書きますかぁ~?』
ピクシーが小首を傾げて訊いてくる。
「後でね」
レンが答えると、
『またのご利用をお待ちしてますぅ~』
ピクシーの女の子が、空中でお辞儀をして消えていった。
「誰か、レン君に手紙出した?」
キララがマイマイを見る。
「出してないよぉ?」
マイマイがケインを見る。
「俺じゃねぇぞ?」
ケインがユキを見た。
「私も違います」
ユキが首を振った。
(……やっぱり)
開いてみると、差出人は"マーニャ"になっていた。
視線が集まる中、レンはメールを開いた。
ワールドマップなどと同じように、ピクシーメールの内容は他人には読むことはできないから手元を見られても構わない。
そう思ったのだが……。
『ハァ~イ、マイチャイルド! 体は大丈夫そうね』
明るい声と共に、マーニャが目の前に現れた。濃紺色のビジネススーツの上から白衣を羽織った、いつもの格好である。
(えっ!?)
レンは息を飲んで絶句した。
まさか、他の人がいる場で姿を見せるとは思わなかったのだ。
『あら? この人達は、君の友達かな?』
マーニャが、唖然としている面々を見回した。
「レ、レン君? これって、ピクシーなの?」
キララがレンの袖を引っ張る。
「えっと……僕の命の恩人です」
レンは困惑顔のまま答えた。
『そう! 私は、マーニャ! 彼の主治医よ!』
両腰に手を当てて、マーニャが胸を張った。
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レンは、第九号島に戻った!
マーニャが出たっ!
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