第32話 再会
『ユキがいます』
視界に補助脳のメッセージが表れた。
富士山の"鏡"を潜った直後だった。まだ視界に揺らぎが残っている内に、補助脳のメッセージが表示されていた。
(ユキが?)
視線を巡らせると、ステーションの楼門の向こうから歩いて来るユキの姿が拡大表示された。
ブルージーンズに、白いTシャツ、上からモスグリーンのフライトジャケットを羽織っている。まだ髪が短い頭には、黒いニットの帽子を被っていた。
『ヤクシャ、フレイヤ、バロット、クロイヌが来ました』
(えっ!?)
視界に表示されたサインに従って後方を振り返ると、後背に聳える大きな鏡面から、同期の4人が次々に姿を現した。
「レン君! 君も来てたのか」
クロイヌが、レンに向かって手を差し出した。
「またこっちで会うとは思いませんでした。渡界することにしたんですか?」
レンは、近くにいるヤクシャ達を見ながらクロイヌの手を握った。
「ははは……自分でもどうかしてるって思うよ」
「ユキ殿を守るために、俺は命を賭けるのだっ!」
「えっ?」
いきなりの大きな声に、レンは軽く眼を見張って声の主を見た。
バロットだった。背丈はレンより少し高いくらいだが、何かで鍛えているらしく、ラグビーの選手のような分厚い体躯をしている。
「あぁ、いいから行っちゃって。ちょっと変なスイッチ入ってんの」
フレイアが恥ずかしそうに顔を歪めつつ、レンに向かって立ち去るように手を振った。すぐ横で、ヤクシャがにやにやと笑っている。
「ユキ殿は、人類の至宝だっ!」
バロットが叫び声を上げる。
「本人がいる時に言いなよ!」
フレイヤがバロットの背中を引っ叩く。
レンは、ちらと楼門の向こうへ視線を向けた。近付いて来ていたはずのユキが姿を消している。バロットの声が聞こえたのだろう。
『透過表示をします』
補助脳のメッセージと共に、楼門の向こう側に身を潜ませたユキの姿が白く映し出された。腕組みをして壁に背を預けている。
(ユキは、バロットさんと知り合いなのかな?)
レンはバロットを見た。
「ユキ殿を御守りすることこそ、我が天命だと確信したのだ!」
「うるさいって!」
「いや、俺達はケインさんとは別の調査チームだぞ?」
ヤクシャが笑みを浮かべながら言った。
「我が決意の前に、些末な役回りなど意味を成さないのだっ!」
「ちょっと、静かにして!」
「調査など無意味だっ! 手に負えないものを調査して何になる? 何か分かったところで何もできないではないか! 人は神には勝てないのだ! こんな調査など茶番だっ!」
「うるさい!」
フレイヤがバロットの脇腹に拳を突き入れた。腰の入った見事な正拳突きだった。
くぐもった呻き声を漏らして、バロットが身を折り床に蹲る。
「ぐぅっ……こ、この程度の痛みで、ユキ殿への想いが揺らぐと思うな」
「だから、そういうのは本人がいるところで言いなよ」
フレイヤが疲れた顔で嘆息を漏らした。
「何か、ユキさんとあったんですか?」
レンは小声でクロイヌに訊ねた。
「いや……まったく無い」
クロイヌが小さく首を振った。
「えっ?」
「遠くから見るだけで、言葉を交わしたことが無い」
「そう……なんですか」
レンは、床に
固太りと言うのだろうか、顔や首周りなど少し太っているように見えるが、羽織っているジャージの上着を盛り上げているのは分厚い筋肉だ。全体に厚みのある体付きで、鈍重な感じはしなかった。
「彼は、レスリングの選手だよ」
クロイヌが教えてくれた。
「……そうですか」
「フレイヤは彼の妹で、空手……それもフルコンタクトの選手だったらしい。かなり強いよ」
「兄妹?」
なるほど、だからやり取りに遠慮が無いのだろう。
「似てないだろ?」
「いえ、目元が何となく」
兄妹だと思って見れば、目元の感じが似通っている気がしてくる。
「ちょっとやめてよ」
聞こえたらしい、フレイヤが不服そうに睨んでくる。
「くっ……ユキ殿がいない日本に未練などない。だから渡界を決意したのだ」
バロットが床に座ったまま、痛そうに脇腹を摩っている。
「そもそも、ユキさんが渡界するって、どうやって知ったんですか?」
レンはクロイヌに小声で訊ねた。
ケイン達の呼び掛けで、調査チームを組むことが決まったのが7日前だ。異探協から連絡があったのだろうか?
「ケイン兄貴が、リークして下さったのだ」
バロットが答えた。
「ケインさんが?」
「前に言ったと思うけど、帰還者の会があるのよ。まあ、単なるSNSのグループなんだけど。そこで、ケインさんやキララさんが調査チームの参加者を募ってたの」
フレイヤがSNSについて説明してくれた。
メッセージのやり取りと検索でしかスマートフォンを使わないレンにとっては、未知の世界である。
「そういうのがあるんですね」
レンは頷いた。
「日本に帰った時から、ケインさん達がSNSで色々と呼び掛けをやってたわよ? なんか、持ち帰ったモンスターの素材を集めてるみたいで……ケインさんの奥さん? マイマイさんが何かの研究に使うから買い取りたいって」
同じような提案を政府もしていたが、ケインが提示した買取額の方が段違いに良かったらしい。
「モンスターの素材なんて、俺達が持っていても仕方がないし……ケインさんが買取をしてくれるようになったおかげで、今まで粗大ゴミみたいに有料で引き取ってた政府の収集業者が買取を始めたんだ」
「まあ、お金には困らなくなったけど……やっぱり高く買ってもらえると嬉しいから」
「キララさんが、タングステンより硬くて軽い素材で、Tシャツを作ったとか言ってた。そんなの着たら動けなくなるだろうって、参加メンバー同士で盛り上がってたな」
ヤクシャがフレイヤを見て笑う。
「うん、試作品を個人サイトにアップしてた。今回の渡界で、実証試験をやるんだって。希望者には試作品を無料支給するから、ボディサイズを教えろって言われたわ。でも……渡界したのは私達だけみたいね」
他にも再渡界に賛同した者がいたような口ぶりだった。
「動画だと、ボウガンやコンパウンドボウ、インパクトドライバーなんかにも何回か耐えてた。衝撃は吸収しきれないから、貫通は防げても骨折するかもしれないって……マイマイ殿がコメントしていた」
床に座ったまま、バロットが言った。まだ痛そうに脇腹を摩っている。
「他にも、対テロ用のライオットシールドっていうんだっけ? 警官が持ってるような盾をゾーンダルク産の素材で作ったらしい。ゲートに入る前に、ステーションで配布してくれることになっている」
クロイヌも、試作品を貰うために自分のボディサイズを送ったそうだ。
知らない所で、怪しげな物を試作していたようだ。話し半分に聞いていたロケットの話も、案外本当なのかもしれない。
「まあ、そういうのもあって……お金には不自由しなくなったし、もう働かなくても生活には困らなくなったけど、何となく日本に居場所が無い感じがしてね」
「そうね。別に周りに何か言われた訳じゃないけど……そんな空気だったわ」
「年俸1億貰って、税金優遇だからね。口には出さなくても嫉みとかあるよ」
ヤクシャが苦笑する。
「羨ましいと思うなら、自分達もゾーンダルクへ渡界すればいいのだっ! 大氾濫を防ぐために生贄となった当然の対価である!」
バロットが吠えた。
レンはまったく気にしていなかったが、ヤクシャ達は居心地が悪い思いをしたようだ。
「でも、そういうの気にしなければ、普通に暮らせるんじゃないですか?」
「ははは……まあ、その通りなんだけどね。何て言うのかな、ゾーンダルクから帰った後、ちょっと気が抜けたようになっちゃって。何かをやろうと思っても根気が続かないんだ」
クロイヌが頭を掻く。
「燃えないのだ! 心が昂ぶらないのだ!」
バロットが拳を握って唸った。
「うん……ちょっと大袈裟だけど、そんな感じだったな」
クロイヌが苦笑しつつ頷いた。
「日本は、泥沼に沈みかけた箱庭だっ! 偽物の平和がいつまでも続くと思っている愚か者どもめがっ! 現状を打破するにはゾーンダルクへ行くしかないのだ!」
つい先ほど、調査は無意味だと叫んでいたような気がしたが……。
「兄貴は突っ走り過ぎだと思うけど」
フレイヤが溜息を漏らした。その肩に、ヤクシャが手を置いた。
「バロットが言う通り、このままじゃ日本……世界には先が無いと思う。こんなこと、俺なんかが言っても仕方無いんだが……何かを変えるチャンスがあるのは"鏡"の向こう側だろう? だから……この馬鹿げた騒動を終わらせたかったら、ゾーンダルクへ人を送るしかない。それが分かっているから、日本政府も特派部隊を向こう側へ送り続けているんだと思う」
「特派部隊にできないことを、俺達がやれるとは思えないけどね。ただ……殴られるのをじっと待ってるのは、性に合わないんだよ」
そう言って、クロイヌが楼門を見上げた。
「そうですね」
レンだって、"鏡"を何とかしたい。できるものなら偽神の脅威を排除したいと思う。その気持ちがあるからこそ、レンも調査チームに参加したのである。
ただ、レン自身の動機の大半は、自分の肉体を構成するナノマテリアルの入れ替えだった。
"マーニャ"を見付けないと、肉体の寿命が3年で終わってしまう。まずは、命の延長をしないと話にならない。
(それに、たぶん……今のままだと何をやっても解決しない)
レンは、そう感じていた。
世界中のあらゆる軍隊が"鏡"を破壊することができなかった。それはつまり、地球の兵器がゾーンダルクの創造神には通用しないということを意味する。
(でも"マーニャ"なら……)
もしかすると"マーニャ"なら、何か方法を知っているんじゃないだろうか?
少なくとも、ゾーンダルクの創造神がどういった存在なのか、どこに居るのか……レン達よりは詳しい情報を持っているはずだ。
「レン君? 向こうで、ユキさんが待ってるみたいだよ?」
クロイヌに声を掛けられて顔を上げると、楼門の傍にユキが立っていた。レンが考え込んでいる間に、隠れるのを止めて出てき来たらしい。
『生存者がゼロになりました』
(えっ!?)
不意に、レンの視界にメッセージが浮かんだ。
「あ……」
レンは、慌てて背後の鏡面を振り返った。
"鏡"の上方に表示されている数字が [ 0 ] になっていた。
「全滅か」
ヤクシャが呟いた。
「……18人も残っていたのに」
「ポータル前のあれにやられた? 消えるナメクジか?」
「一気に減ったから、大型のモンスターに遭遇したかもね」
クロイヌ達が、鏡面の数字を見上げて顔を曇らせる。
「24時間以内に渡界しないといけなくなりましたね」
レンはボードを表示し、腕時計との時間のズレを確かめた。
誤差は、1秒未満だ。
「いや、多分、山頂に待機していた特派の人達が入ってくるよ」
クロイヌが言った。
「そんな人達がいました?」
「うん。調査隊とは別に、特派要員だって人達が集合してたわ」
フレイヤが言った時、ユキが楼門の向こうから近付いて来た。立ったまま話し込んでいるレンを待ちきれなくなったらしい。
「レンさん、みんなが向こうでお茶しています。一緒に行きませんか?」
「お茶?」
あの3人がお茶を飲んでいると聞いて、レンは不安になった。脳裏に、缶ビールを片手に騒いでいる3人の姿が思い浮かぶ。
「お茶です」
ユキが無表情に答えた。
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レンは、第九期傷病特派の面々と再会した!
渡界の目的は様々だった!
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