第26話 廃墟


(……えっと?)


 レンは、周囲を見回して眉を潜めた。つい先ほどまで居た狭い部屋の中だ。


(あれ?)


 アプリのアイコンを押した直後、ほんの一瞬だったが、視界が歪んだような気がしたのだが……。


(ゾーンダルクに飛ばされるのかと思ったけど)


 レンは、スマートフォンを探した。

 電源タップに挿してある充電用のコードはあるが、スマーフォン本体は見当たらない。

 狭い部屋の中をゆっくりと見ながら、レンはわずかに眉をひそめていた。


(静か過ぎる)


 昼だろうが夜だろうが、このアパートが静かになることはない。

 不気味だった。


(そういえば……消火器はどこへ消えた?)


 スマートフォンを殴りつける時に使った消火器が見当たらない。


(おかしいな)


 レンは、扉を開けて廊下に顔を覗かせた。

 そこに、消火器が置いてあった。


(消火器が?)


 レンは消火器を部屋に放り出している。廊下に戻したりしていない。


(……違う)


 音の途絶えたアパートに、物の位置が変わった部屋の中……。

 ここは何かが違っている。異常事態が起きていた。


(ボード)


 装備を変更するために"ボート"を開こうと思ったが、何も起こらなかった。


「オープン・ボード」


 声に出してみたが、"ボード"のメイン画面が開かなかった。アパートに戻った後も問題なく使えていたのだが……。


(使えない? 【アイテムボックス】は使えないのか)


 理由は分からないが、"ボード"関係は使用できないようだった。【アイテムボックス】が使えないとなると小銃などの装備品が取り出せない。


(補助脳も……動いていないのか?)


『正常に作動しています』


 補助脳のメッセージが視界に浮かんだ。

 レンは、ホッと安堵の息を吐いた。


(何が起こったか分かる?)


『不明です』


(……そうか)


 レンは、流し台下の包丁入れに挿してあった出刃包丁を取り出した。そのまま持ち歩くのは危ないから、タオルを巻いておく。


(ここの人達は、どこへ行った?)


 未だにアパートは静まりかえったまま、わずかな生活音すら聞こえてこない。

 絶対に起こりえない静寂だった。深夜だろうと早朝だろうと、常に誰かが音楽を流し、人の声や物音がしているアパートなのだ。

 異変が起きているのは間違い無い。


 レンは、窓際に寄ってカーテンの陰から外の様子を覗った。


(……えっ!?)


 自分の目を疑った。


(樹? そこら中に……)


 巨樹が建物を突き破って乱立し、アスファルトの裂け目から青々とした草が生え茂っていた。

 アパートの北側に聳え立っている巨大な高層ビルは、蔦のような植物に外壁が覆われて樹のようになっている。


(……夢? 幻覚? あの使徒とかいう子の仕業?)


 レンは窓辺を離れると、自分の部屋を出て隣の部屋へ行った。


(どうせ、鍵は掛かってないよな)


 扉のノブを捻ると、あっさりと開いた。

 途端、レンは眉根を寄せた。


(死骸?)


 居間に布団らしき残骸があり、白骨が3つ折り重なるなるようにして散らばっていた。


(あれは……)


 居間の壁際に、スマートフォンが落ちていた。白骨になった住人達の持ち物だろう。

 レンは、部屋に入ると、スマートフォンをひっくり返して画面を確かめた。


(電池切れ? 電源が入らない)


 スマートフォンそのものは多少の使用感があるだけで綺麗だったが、電源は入らないようだ。

 レンは他の部屋も調べてみることにした。

 2階の部屋を確認し、続いて1階の部屋を調べる。

 どの部屋も似たり寄ったりで、白骨化した死体が転がっているだけだった。


(近所を歩いて調べてみよう)


 アパートの周囲だけがおかしいのかもしれない。

 レンは、激変した光景に眼を奪われながらアパートから外へ出た。


(……草木が凄いな)


 一歩外に出るだけで、噎せそうなほどの新緑の匂いに包まれる。草木から異様なくらいの生命力を感じた。

 アパートの周辺は、ブナのような広葉樹が多かった。落ち葉が幾重にも積もってアスファルトが隠れている。


 レンは、アパートを振り返った。

 錆びて床板が抜け落ちそうな外階段に、[たきも荘]の看板がぶら下がっている。

 不思議なことに、周囲の家屋に比べて、この古びた木造2階建てのアパートだけは、ほとんど傷んでいないようだった。まあ、元から倒壊寸前だったから、そう見えるだけかもしれないが……。


(とりあえず、駅の方へ行ってみよう)


 レンは、目の前に聳えている高層ビルに向かって歩き始めた。

 緑に覆われて巨大な樹のようになっているが、この異変が起きる前までは、キラキラとしたガラス張りのオフィスビルで、1階に駅があり電車が乗り入れていて、地下にも地下鉄が走り、この辺りでは最も人が集まる場所になっていた。


(もう、ほとんどガラスが残っていない)


 ビルの内側にも植物が茂っているらしく、あちらこちらの窓を突き破って枝葉が伸びていた。窓枠を残して、ガラスは失われていた。


(ビルも酷いが、この辺りもボロボロだ)


 不安になるくらい、無事な人工物が残っていなかった。

 ホームレスが避難場所にしていた倉庫裏の狭い隙間には、白いキノコが群生していた。半壊した倉庫の壁には、体長が1メートル近くもあるカマドウマのような虫の抜け殻がしがみついている。


『探知範囲内に、高濃度ナノマテリアル体が出現しました』


 視界に、補助脳のメッセージが浮かんだ。



- 45.07



(出現……モンスターが?)


 レンは近くの樹に身を寄せた。

 かさかさと落ち葉を踏む音が近付いて来ていた。すでに、対象に ▽ マークが付いている。

 音の感じからして、あまり大きな生き物では無さそうだが……。


(えっ!?)


 樹の陰から覗き見ていたレンは、思わず声を上げそうになって、ぎりぎりのところで堪えた。

 木々の間を近付いて来たのは、青灰色の肌身をした大柄な怪人だった。

 禿頭で、眉間に小さなイボのような角が6本生えている。双眸は針のように細く、太く大きな鼻が顔の大部分を占めていた。身長は2メートル前後。足より腕の方が長く太い。頭髪だけでなく、眉や髭などの体毛は生えていないようだった。

 筋骨隆々とした裸身の腰にスカートのような物を巻き、首には大きな金色のメダルをぶら下げ、手には長い鉄串のような物を握っている。

 富士山頂で戦ったモンスターは生き物というより作り物のような印象だったが、目の前にいる怪人は生々しい生命感を感じさせる。


(こんなに接近されるまで探知できなかったのか?)


 レンは、補助脳に語りかけた。こんなに接近されるまで、なんの警告も出さないというのはおかしい。


『いきなり出現しました』


(……そうか)


 レンは眉をしかめつつ、包丁に巻いていたタオルを外した。

 探知範囲外から近づいて来たのではなく、補助脳の範囲内に突如として出現したということらしい。


(会話ができる相手には見えない)


 異界探索士協会のモンスターリストには載っていないが、どう見ても友好的な存在ではないだろう。

 協会のマニュアルに従うなら、初見で害意を持っているかどうか判断ができない場合、まずは対話を試みて、相手が敵対行動を取ったら応戦することになっている。


(……どう見ても、害意を持ったモンスターだ)


 あんなのと対話したいとは思わない。


(銃は持っていないし、1匹だけなら……)


 レンは木陰から怪人の様子を覗った。

 怪人が持っているのは、杭のような先が尖った棒だけだ。初手で深傷を負わせれば、後は距離を取って逃げ回れば失血により勝手に斃れるはずだ。あれが血の通った生き物なら……。


 怪人が大きな鉤鼻をひくつかせ、レンが隠れている樹の方へ向きを変えた。こちらの気配を感じ取ったのか、怪人の方もやや姿勢を低くし、両手で棒を持って、足音を殺して進み始めた。


(後ろからやろう)


 こちらは相手の位置を正確に知っているが、あの怪人はまだぼんやりとしかレンの位置を把握できていないはずだ。

 レンは、大きな樹の裏に潜んで背後を取るタイミングを計った。

 近接戦闘は、レンが最も得意とする戦闘技能だ。


(気味が悪い相手だけど……)


 怪人が、レンの隠れている樹の裏へと真っ直ぐに近付いて来る。こちらを警戒している様子はない。


 怪人が樹の幹を挟んで反対側に近寄るまで待って、レンは樹の幹を怪人とは逆に回り込むなり、真後ろから怪人の首を狙って包丁を突き入れた。



 ゲアッ!?



 衝撃で怪人が小さく苦鳴をあげて前へつんのめる。

 レンは、砂袋でも刺したかのような鈍い手応えに顔をしかめつつ、包丁をさらに押し込んだ。怪人は、見かけより体の力は強くなかった。


(……このまま押さえ込めば)


 レンは、地面へ押し倒して体重を掛けた。

 その時、


(うっ!?)


 いきなり、怪人の全身から青紫色の液体が滲み出て来た。

 みるみる肌が紫色に変じて、怪人が倒れている地面から酸性の刺激臭が立ち上る。鼻腔が焼けたように痛んだ。


(血? いや……違う!?)


 嫌な予感を覚えると同時に、レンは包丁を手放して近くの樹の裏へ身を入れた。



 ガアァァァァァ……



 直後、怪人が地面に四つん這いになったまま咆吼をあげ始めた。その全身から青紫のガスが噴出している。


『微量の毒物を吸引しました。マテリアルに吸着させて体外へ排出します』


(毒!?)


 レンは、呼吸を止めて走ると、先ほど見かけた倉庫裏の隙間へと飛び込んだ。

 白いキノコがびっしりと生えた中に頭から転がり込みながら背後を振り返る。


 風向きが幸いしたのか、青紫色のガスは怪人から10メートルほどの距離までしか届いていないようだった。


(……仕留めた?)


 俯せに倒れたまま、怪人が起き上がってる様子はない。噴き出ていた青紫色のガスも、どんどん薄れていっている。

 無色になっても毒素が残留している可能性はあるが……。


『毒物の排出を完了しました』


 補助脳のメッセージが表示された。


(……助かったよ)


 命拾いをしたようだ。

 しばらく様子を見守ってから、レンは、体についた湿った土やキノコの破片を払って立ち上がった。


 その時だった。



 ポーン……



 小さな電子音がどこからか聞こえた。


(えっ!?)


 レンは、慌ててしゃがんで周囲を見回した。


(……は?)


 目の前に、スマートフォンが浮かんでいた。それは、アパートの部屋から消えていたレンのスマートフォンだった。


『それでは、ネクストステージ、スタートですぅ~』


 陽気な声が響き、画面中央に Second Stage !! という文字が浮かび上がった。








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廃墟の戦闘が始まった!


レンは、First Stage をクリアした!

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