第18話 閑話・不思議な夢1(ノエルの前世話) ★

2022/02/02に大幅加筆修正をしました。

今回はノエルの前世、ミツキの話です。

※気分の悪くなる設定・台詞があるのでご注意。




「ミツキちゃーん! お父さん、お迎えに来たよ~」


 保育士の呼びかけに、クラスの隅で絵本を読んでいたミツキが顔を上げれば、クラスの入り口に、待っていた人の姿を見つけた。


「おとうさん!」


 絵本を本棚に戻して、小走りで駆け寄る。そのまま抱き付けば、娘を待つため大きく広げていた腕は、飛び込んで来た存在を優しく抱き上げた。


「ただいま、ミツキ」

「おかえりなさい!」

「ミツキちゃん、今日は下のクラスの子たちに絵本を読み聞かせてくれたんですよ」

「そうなんですか! ミツキは凄いなぁ~」


 大きな手が、小さな頭を撫でる。その柔らかな手付きが、ミツキは好きだった。

 父子家庭であるカンダ父娘の、何でも無いいつもの日常。二人はそんな時間も大切だった。


 ミツキ・カンダの人生は、生まれる前から難しいものであった。

 ミツキの母であるユヅキ・カンダが彼女を身籠もった時、身内はユヅキの両親でありミツキの祖父母だけであった。

 父となる存在はいない。ミツキがその周辺の真実を知ったのはもっと後のことになるが、カンダ家は元々仲の良い三人家族であった。


 そんな仲の良い家族が初めて経験した修羅場は、まだ十代である娘の妊娠。


 ユヅキが身籠もった時、両親は産む事を反対した。当然だ。当時ユヅキはまだ子どもという年齢な事もあったが、身籠もった経緯が両親的には賛成出来なかった。

 力任せに、それも複数人から尊厳を踏みにじられた末に出来た子。そんな苦痛に加え、誰ともわからない、ましてや犯罪者の血を引いた命を産み育てていく困難など、傷付いた娘に背負わせたくない親心から彼らは産む事を良しとしなかった。

 ところがそれを拒否したのは、当事者であるユヅキ本人だ。


『私の下に来てくれた命に罪はない。それに、私がこの子と未来を歩みたいんだ』


 勿論、親子は衝突した。悪阻で体調がすぐれない娘に『諦めろ』と云い、娘は『断る』と突っぱねた。

 そんなやり取りと続けて行く内に、とうとう腹が膨らんできた。当たり前だ。腹の子だって生きているのだから。

 そんな腹を撫でては微笑む娘に、両親はとうとう折れて許可する事にしたのだった。

 そうしてミツキは生まれ、大変ながらもカンダ家は幸せな生活を送っていた。


 そんな中、ユヅキは仕事で知り合った男に、生まれて初めて恋をした。

 ミツキの父となる人物・ソウヤだ。


 恋をしたのは良かったものの、自分には守るべき娘がいる。悠長に恋愛をしている場合ではないとユヅキは考えていたし、相手の将来を考えれば、一緒になりたいとはとてもじゃないが言えない。ユヅキは想いを告げるつもりはなかった。

 だがソウヤは違った。

 ユヅキの気持ちとは反対に、ソウヤは逃げる彼女にアプローチし続けた。

 昼食を誘ったり、長時間は家で待っている娘に悪いからと、仕事終わりに二〇分程度近所のショッピングモールに買い物に誘っては、ユヅキの好みの物をプレゼントしたりと繰り返していた(余談だが、ユヅキが欲しがるものは『これ好き』と直感的な物が多いのだが、彼は毎度当てて彼女を何とも言えない気持ちにさせていた)

 案の定、ユヅキの心はグラグラと揺れに揺れた。女にしては口調は勇ましく、大して話しも面白くないと評判の自分の話を飽きもせず聞き、家庭事情を知っても面倒だと逃げる事もなかった彼に、心を傾けずにはいられない。


『今度さ、公園に行かないかな? 勿論、ミツキちゃんも一緒に。子どもが楽しめそうな公園探してみたんだけど、ミツキちゃん、こういう公園好きかな? 動物の触れ合いコーナーとかあるみたいなんだ。あ、動物とか触って大丈夫? アレルギーとかない?』


 子ども主役のデートの誘いを受けた時、思わず『それは反則だ』と口走ったのは、ユヅキの中で恥ずかしい、けれど幸せな思い出として残っている。

 娘の事まで気遣うソウヤに、とうとうユヅキはついに折れたのだった。


 そんな二人のやり取りを知らずにいたミツキだったが、割と早い段階で彼を気に入り、父として受け入れた。


『はじめまして、ミツキちゃんっ。あ、えっと、ミツキちゃんって呼んでも良いかな? 大丈夫??』


 ミツキがソウヤに気を許したのは、この言葉が大きかった。

 母・ユヅキを一方的に気に入って追いかけて来る男は多い。酷い時には家にまで押しかけて来る始末。

 どうやら、口調は勇ましいが親切で性格が良く、おまけに美人な所が気に入られてしまうらしい。ストーカー紛いの事をされる事が度々あった。


『餓鬼に用はない』

『そろそろお母さんを解放してやれ』

『お父さんとお母さんの仲を邪魔しないでね』


 運悪く男とミツキが遭遇してしまった際、彼らに言い捨てられる台詞。

 いつからお前は父親になったんだと、幼いながらに男の言い分に呆れ返ったものだったが、同時に誰も自分を家族として必要としない事に、将来母に好きな人が出来たらと不安に駆られていた。

 だが、母が自ら連れて来た男は、開口一番に自分を気遣う言葉を投げかけて来た。初めての事に動揺したが、直ぐに『今までの身勝手な人たちとは違う』と認める事が出来た。

“捨てられない”という安心感と、母の幸せそうな様子に、ミツキも早々に心を開いたのだった。


 周囲に背を押され、ユヅキとソウヤは結婚した。

 二人が籍を入れた際、ミツキはこの時初めてソウヤを『おとうさん』と呼んだ。

 ソウヤは嬉し泣きをする程喜び、またその姿にミツキも心から父と思い接する事が出来るようになった。カンダ家が幸せだったのは言うまでも無い。


 このまま幸せが続いて行くのだと、そう信じていた――祖父母が亡くなるまでは。


 日頃の礼にと、祖父母に一泊二日の温泉旅行をプレゼントして、当日二人を笑顔で送り出してから数時間後、彼らの訃報が届いた。

 原因は、乗っていたレンタカーの故障。どうやらブレーキが効かなくなったらしい。

 借りる際点検もしていたのにどうして、という思いはあったものの、レンタカーショップは整備不備による事故を全面的に認め、潔く謝罪と賠償金を支払って来た事と、幸いにも単独事故で周囲を巻き込むとがなかったのもあり、この話しは広がらず収束した。

 明日にでも、二人は笑顔で戻って来ると信じて疑いすらしなかった。どんな土産話が聞けるのだろうかと、苦労かけた両親に親孝行が出来たと喜んでいたユヅキは、ショックで数日泣き続けた。その姿を、ミツキは鮮明に覚えている。

 葬儀から何から準備したソウヤは、今まで見た事のない程落ち込む妻と、まだ目が離せない娘を支え、守った。

 葬儀は家族のみで行われた。悲しみに暮れはしたが、ユヅキも『ソウヤにも申し訳ないし、娘の前でいつまでも鬱ぎ込んでいる訳にはいかない』と、少しずつではあるが以前の活気を取り戻していった。

 皆が食事をするリビングのテーブルには、毎日違う祖父母の写真が飾られるようになった。


 親子三人で悲しみを乗り越えて行こうと寄り添い奮闘している最中、悲しみは留まる事を知らないかのように襲いかかってくる。

 今度は、ユヅキが亡くなった。


 母の死因だけ、ミツキは聞けなかった。落ち込む父に聞ける雰囲気ではなかったのとは別に、何となく、もっと深いところで聞いてはいけない気がしていた。

 祖父母と同じく突然の別れに、父と娘は数日の間これでもかと寄り添って泣いた。

 大切な人だった。“だった”と言うしかなくなってしまった事が、苦しくて、辛かった。

 だが、どんなに悲しくても二人は生きている。生きていれば疲れ果てて涙は止るし、エネルギーを消費すれば腹も減る。

 どちらともなく腹の虫が鳴いて、二人は弱々しくも笑い合い、お互い泣くのは終わりにした。祖父母や母を大切にしながら、二人力を合わせて生きて行こうと決めたのだった。


 そうして、父と娘二人の生活が始まった。テーブルの上には祖父母の写真と一緒にユヅキの写真も飾られるようになり、ソウヤは今まで以上にミツキを可愛がった。

 出かける間際や帰って来た際。寝る前や悲しい時……そして嬉しい時、前髪の上から送られるキスに、ミツキは父の愛情を受け取る事が日常になっていた。

 目まぐるしい日々が続くが、二人は満足だった。


 だが悲劇は終わらない。

 今度はソウヤが死んだ。


「ミツキちゃーん! お迎えだよ~」

 

 いつもの様に名を呼ばれ、絵本から顔を上げて出入り口を見れば、そこには知らない女が立っていた。

 迎えが来たと保育士は云っていたが、父以外の人間が迎えに来る筈がない。

 間違えだろうかとそのまま固まっていれば、女はクラスに入って来ると、ミツキの下まで一直線に向かって来た。


「ミツキちゃん! お迎えに来たわよぉ!」


 遅くなってごめんね~! と、女はミツキを抱き締めるが、知らない女の突然の行動に我に返って、腕の中から抜けだそうと身体を捩る。

 だが次の瞬間聞こえた言葉に、ミツキはその動きをピタリと止めた。


「静かにおしっ! アンタも、アンタの親みたいになりたくないでしょう?」


 ミツキにしか聞こえない程の小声で、女は確かにそう云った。

 幼いながらに、女の言葉は脅しであり、家族の死に何かしらのッ関わりがある事を悟った。


「お、おとさ」

「お父さんはね、今怪我をして病院にいるの。だからおばちゃんが代わりにお迎えに来たのよぉ」


 女の香水の匂いのせいか、それともねっとりとした声のせいか、急激に吐き気を覚えたミツキは、吐くのを堪えて口を強く結んだ。

 負の感情を向けられる事には慣れている。ソウヤが父になる前は母子家庭、そして母のストーカー被害。その時期から、ミツキは相手から何かしらの悪意ある目を向けられ、実際鈍器の様な言葉を云われ続けた。

 だから、わかる。

 女は自分の、カンダ家の敵であることを……


「大丈夫よ、アンタ殺しちゃうと遺産が入って来ないから、あの男の遺言に書いてあった二三才までは生かしておいてあげる」


 何の疑問も持たず見送る保育士の側を、半ば担がれる様に抱き上げられて通り過ぎ、駐車場に止めてあった父の車に放り込まれる。

 運転席に座りながら、先程よりねっとり感がなくなった口調で話す女を後部座席で睨んだ。

 今は殺さないと云っているが、その内殺すのであれば何も変わらないではないか。

 まだ幼女と云える年齢ではあるものの、ミツキにはそのくらいの事は十分理解出来る。伊達に色んな困難を乗り越えてはいない。


「そーんなに睨まないでよ。これから上辺だけでも家族になるんだから」

「……お父さんはどうしたの」

「ああ、死んだわ。ついさっきね」


 サラリと、まるで息をする様に云われた。悲しみより怒りが沸き上がりが、意思に反して涙が溢れる。

 初めて会った時、自分も大切だと云ってくれた大好きな父に、もう会えない。声も聞けないし、笑顔も見ることも、もう叶わない。


「……今、どこにいるの」

「海の底よ。アンタの新しい父親が沈めに行ってるわ。だから、もういない人間の事を口にするのは止めなさい。そうそう、保育園も今日で最後だから。明日からは小学校に上がるまで家の中から出さないわよ」

「……わかりました」

「あら、物わかりが良いじゃない。あの女とは大違いね!」

「もういない人の話はしないんですよね?」

「……その減らず口はソックリだわ」


 車を走らせながら、女は嬉々とした口調で己の罪を喋った。

 母を追い詰め続けた過去。血の繋がる父がいなかった理由。祖父母、そして母の死が他殺であった事や、死の真相を一人突き止めようとしていた父を殺したこと。

 女はミツキの様子を窺うように楽しそうに話しては、変化のない少女の表情につまらなさそうに舌打ちを繰り返した。


「あ、アンタには父だけじゃなくて兄も出来るんだった。アンタみたいに生意気でイヤなんだけど、跡取りだから仕方ないわね」


 こんな人よりかはマシだろうと、そう思っていまう。それだけ女の言動は異次元のものだった。


(お父さん、わたし……負けないからね)


 家に着き、腕を引っ張られながらリビングに連れて行かれると、そのまま部屋に放り込まれた。

 勢いに負けそのまま倒れ込む。痛みに呻きそうになるが、唇を噛み締めて必死に耐えた。


「ふんっ、アンタ、犯されても泣き声一つ出さなかったあの女ソックリだね!」


 起き上がろうとすれば、頭にハンドバッグが投げつられた。

 突如として始まった暴行にただただ耐える事しか出来ずにいれば、二階から階段を駆け下りて来る足音が聞こえた。


「何してるんですか? こんな小さな子に」


 それは子どもの声だった。

 きっと女が云っていた兄になる者だろうと察する。それでも今のミツキにとって、彼の登場は救いだった。


「大丈夫……じゃないよね。ごめんね、遅くなって」

「ショウ、呼ぶまで二階にいなさいって言った筈よ」

「この子がどんな扱いを受けるか予想出来るのに聞くわけないでしょう」


 抱き起こされて、初めて相手の顔を見たミツキは彼の顔を見つめた。

 特別何か突出している部分はない。けれど、女に向ける感情のない瞳が自分を写した瞬間、春の訪れのように温度のあるものに変わった事に、『ああ、この人は仲間だ』と、強ばっていた肩の力が抜けた。


「初めまして、ミツキちゃん」


 小さな手が、ミツキの手を包み込む。


 この日、ミツキは運命の人と出会った。


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