第3話 プロローグ3 ★

 

 この家に静寂という概念が存在した事に驚くほど、息の詰まる雰囲気が部屋を支配している。

 俺に抱き付こうとしたアカリは、目を見開いて腕を広げたまま固まった。奥にいる二人も笑みをそのままに固まっている。


『え、えへ? そんな、恥ずかしがらなくても』


 そう言って近付いて来る分、後ろに下がり距離を開ける。

 見慣れた顔が徐々に歪み泣き顔になってくるのを見ても、何も感じない。嫌悪を通り越すと無感情になるのかと、何処か冷静に考える自分すら他人事のように感じた。


『ショウさん……なんで?』


 瞳を潤ませて見上げて来る彼女をただただ見下ろす。

 なんで?

 むしろなんで好かれると思っていたのか。


『俺の大切な人を傷付け続けた上に下着を盗む人間を、一体どうしたら好きになるんだ』

『え? 大切な人ってわたしの事でしょう? それにその件は許してくれたじゃない』

『俺が大切なのはお前じゃない……ミツキだ。それに盗みの件は許した訳じゃない。あの二人が「警察だけは勘弁してくれ」と泣きじゃくったからそこまでしなかっただけだ。ミツキには「警察に突き出すぞ」って言ってたのにな』


 ハッキリと言ってやる。また変な解釈をされたら面倒だ。

 青い顔をするアカリに対し、奥にいる二人は真っ赤になって震えている。何故そんな顔をするのか。お前らに怒る権利なんて無いんだが?


『お前……アカリを弄んだのか?』


 ワナワナと震える元父が、ドスの効いた声で妙な事を言った。


『何の事です?』


 聞き返しながら、思わず首を傾げてしまう。

 俺がいつアカリを弄んだよ。ふざけるんじゃないよ。


『俺はアカリを弄んだ事もなければ好きになった事もありません。家でだって顔を合わせるのはリビングだけでした』

『で、でも、この前アカリが一緒に寝たって……』

『そうだ、夜はいつもお前の部屋で一緒に寝ているのだと、そう言っていたぞ』


 元父母の言葉に、アカリは目に見えて狼狽え始めた。いつもの様に嘘を吐いたのか、または合鍵でも作って夜中に忍び込んだのか……。


(って言うか、俺本当に身の危険が迫ってたのか!! 朝起きたら脱がされてたという状況も起きてた……?)


 ここに来て発覚した新たな被害に、ゾワゾワと鳥肌が立った。

 最悪だ。考えるだけで吐き気がした。本当に吐きそうだ。


『そんな事実はありません。もしあるなら彼女が合鍵でも作って勝手に入って来たぐらいしか可能性がありません』

『そんな! あんまりだわ!!』


 わぁぁぁ! と、アカリは大声を上げて泣き始めた。立場が悪くなると泣くのは健在の様だ……という事は合鍵は本当だったのが確定してしまった。あの時警察を呼べば良かったと思わずにはいられない。


『どうして!? わたしはこんなに好きなのに!!』

『お前が好きになっても俺が好きになるとは限らないだろ。むしろ嫌がらせばっかりされて、好きになるどころか嫌いになるわ。当たり前のことだろ』


 好きな子に意地悪しちゃうという子は一定数いる。が、意地悪された方は腹が立つし、嫌いにはなっても好きになる事はない。

 そもそも何故嫌な事をして許されると思っているのかが謎だ。好きになるのは相当性癖の歪んだ奴だけだ。


『ショウ、考え直しましょう? あの女よりアカリの方が素敵じゃない』

『そうだ、アカリはこんなにお前の事を想っているんだぞ。その心を踏みにじるんじゃない!』

『貴方とアカリが一緒になればみんな幸せなんだから』

『……いい加減にしろ』


 自分でも一瞬誰かわからない程低い声が出た。

 好き勝手言っていた二人も、泣いていたアカリも再び静かになる。


 何か、何か言ってやりたい。

 今までの恨み辛みを全部ぶちまけて、目の前の三人が今まで行ってきた悪事を晒して、思うがままに罵詈雑言を投げつけたい。


(でも……今のこの状況は、出ていくのに丁度良い)


 俺は一つ息を吐くと、鞄を持ち直して改めて彼らを睨んだ。

 ここに留まるより、早くミツキの下に行きたい。行って、癒やされて、これからの事を話したい――これで、本当に最後だ。


『兎に角、俺はもう法律上家を出ました。伯父さんの養子になったので、あなた方とは完全に他人です。今後関わる事もなければ貴殿方の愛娘と一緒になることもない。わかったら、これ以上醜態を晒す事も関わる事もしないでいただきたい』


 そう言い残して、俺は家を出た。彼らは最後まで怒鳴り散らしていたが、聞いてやる事もなければ義理もなく、振り返らずに彼らを捨てた。



*****



 あれから半年。

 俺とミツキは、少しずつ、そして順調に関係を育んでいた。

 

 家を出た俺は、まず伯父の家に向かい、家を出た時の状況を説明した。

 伯父は「大変だったな。だが、これでミツキさんもお前も自由だ」と、今までの苦労とこれからを応援してくれた。本当に感謝してもしきれない。

 その後は、ミツキの待つ部屋に向かい、そのまま一緒に住み始めた。夢にまで見たミツキとの同棲だ。少し浮かれたのは否定出来ない。


 そんな幸せの中にいる俺は、これからミツキと食事に行くために、待ち合わせ場所まで急いでいた。

 待ち合わせは、今住んでいる場所のデートスポットでもある、小洒落たヨーロッパ街の中にある『異界橋』と呼ばれる橋だ。

 ヨーロッパ街というが、それは正式な名ではない。その周辺一帯が、まるでヨーロッパの街並みを連想させることから自然にその名が付いた。

 お互い仕事先から向かうため、現地まで一緒に行けなかったのが残念だが、レストランの予約までまだ時間はある。合流して時間になるまで、一緒に景色を眺めるのも良いかもしれない。


 そんな事を考えていたら、あっという間に約束の橋に到着した。

 だがそこで待っていたのはミツキだけではなく、暫く存在すら忘れていた人物までいた。


「アンタのせいよ!!」


 ヒステリックに叫ぶ女を、周囲の人間が遠巻きに眺めている。怒鳴られたミツキは困惑していた。


「アンタがいるからショウさんは自由になれないのよ!! 本当はわたしと一緒になりたいのに!」


 久し振りに聞いた声と言葉に目眩がした。

 相変わらず妄言が激しい。目を血走らせてミツキを睨む姿は魔女か何かとしか思えなかった。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。


(ミツキを助けないと!)


 俺はミツキの下へと走り出した。

 ミツキに危害を加える事は俺が許さない。

 だが予想以上の人混みが障害となり、思った様に先に進めない。騒動の中心に近付くに連れて人も多く、避けるのが面倒だ。


「アンタさえ、アンタさえいなければ!!」


 言うな否や、アカリはしゃがんでミツキの脚を抱えると、そのまま持ち上げて彼女を橋から落とした。


「ミツキ!!」


 考える暇なんてない。

 鞄を放り投げ、羽織っていたコートとジャケットを脱いで、俺は極寒の川に飛び込んだ。


(ミツキ!)


 どんどん沈んで行くミツキに追い付く様に潜って行く。

 ミツキはこれ以上沈まない様に服を脱ごうともがいているが、冬の服は水分を吸収して重くなり、脱ぐにも脱げず、どんどん川の底に沈んで行く。


(ミツキ、がんばれ!)


 追い付いて、彼女を抱きかかえて水上を目指す。しかし一向に水面に近付く事が出来ず、冷たい水が身体の動きを鈍くさせていった。


(……っ、クソッタレ!)


 近付くどころか徐々に遠ざかる光を見上げながら、重くなる身体を必死に動かす。腕に抱いた大切な人は、グッタリとして動かない。


(なんで、だよ……)


 そう思ったところで意味はない。

 そもそもあの三人をそのままにしてきたのが間違いだったのだ。未来のために社会的に抹殺しておくべきだった。


(俺が、もっとしっかりしていれば……)


 ゴボッ と、口から空気が逃げて行く。

 明るかった水面も、今はぼんやりとしていてよく見えない。


(ごめん、ミツキ……)


 水を掻いていた手を、ミツキに回してぎゅっと抱き締める。

 彼女の意識は既に無いようだった。苦しまずに旅立ってくれたら良いなと、そんな事しか思えないのが情けなくて、悔しい。


(生まれ変わったら……今度こそミツキを守るよ。たとえ周囲が敵になっても、必ず守るから)


 視界は暗い。水の冷たさも、もうわからない。

 

 幻聴か、完全に意識を手放す寸前、『期待してるわ、ショウさん』と、ミツキの声が聞こえた気がした。



*****



「ひどい! お兄ちゃんはわたしを好きじゃないのね!?」


 少女の大きな泣き声で、俺……僕の意識は戻って来た。


 目の前では、黒髪に金色の瞳が綺麗な少年が、僕に謝りながら少女に対して叱っている。

 対して少女は「お兄ちゃんひどい! そうやって、わたしとアル様を引き離すのね!?」と泣き叫んでいる。


(……この状況、知ってる?)


 初めての筈なのに、何故か今の状況を知っている気がした。しかもついこの前まで当事者として対処していた気さえしている。


「わたしはアル様のためにお伝えしたい事があるだけなのに!!」

「お前の妄言を信じる訳ないだろ。ランベール伯爵のご令嬢は、お前の言う我が儘で乱暴で、身分を笠に着て下の者を罵る様な人ではない。誰に対しても優しく、孤児たちの世話を率先してこなし、スラムの改善にも取り組んでいる素晴らしい人だ」

「うそよ! みんなノエルに騙されてるのよ!!」

「口を慎め! アルフレッド王子の婚約者筆頭を侮辱するなどお前は何様だ!!」


 兄妹のやり取りを前にしながら、僕は今入って来た聞き覚えのある情報を、記憶を漁って探し回っていた。


(ノエル……アルフレッド……婚約者……?)


『兄さんは……アルフレッドを攻略してるの?』

『私、ノエルみたいに強い人になりたい』


 ズガンッ と、雷に打たれた様な衝撃が僕を襲った。


 アルフレッド・ノーブル

 王国・グランディオーソの王太子──立太子していないのでまだ王子だが、それが僕だ。


 チラリ と、側近の一人である黒髪の少年を見る。

 彼の名は、ウィリアム・ジュード。剣士である祖父に憧れており、将来僕の護衛騎士となるべく日々鍛錬を熟している、将来美形間違いなしの少年だ。


(ここ……もしかして)


 ぐるぐると目が回り気持ち悪くなってきた僕の耳に、甲高い声が止めの一撃を放った。


「ノエルは悪よ!? だって悪役令嬢だもん! ノエルはこれから現れるヒロインを虐めて階段から突き落とす暴行まで働くのよ!!」

「アンジェリカ!!」


 脚から力が抜けて、僕はその場にパタリと倒れた。「王子!?」と、気付いたウィリアムが駆け寄ってくる。


(そんな、まさか……)


 信じられない体験に、ショックでウィリアムの声にすら反応出来ない。


「アンジェリカ! お前が変なことを言うからだ!」

「なによ! 本当の事だもの! この世界は【学園グランディオーソの桜】っていう乙女ゲームの世界なのよ!!」


(ああ……やっぱり)


 どうやら僕──いや俺は、ゲームの世界の、それも一番嫌っていたキャラクターに生まれ変わったららしい。


 そしてなんとも信じたくないのが……


「対価を払ってショウさんをアルフレッドに転生させてもらったのよ!? わたしだってカスタマイズしたヒロインの姿で生まれ変わったんだから! 既にヒロインの姿でわたしがいる今、この世界のヒロインはわたしよ! わたしたちの結婚は誰にも邪魔はさせないわ!」


 まさかミツキを殺した元妹まで転生しているなんて……これは何かの罰ゲームなのだろうか?


(はぁ~……ミツキに会いたい)


 受け止め切れない現実に、俺は意識を手放した。



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