第2話 プロローグ2 ★



 アカリから乙女ゲームを強要されそうになってから数日後。


「……はぁ」


 ゲーム画面に写る甘ったるい台詞とスチルに、トキメキとはほど遠い溜め息が漏れる。

 そんな俺は今、リビングで乙女ゲームをしていた。


「無理矢理やらされたら発狂してたな」


 ゲームとしては悪くないのだろう、が、俺の趣向に合っているかと問えば答えは否だ。むしろ合わなさ過ぎて胸焼けがしてきた。


「これ終わったら冒険に出かけよう……」


 広大なフィールドで仲間とともにモンスターと戦うシーンを思い描きながら、ヒロインとヒーローの甘いやり取りを進めていく。


 先日避難させたRPGは無事だ。今は俺の部屋に鎮座している。

 アカリが去った後、案の定両親が怒鳴り込みに来た。何だかんだ言われたので、「俺もミツキと一緒で血が繋がってないのに、俺だけ兄でミツキは他人はおかしいだろ」と言ったら彼らは黙った。その顔は口をパクパクと動かす鯉に似ていて、ちょっと気持ち悪かった。思わず「池に帰れ」と言いそうになったのは秘密だ。

 二人がアカリから一体どんな風に聞かされたのかは不明だが、きっと事実とは一八○度違う事を言われていたのだろう。人間己の不利になる事は避けるものだが、アカリの場合はその傾向が強いのに加え、息をするように嘘を吐いて相手のせいにする。そして今回もそうだったのだろう。両親の唖然とした顔は見物だった。


 そんな感じでゲームを守った俺が、どうして自ら乙女ゲームをし始めたのか……しかもリビングで乙女ゲームをしているのかと言えば、答えは簡単だ。

 ミツキとの共通の会話を増やすため。そして今、ミツキがキッチンで夕飯を作ってくれているからだ。


 この場にいないアカリと両親は、先程夕食を食べに出掛けて行った。

 アカリは「お兄ちゃんも行こう!」と誘ってきたが、ミツキが呼ばれないのに行く気はなかったので断った。当たり前である。

 涙を浮かべるアカリの姿を見て案の定両親は怒ったが、「ならミツキも連れて行く」と言えばそそくさと出掛けて行った。本当に最低最悪な奴らだと思う。

 そんな訳で、今夜はミツキと一緒に留守番をすることになったのだ。

 心底申し訳なさそうに謝って来たミツキは、今夕飯を作ってくれている。

 手伝おうとしたが「いつも守ってくれるお礼をさせて?」と可愛く言われてしまい、なら夕飯の片付けは手伝うという事で、お言葉に甘えて寛がせてもらっている……のだが。


「……なんだこのヒロイン」


 久し振りに訪れた穏やかな一時に、俺は乙女ゲームのヒロインに嫌悪していた。


 乙女ゲーム【学園グランディオーソの桜】は、アカリが言っていた通り、聖女の力に目覚めた平民のヒロイン──マリアが、攻略対象のヒーローたちと協力して、巻き起こる事件に立ち向かう、というゲームだ。

 魔物との戦闘もあり、意外にもレベル上げやスキル取得とやり込み要素が存在していた。そういう部分は好きなので素直に楽しんだが、問題はヒロインのマリアとヒーローたちのやり取りだった。

 平民上がりで生まれながらの貴族と同じ事は出来ないのは理解する。だがこのヒロインはヒーローに庇ってもらってばっかりで、自分の力で進歩しようとしない。おまけに、周囲への感謝もヒーローだけにしか伝えないのが酷すぎた。


「悪役令嬢のノエルが真っ当な事を言っていても、ヒーローが即行で悪者扱いするのがなぁ。マリアも誤解させる言動しかしないし……」


 ノエルがマリアに注意をすれば、虐めていると勘違いをしたヒーローが割り込んで来る。その時にマリアが事実をそのまま言えばいいのに、『わたしが平民だから』とか、『きっとわたしが怒らせる事をしてしまったのよ』と、妙に被害者の様に振る舞うので、ヒーローは事実確認もせず一方的にノエルを凶弾してしまっている。酷い話だ。


「しかも……このヒロイン、アカリに似てる」


 ヒロインのマリアとアカリの言動はとても似ていた。

 アカリも「血が繋がってないから」とか、「きっとわたしの事が憎いのよ」と言って、両親の庇護欲を掻き立てている。むしろ違う部分を探す方が難しいぐらいだ。こんなのがヒロインだなんてやってられない。


「マリアは嫌いだけど、それ以上に王太子のアルフレッドが馬鹿過ぎる。自分の婚約者を守らず何やってんだよ」


 悪役令嬢・ノエルの婚約者、王太子──アルフレッド・ノーブルは攻略対象の一人で、俺はコイツが一番愚かに思えて仕方がない。

 双方の話を聞かず馬鹿みたいにマリアの言い分を信じ込み、積極的にノエルを悪者に仕立てている。

 恋は盲目と言えど、これは流石にドン引きした。まず浮気している時点でノエルに何か言える立場じゃないのに。


 ゲームの公式サイトには【プレイヤーによって捉え方が変わるようになっっている】と記載されていた。要は『ヒロインを守るヒーロー最高!』でも『いや悪役令嬢正しいだろ』と、どっちに捉えても間違いではないという事……なのだが、それにしたって、俺にはヒーローとヒロインがどうかしているとしか思えなかった。


「はぁ~、こんなのが良いなんて世も末」

「……あ、学グラだ」


 耳元で聞こえた声に振り返れば、キッチンにいた筈のミツキが、俺の後ろからゲーム画面を覗き込んでいた。

 その綺麗な横顔に、思わず鼓動が高鳴る。


「もしかして……アカリさん?」


 対するミツキは、心配する声音で問うてきた。


「確かに押し付けられそうになったけど、違うよ」


 そう言って、頭を撫でて安心させる。すれば彼女の表情が若干緩んだ。その顔に、今度は俺が安心する。このいつものやり取りと時間が、俺は好きだ。

 余談だが、ミツキがアカリに『さん』を付けるのは、アカリ自身が「呼び捨てにしないでよ!! ちゃん付けも止めて、他人なのに!!」と怒鳴ったからだ。

 だからそれ以降、ミツキはアカリに『さん』を付けて呼んでいる……のだが、それを良く思わないのがいる。勿論、両親だ。

「妹に対して何でそんな他人行儀なんだ!」と怒るのだ。たまらず俺が「ならアカリにも『姉さん』と呼ぶ様に注意したら?」と言ったら黙った。本当に理不尽である。

 そんな立場のミツキは、俺が乙女ゲームをする人間ではない事を知っている。おまけにこの家で乙女ゲームをプレイして、強引に人に進めて来るのはアカリしかいないから、名前が出てくるのも無理はなかった。


「……俺はミツキと共通の会話をしたかっただけだよ」


 本心を真っ直ぐ口にする。本当の事なので、隠す理由もないのだけれど。

 アカリに強要されかけたのは事実だが、今俺がプレイしているのは、本当にミツキと共通の話が出来たら良いなと思ったからだ。

 そう言って微笑めば、ミツキは数回瞬きを繰り返すと、頬を染めて目を細めた。ぐぅ、可愛い。


「ええっと、兄さんは……アルフレッドを攻略してるの?」


 画面に写るスチルを見ながらミツキが言う。誤魔化されたのは追求しないであげる事にした。

 俺は苦笑しながら視線を画面に戻す。ちょうどそこでは、ヒロイン・マリアがヒーローの王太子・アルフレッドに庇われているところだった。対峙する相手は言わずもがな、悪役令嬢・ノエルだ。


「いや……それは、ない」

「そうなの?」

「うん。むしろアルフレッドだけはないかな」

「え~? そんなに?」

「うん。マジで。一通りクリアして、今アルフレッド二周目なだけだよ」


 別に嘘でも何でも無く、俺は真面目にアルフレッドだけは「ないな」と思っている。

 だってこんなにも婚約者に対して不誠実で浅はかな思考能力の男、同じ男としても無理があるのだ。もしアルフレッドと付き合いたいなどと言う者がいれば全力で止める所存である。それほどまでにアルフレッドはダメダメ星人だ。顔だけは認めるが。


「じゃあ、誰が良いとかある?」

「うーん……強いて言えば、騎士のウィリアムかな。婚約者がいないから蔑ろにする事もないし、ノエルを事実無根で切る事もないし」


 一旦セーブをしてスタート画面に戻ると、俺は攻略対象の一人、騎士であり王太子の側近──ウィリアム・ジュードの解説画面を出した。

 黒髪に金色の瞳を持つ、美丈夫という言葉がピッタリな、同性の俺でも惚れ惚れする容姿の男だ。

 剣士として名高い祖父を持ち、彼に憧れて剣の道を進む青年で、幼い頃からアルフレッドの側近として常に側にいた。

 そんな誠実で従順な姿勢の彼は、アルフレッドや他の攻略対象の様に、ノエルを理不尽に罵ったりせず、しっかり事実確認をした上で問題を処理していた。脳筋が多い騎士キャラにしてはとても理性的で、マリアへ注意をする事もある。恋愛対象よりお兄ちゃんキャラなのが彼だ。


「でも、出来たら俺、ノエルを攻略したかった」


 ノエルの解説画面を出して、悪役令嬢の彼女を見つめた。

 深紅のふるゆわな髪を持ち、アメジストの瞳を持つ彼女はまさに悪役令嬢の容姿をしている。

 だがその実求められたものをこなそうとする努力家で、国や王家、貴族や国民の事を誰よりも考えて行動していた。

 そういうシーンがハッキリと描写されていた訳ではないが、ヒロインたちと公務先で遭遇したり、王宮に登城するが背景が図書館や「王妃教育のため」と理由がある。学友がモンスターに襲われた際は、「こんな弱いモンスター相手に何を手間取っているの?」と言いながら率先してバンバン倒していた。

 そんな良いところばっかりの彼女が印象悪く描かれているのは、あくまで視点がヒロインだからだ。

 ヒロインからしてみれば、自分の行く先々に出没しては邪魔をするわ邪険にしてくるわといった相手なのだろう。そこに守って助けて要素が入れば、攻略対象は弱く見えるヒロインを守りに入る。良く出来ているなと思う反面、ヒロインが計画的過ぎて気味が悪い。ピンク色の髪に青色の瞳といった可愛い系の容姿が余計守られキャラを確立させていた。


「あ~……私も、攻略対象よりノエルが好きなんだ」


 隣に座ったミツキが、画面を見ながらそう言った。

 触れる身体の温度が心臓に悪い……。


「貴族ってよくわからないけど、きっと厳しい教育を受けて来て、弱みなんて見せない様に日々努力してると思うの。王太子に酷い扱いされても、負けずに王妃教育も受け続けて……本当に凄いなって思う」

「……憧れ、みたいな?」

「うん。私、ノエルみたいに強い人になりたい」


 そんな彼女に、ズキリ と、胸が痛んだ。


 両親やアカリがこんな非道でなければ、ミツキはもっと自由に……最低でも今みたいに我慢の日々を過ごす事はなかったと思う。

 強くなければ生きていけない。幼い頃から縛られて生きてきた彼女にとって、それは身体に染み込んだものだ。本当なら、ミツキだって、アカリと同じ様に守って助けてもらえる筈なのに……。


「──ミツキ」


 何? と彼女が言う前に、その身体を腕の中に閉じ込めた。

 初めて抱いた身体の細さに内心驚き、壊れてしまわない様に努めて優しく抱き締める。

 嫌がられてもおかしくはない。もう兄と慕ってくれなくなるかもしれない。だが彼女を救う計画を実行するには、俺の想いを打ち明ける必要があるのだ。ヘタレてる場合ではない。


「ミツキ……」


 名を呼んで、様子を窺う。

 さらりとした髪から覗く耳は赤く、俺の袖を摘まむ様に掴んでいる手は小刻みに震えているも、拒絶する雰囲気はない。


 行け、俺。

 ここで行かねば男ではない。


「俺……ミツキが、好きだよ。妹じゃなくて、一人の女性として」


 心臓がバクバクと物凄い勢いで動いている。ミツキに聴こえてしまうのではないかと思うぐらいだ。若干息も苦しい。

 でも伝えて、彼女の答えを聞かなければならない。彼女の想いが、一番大切なのだから。


「…………わ」

「……ん?」

「わ、わたしも。兄さん……ショウさんの事が、好き」


 思わず昇天しそうになった。


 天使か?

 ミツキは天使だったのか??


 そう思ってしまうほど、腕の中の存在が可愛くて愛しくて堪らない。

 今夜あの三人が帰って来る事に初めて感謝した。でなければ暴走しそうだった。


「ありがとう、ミツキ」


 調子に乗って、ミツキの髪に鼻を埋めた。同じシャンプーを使っている筈なのに、違う香りに感じるのは気のせいだろうか……思わずフガフガ言わないようにするのが精一杯だ。


「それで、ミツキ……これは提案なんだけど」


 想いが通じた今が、長年計画していた事を打ち明けるベストな瞬間だ。そう思い、俺はミツキに全てを教えた。

 全て話した後、自然と重なった唇の熱さはずっと忘れない。



*****



 それから一ヶ月後。

 まずミツキが家を出た。


 もともとミツキは家を出るつもりだったらしく、少なかった荷物は更に少なくなっていた。

 そんな彼女が今まで家にいたのは、俺がいたからだそうだ。助けてくれる兄を残して行くのは心が苦しくて出来なかったのだと……やっぱりミツキは天使なんじゃないかと思う。

 家を出たミツキは、伯父のいる地域に引っ越した。両親やアカリが嫌がらせをしてくる可能性を否定出来なかったからだ。やはり周囲に助けてくれる人がいた方が良いと判断して、二人で部屋を見に行ったのだった。

 俺の計画を知らない三人は、ミツキが家を出る事を大層喜んだ。「帰って来るな」とまで言っていた事には耐えた。言動に怒りはしても、この家に戻って来る事は不幸でしかないから……。


『じゃあ、俺も家を出るよ』


 家を出る準備を着々と進めた俺は、鞄一つ持って両親とアカリにそう告げた。

 ミツキがいなくなって笑顔が増えた最悪な三人は、ポカンとした顔を向けて……そして笑った。


『おいおい、そんな冗談吐くもんじゃないよ』

『そうよ、冗談はもっとユニークなものじゃないと』

『お兄ちゃん……ショウさんがわたしを置いて行くなんてあり得ないじゃないっ』


 ゲラゲラと品なく笑う元家族に、俺は溜め息を吐いて、部屋の鍵を放り投げた。

 テーブルの上に落ちた鍵を見て、やっと三人は笑うのを止めて、次第に困惑の色を浮かべ始めた。人をどれだけ馬鹿にすれば気が済むのか。


『部屋の鍵……な、何で』

『言ったではないですか。家を出ると』

『え、でも、冗談じゃ……』

『冗談じゃありませんよ。俺はこの家を出て行きます。今後戻って来る事もなければ、家族の縁も終わりです』

『……そっか、わかったわ!』


 元父母とは違い、何故かアカリは嬉々とした声を上げた。

 そんな彼女に怪訝な顔をする。嫌な予感しかしない。


『ショウさん……わたしと一緒になるために、家を出るのでしょう? そんなに想われていたなんて……わたし、嬉しい』

『……は?』


 思わず間の抜けた声が出てしまった。いやそれも仕方ないと思う。一体何がどうしたらその発想になるのかわからない。

 うっとりとした顔をしているアカリに、元両親も『おお、そういう事か!』と騒ぎ始めた。何でだよ、俺がいつアカリを好きだと言ったよ。


『実はその話をしようと思ってたんだ! お前は血が繋がってないから、家を出ればアカリと一緒になれるからな!』

『何よ、あなたもそう言えば良かったのに! さっさと行動に移しちゃって、愛されてるわね、アカリ』

『えへへ、ショウさん……これからは、妹ではなく婚約者として宜しくお願いしますね!』


 好き放題言っている相手に目眩を感じた。仮にもしアカリと一緒になりたいなら、まず先にその話しをするだろうに……。

 そもそもアカリには俺から近づく事もなければ話す事もなかった。話すのは話し掛けられた時だけだ。誰が人の下着盗んだ奴と一緒になりたいと思うのか。


『さっきから好き勝手言ってるけど、俺はお前と一緒になる事はない』


 俺は近寄って来たアカリを冷たく突き放した。


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