つめたい、くちびる
霜月このは
つめたい、くちびる
『さよなら』
彼女が送ってきたメールには、その一言だけが書かれていた。
午前三時五十分。着信履歴が同じ名前で埋まる。『ふーん』と一言だけ呟いて、私は携帯を閉じる。
床に放り投げて、そのまま朝まで放置する。
『しにたい』なんて簡単に言う奴に限って、しぶとく生きたりするものだと私は思う。
*
そんな彼女が私に告白してきたのは、大学に入ってからまだ数ヶ月という、一年生の七月のことだった。
私達の大学は、中学や高校のような、珍しい三学期制をとっていて、六月の終わりにはもう夏休みに入り、九月からは二学期がスタートする。
だから、そのときはもう夏休みで、私達はサークル活動のためだけに、キャンパスに来ていた。
サボりがちな私が久しぶりに練習に来たものだから、珍しかったのだろう。
部室に入るなり、陽菜が話しかけてきた。
「君、可愛いね。名前は?」
「
「私、陽菜。一年生だよね? よろしく」
『君、可愛いね』なんてナンパ男みたいな発言する女、初めて会った。
やっぱりというかなんというか、彼女は、そっちの人だった。
私も女はいけなくもないけど、別に積極的に女がいいというほどでもない、そういう人だ。
それからしばらくした夜、陽菜の家で二人で宅飲みをした。
私達はすぐに意気投合した。まるで姉妹か、10年来の親友かというくらいに。
お互いの考えていることが、相手が言葉を終わらせぬうちにわかる。
笑いのツボも、好きな音楽も、好きな本も、何から何まで共通点だらけだった。
夜も遅くなったからお風呂を借り、雑魚寝をしようとしていたら、陽菜が私の身体に触れてきた。
「ちょっ、何すんの。やめて」
「何って、決まってるでしょ」
「私、そういう趣味、ないから」
「嘘つき」
手足の長い陽菜は、私を簡単に組み伏せる。石鹸のいい香りがした。
女の子にこういうことをされるのは初めてだから、どんな風にされるのか、若干興味はあった。
でも適当なところで逃げよう、なんて思っていた。私は甘かった。
髪を撫でられ、服を乱され、耳を甘噛みされた。
陽菜はあえてなのか、私の唇には触れようとはしない。
頭の中が甘ったるい何かに支配されそうになる。
そのうちに、陽菜の長い指先が、私の下半身へ伸びてきたので、そろそろ抵抗でもするかと思い、ストップをかける。
「だめだって」
「なにそれ。してほしそうな顔してるのに」
そんなわけはない。
「ねえ、お願い。もうちょっとだけ遊ぼ?」
「ちょっとって何よ」
小柄な私の弱い腕力なんかで、逃げ切れるわけなんかは、なかった。
仕方がないので、適当に楽しませてもらうことにする。
「陽菜ってさ、ほんとは初めてなんでしょ」
身体を攻められながら、私は言葉だけで抵抗する。
うっかり声をあげてしまうのは悔しいから、身体の感覚を無にしようとする。
「さあ、どうだろね」
陽菜の手は止まらないが、表情は少し変化した。多分、図星なんだろう。
「ふーん、陽菜はそこが好きなんだ?」
敏感な場所に触れられそうになり、咄嗟にそんなことを言う。
腕を押さえつけられて抵抗できないからって、口先で応戦しようとしても、虚しい。
顔を赤くした陽菜に仕返しされるのは、どうせ私なのだ。
私はあなたなんかに興味ないです、という精一杯のポーズ。
陽菜は相変わらず、私の唇だけには触れない。
めいいっぱい焦らされた私が、音を上げるのを待っている。
『欲しい』と、求めるのを待っている。とても冷やかに。
「ん、だめっ」
身体が熱い。
まさか、女の子にこんな風にされるなんて思ってなかった。
声を出してしまった瞬間、私の身体は大きく弾けて、呼吸が荒くなる。
急に冷静な心が戻ってくる。ああ、この後、どうしよ。
でもまあ、どうでもいいか。真っ白くなった頭のまま、私は眠りに落ちた。
翌朝、陽菜に『付き合おう』と言われた。
「好きになっちゃった」
「馬鹿。そんなに簡単に好きになるわけないだろ」
「柚月の声、かわいいんだもん。ね、もっと聞かせて」
言ったそばからまた、私を押し倒して、行為を始めようとする。
「順番、違うんじゃないの」
「ああ、ごめんごめん」
陽菜は忘れてた、というような素振りで、やっと私の唇にキスをした。
本当に、彼女は何を考えているかわからない。
だけどそれは、私も同じだった。
陽菜は明るくて、大学のサークルでも友達が多かった。
彼女が本当にそっちの人だということは、私しか知らないようだったけど、冗談半分に『女好き』キャラを確立させていて、他の女の子への接触も盛んだった。
その度に私はもやもやした。別に彼女でもないのに。
陽菜とはその後も、たまに寝ることはあったけど、『付き合おう』という彼女の発言に、私が応えることはなかった。
陽菜はチャラい女を演じていたけど、実は女性経験も男性経験もない女だった。
なんとなくそんな気がしていたけど、私が初めて愛撫してやった夜に、ようやく白状した。
面倒なことしてしまった、と思う。
陽菜は日に日に私にもたれ掛かり、依存した。
陽菜が依存してくるにつれ、私はメールを返すのが億劫になり、電話に出るのが面倒になり、行為をした後は泊まらずにすぐ帰るようになった。
夏が終わり、秋が過ぎて、冬が来る頃までには、明るかった陽菜は少しずつ病んでいった。
……いい気味だと思った。
陽菜の長い指や、すべすべの肌や、さらさらの茶色い髪の毛は、ずるかった。
私の身体を快楽に堕とすには十分すぎるほどのスペック。
私に触れる時まで処女だった女に、ここまで弄ばれるのは、私のプライドが許さなかった。
だから、拒絶した。
ある時彼女は、『しにたい』と呟いた。
私は、聞こえないふりをした。
彼女の手首には無数の切り傷が作られるようになった。
サークルにも来なくなった。
陽菜からは、日に何度も連絡が来るようになっていた。
『嫌わないで』『会いたい』『ごめんね』『ゆるさない』『しにたい』『ころす』『たすけて』『あいしてる』『お願い、何か言って』
私は全てのメールを無視した。
最後のメールにはこう書いてあった。
『さよなら』
……いい気味だった。
彼女はまだ気づかない。多分、一生気づかないと思う。
私を拒絶していたのは、本当は彼女のほうだってことに。
私は彼女の唇の味を思い出しながら、眠りについた。
つめたい、くちびる 霜月このは @konoha_nov
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