第5話 魔獣
はぁはぁはぁっ……
短く早い息遣い。体中は傷だらけの上、疲労困憊している。構える大剣。気を張っていないと知らず知らずのうちにそれを持つ腕が下がっていく。全身にだらりと流れる汗。特務部隊に着任し十数年。この様な状況に陥る事はあまりない。
大気を震わす獣の咆哮が、カルラの体をびりびりと痺れさせる。
目の前に成人男性の数倍はあろうかいう大きさの狼が三頭。耳まで裂けた大きな口からだらりと涎を垂らし牙を剥いている。
狼型の
カルラと他四名の特務部隊と睨み合っている。その傍らには二頭の魔獣と六名の特務部隊隊員が横たわっていた。
魔術班を護衛する為に残したカルラと他十名の隊員達。百戦錬磨の手練た隊員達ばかりではなかった。経験の浅い隊員達も含まれている。
甘く見ていたのだ。
魔術班の護衛。
特に大した事も起こらないだろう。それに、隊長もいる。その油断が招いた結果、魔獣二頭倒すのに六名の隊員が重症を負い横たわっている。しかも、隊長はまだ帰ってきていない。
残った四名は過酷な任務をこなしてきた経験の長い歴戦の強者達。しかし、彼らもカルラ同様、魔獣相手に怪我を負い、肩で息をしている。半分近い戦力を失っても残る魔獣は三頭もいる。いくら護衛しながら力を抑えての戦闘とは言え、味方を失いすぎている。
「懲罰ものだな……」
明らかにカルラの判断ミスである。あの時、守護魔術の術式を解く事を急ぐエメリーヌへ隊長が来るまで止めていられれば、このような事態には陥らなかったはずである。だが、これもカルラが最終決断をした結果だ。エメリーヌが急かしも、自分がNOと言えば済む事であった。エメリーヌだけではなく、カルラも同じだったのだろう。
レオンティーヌがデシデリアを連れて屋敷を出てからしばらくすると、思いの外、準備が早く出来た事もあり、エメリーヌが術式解除をしようと申し出た。しかし、まだ隊長であるレオンティーヌが戻ってきていない。
「まぁ、隊長はいつ戻って来るか分からないんでしょ?それに、戻ってきた時に解除出来てれば、隊長も喜ぶわ」
それもそうだ。特に術式を解除するにあたって大した事も起こらないだろう。
カルラはエメリーヌ達、魔術班へ術式解除を命令すると、護衛の為に屋敷へ残していた隊員を集め、状況を説明し持ち場へと配置した。
あの石の前に座るエメリーと、その斜め左右前方に補助役の班員達が何やら手を翳し、ぶつぶつと唱え始めた。紫色に光り出す石。
とその時である。大気が揺れた瞬間、ぞわぞわっと全身に鳥肌がたつと、咳き込みそうになる程の禍々しい気が辺りを包み込んでいく。
そして、聞こえてくる獣の咆哮と悲鳴。
隊員の一人へカルラが目配せすると、何も言わずに頷いた隊員が持ち場を離れ様子を見に行った。
術式解除を行っている石とは別の石がある場所で、その隊員は信じられないものを見た。大きな狼がその口に警官を咥えているのである。そして、その狼の足元には既に絶命しているであろう二名の警官の姿があった。魔獣。その隊員は直ぐに別の石の所へと向かう。どこも同じであった。魔獣がいる。
急いでカルラの元へと戻り、報告する隊員。その話しにカルラと他の隊員達も驚きを隠せなかった。
『術式を解くと魔獣が召喚される様に仕込まれていたのか……』
ちらりとエメリーヌに視線を向けるカルラ。エメリーヌは瞼を閉じ術式解除に集中している。
「予定通りエメリーヌ達を護衛する」
ぐるりとエメリーヌ達を囲む様にして立つ特務部隊。魔獣がどの方向から来ても対応出来なければならない。
さらに気の密度が濃ゆくなり、重苦しくなっていく。呼吸をするのも困難な程だ。
「来るぞ……構えろっ!!」
隊員達へと言ったカルラが背中に背負う大剣を抜いた。
そして、今に至っている。
じわりじわりとにじり寄って来る魔獣。精神を集中させなければ……殺られる。
一頭の魔獣が姿勢を低くし唸り声を上げた。だらりと涎が糸を引き、地面へと滴り落ちていく。
全身に力が籠るのが分かる。まるでばねをぎゅうっと押し縮めたかの様に。そして、その力を解放した魔獣がカルラへと飛び掛った時である。
大きな爆発音と共に爆風が巻き起こり、魔獣を炎へと包み込んでいく。その熱風がカルラ達へと伝わってくる。
屋敷に戻り庭へと入ったレオンティーヌとデシデリアの二人。その目に飛び込んで来たのは倒れている無数の警官達の姿である。ほとんどの者達が息絶えていた。その中で唯一何とか一命を取り留めている警官に駆け寄るレオンティーヌ。
「た、隊長……」
胸部を鋭い牙で貫かれており、最早、喋る事も難しい様子である。
「カ……カルラ副隊長と……エメリーヌ班長が……」
それでも最後の力を振り絞り伝え様とする警官がごぼりと口から血を吐き出し絶命した。
外からでは分からなかった。守護魔術の術式が敷いてあるからだ。術式の結界の中で行われている事はその外へは漏れない。
守護魔術の術式の奥へと進むレオンティーヌとデシデリアの体をもわりとした重苦しい気が纏わりついてきた。小さなデシデリアの体が震えている。異常な気に圧倒されているのだ。この様な現場に歴戦の強者達でも中々遭遇する事がない。それを着任して間もないデシデリアが震えるのは当然であった。
『これは……人間ではないな』
その多くの経験から、その奥にいるであろうものを予想するレオンティーヌ。庭に幾人もの警官が倒れている。
何者かに襲われた。この感じは魔獣が魔物。その様な者達を相手にする為の訓練を受けている特務部隊ならともかく、普通の訓練しか受けてきていない警官達では、魔獣や魔物相手には戦えないだろう。
しかし……どこからやってきた?
レオンティーヌは辺りを見渡すとあの石が目に入った。その石が黒く変色している。
『まさか……術式を解除しようとしているのか……早まったな、カルラ、エメリーヌ』
その側に警官が倒れている。血にまみれているが生きていた。だが、何かを尋ねるのは無理な様子である。レオンティーヌはその警官が腰にレイピアを帯刀しているのが見えた。
「済まぬが……借りるぞ」
レオンティーヌが横たわり虫の息である警官が持っていたレイピアを取った。そして、それをデシデリアへと渡す。
「魔銃の弾にはまだ魔術が込められていないからな……ナイフだけでは不利だ、これも使え」
こくりと頷きレイピアを受け取るデシデリア。レイピアを手に取ると二三度、振っている。支給された二流のレイピア。しかし、無いよりはましだ。感触を確かめたデシデリアは、レイピアを鞘へ納めると腰へつけた。
さらに進む二人の目の前に、怪我をしていると思われる警官の横に座っている特務部隊衛生班の二人を確認した。どうやら衛生班班長と班員のようだ。瀕死の警官に手を翳し、必死に治癒魔術を施していた。
治癒魔術の効果だろう。警官の顔色がだいぶ良くなってきている。
「お前達、何があったんだ?」
その二人へと声を掛けるレオンティーヌ。声を掛けられた二人がびくりとして後ろを振り返る。そして、相手がレオンティーヌだと分かると、途端に顔色が明るくなり、涙ぐんだ。
レオンティーヌとデシデリアに衛生班班長のベニータが事の経緯を説明した。
『やはり術式の罠が発動したか……』
話しを聞いているレオンティーヌの眉間に皺がよる。そして、何かを思いついたのか、デシデリアへ魔銃の弾を出す様に伝えた。言われた通りに魔銃の弾である空の魔弾を取り出しレオンティーヌへと渡した。
「ベニータ、お前は確か治癒魔術以外に幾つかの攻撃魔術が使えたな?」
「はい。炎属性ですが」
ベニータの言葉を聞いたレオンティーヌが空の魔弾を見せる。
「お前の使える炎属性の攻撃魔術をこの魔弾へと入れてくれないか」
レオンティーヌはそういうと、空の魔弾を六つ、ベニータへと手渡す。受け取ったベニータが力強く頷いた。
「はい、お任せ下さい」
空の魔弾へ魔術を込めていくベニータ。その度に魔弾が仄かに光る。六つの魔弾に魔術を込め終わるとレオンティーヌへと返した。それをレオンティーヌがデシデリアへ戻し、魔銃へ装填する様に命じた。
かちり……
最後の魔弾を装填したデシデリアは弾倉を閉めた。魔弾を装填した魔銃の重みが、幼いデシデリアの腕にずしりと掛かった。
「行くぞ、デシデリア」
二人へと礼を言い進むレオンティーヌとデシデリア。鼻につく悪臭。思わず顔を顰めたレオンティーヌの目に、カルラ達の姿が入ってきた。今にも襲いかからんとする魔獣。大剣を構え迎え撃とうとするカルラ。
「デシデリア、構えろっ!!」
そして、魔獣が低い体勢からカルラへと飛び掛った。
「撃てっ!!」
引き金を引くデシデリア。ぼふっという空気砲の様な音と共に魔獣へ向けて飛んでいく魔弾。その魔弾が魔獣の頭部へと命中した。
命中した魔弾からベニータの込めた炎属性の攻撃魔術が炸裂し、魔獣を炎の渦へと巻き込んでいく。瞬く間に全身を炎に包まれていく魔獣が堪らず前足をあげ立ち上がった。
胴ががら空きである。
その隙を逃すカルラでは無い。すかさず大剣を魔獣の胴へ横一文字に斬りつける。
魔獣の叫び声が響き渡った。
魔獣が炎と共に消えていく。
カルラが魔弾の飛んできた方へと視線を向けた。そこには魔銃を構えるデシデリアの姿があった。
さらにデシデリアが二発、三発と魔獣へ向けて魔弾を発砲する。しかし、それは魔獣から外れ足元で炸裂した。魔弾の起こした爆風で、辺り一面が砂埃に包まれていく。
これでは残り二体の魔獣の姿が見えない。砂埃に咳き込みながら魔獣を探すカルラ達。
そんなカルラ達の方へと大きな塊が一つ、勢いよく飛んでくる。それをカルラが大剣で払い落とす。なんとそれは魔獣の首であった。そして、また魔獣の叫びが聞こえてくる。
砂煙が引いていき、薄らと視界が開けてきた。
するとその砂煙の中に一つの人影が見える。レオンティーヌだった。
そして、その傍らには首の無い魔獣と頭部に大斧を打ち込まれ死んでいる魔獣の姿があった。
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