5-6 咆哮するもの

「それで、ミレルカ嬢。傷薬の調合のためには何が必要だ?」


 問われ、ミレルカも気を取り直して脳内のレシピ本のページをめくった。

 一口に傷薬といっても、その種類は実にさまざまだ。一般的な傷薬であるラパンテームのほか、抗菌作用に優れたマリヌスを使用したものもある。普段はラパンテームやマリヌスを使用したものを作るが、今回はそれよりも手のこんだものを作りたい。

 静かに頭の中にあるレシピ本をめくり続け、該当するものを見つけると口を開いた。


「えっと……ラパンテームだけではパワーが足りないと思うので、もう少し手のこんだ傷薬を作ろうと思ってるんです。必要なのは、フルゥミントの葉とハイデヒースの実をお願いできますか?」


 数あるレシピのうち、ミレルカが選んだのは複数の素材を使用して作るものだ。

 ラパンテームを使用したものよりも、マリヌスを使用したものよりも、これら二つの素材を組み合わせて作ったものよりも、優れた治癒促進効果がある。ハイデヒースの実には組織の修復を助ける働きもあるため、より早くファーヴニルの傷を癒やすことができるだろう。

 ミレルカが口にした素材の名前を耳にしたベルムシオンは、顎に手を当てて思考を巡らせている。


「どれも魔法雑貨店では希少素材として販売されているが……ここで手に入るのか?」

「これだけ豊かな森なんです、多分ですけど見つかるかと。その証拠に、ほら」


 つぃ、とミレルカの指が森の一角を示す。

 彼女の指先が示す先には、森に絡みつくようにして伸びている蔦がある。青々とした蔦には色鮮やかな果実が連続して実っており、木漏れ日を受けてツヤツヤとしている。

 何の知識ももたない人間からすればただの果実として映るだろう。だが、ベルムシオンはそれを見た瞬間、大きく目を見開いた。

 当然だ。ミレルカが指し示した果実は、王都方面では希少素材として取り扱われているものの一つなのだから。


「こんなところに、ミルシスルの実が……?」

「多分ですけど、この辺りは未開の地のような状態になってるんだと思います」


 ベルムシオンが思わず口にした疑問に答えるかのように、ミレルカが口を開く。


「ここ、入って浅いエリアはある程度の人の行き来があるじゃないですか。でも、奥のほうにはなかなか立ち入らない。だから、希少度が高いとされている素材があるんだと思います」


 森の奥は魔獣に遭遇する可能性が高く、遭遇した場合すぐに森の外へ逃げるのが困難になる。故に、多くの人は無闇矢鱈と森の奥地を目指さず、何かあってもスムーズに逃走できる範囲で活動する。

 さらに、この辺りはいってしまえば田舎だ。王都周辺のように冒険者の行き来が盛んではなく、魔獣と戦える力を持つ者は少ない。森の中に立ち入ることがあっても、魔獣避けの香を焚いて必要なものを集めたらすぐに立ち去る者が圧倒的だ。


 だからこそ、危険度の高い森の奥には人の手が入らない。人の手が入らないということは、人通りが多いとすぐに採取されてしまう素材が静かに育ちやすいということだ。


「豊かな森には豊かな素材が実るといいます。なので、人の手が入っていないこの辺りなら、フルゥミントもハイデヒースも見つかるんじゃないかなと」


 もし見つからなくても、そのときはそのときで代用品を考えるだけだ。

 ミレルカの視線の先で、ぽかんとした顔をみせていたベルムシオンがゆっくりと目元を緩ませ、眉尻を下げる。みるみる間に表情をぽかんとしたものから苦笑へと切り替え、彼はわずかに喉を鳴らして笑った。


「全く、ミレルカ嬢と行動していると驚きの連続だな」


 柔らかい声で呟き、ベルムシオンは足を動かした。

 一歩、二歩、歩いてミレルカの傍を離れてから振り返り、言葉を重ねる。


「探してくる。少々待っていてほしい」

「すみません、ありがとうございます。ベルムシオンさん。――あ、そうだ」


 自身の傍を離れそうなベルムシオンを呼び止め、ミレルカは鞄の中へ手を入れる。

 まだ残っている魔除けの香を一つとマッチ箱を指先で探り当て、それらをベルムシオンの手に乗せた。続いて、燃え尽きかけている香が入った香炉も持たせる。


「これ、持っていってください。今のベルムシオンさんだと、魔獣を寄せてしまうおそれがありますから」


 魔獣の多くは、血の臭いに反応して寄ってくる。血の臭いをまとっているものが弱っていると判断した場合、襲撃してくる可能性も一気に高まる。

 今のベルムシオンは軽傷とはいえ、傷を負っている。負傷していない状態に比べ、魔獣の襲撃を受ける危険性が高い。

 ミレルカの言葉でベルムシオン本人も思い当たったらしく、一瞬だけ目を丸くし、すぐに申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。


「おっと……すまない。ありがたいが、これを僕が持っていっても大丈夫なのか?」

「私は大丈夫だと思います。だって、傍にファーヴニルがいてくれますから」


 ミレルカが発した言葉に反応し、ファーヴニルが一瞬だけベルムシオンへ視線を向けた。

 ふんすっと一度だけ鼻を鳴らし、すぐにまたミレルカへと目を向ける。まるで、この小娘は守ってやるから心配するなとでもいいたげな様子だ。

 少し前までは互いに緊張感のある関係だったというのに、今はもう落ち着いている――目の前の現実に少々驚きつつも、ベルムシオンは一つ頷いた。


「わかった。なら、安心して行ってこよう。……それにしても」


 ベルムシオンの視線がミレルカの鞄へ向けられる。

 小柄な少女が持つには大変そうな布鞄。大きく膨れているからたくさんの物が入っているのだろうと予想できていたが、次から次にさまざまな素材や道具が出てきている。


「ミレルカ嬢、一体どれだけの道具や素材を持ってきていたんだ?」


 ベルムシオンの問いかけに対し、ミレルカが悪戯っ子のような笑みを浮かべて答えた。


「女の子の鞄にはたくさんの秘密が詰まってるものですよ、ベルムシオンさん」

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