殺人鬼の証

@kosukeKatori

第1話

 一九九九年 春。

 幼稚園の中は静まり返っていた。

「園長先生、相手のお子さんはどうでしょうか」

 絵美は前のめりになって訊いた。

 普段なら子どもたちの甲高い声が聞こえる賑やかな時間のはずだが、この日は様子が違う。白い砂場。ジャングルジム。滑り台の銀色のスロープが、ひっそりと春の日差しに佇んでいる。子どもたちの姿は、どこにもない。

 職員室で絵美と向かい合っている高橋園長も、困ったような顔をしている。

「幸い、すぐに目を覚ましたんでね。大丈夫でしょう。念のために親御さんをお呼びして、病院で検査をしてもらっていますが」

「そうですか…………」

 絵美は大きく息を吐いた。

「ただですねえ…………様子を見ていた子どもたちがすっかり怯えてしまいして。泣き出す子も出てきて。ちょうど今日は早めに終わる時間でしたし、子どもたちは自宅に返したわけでして」

「本当に申しわけありません」

 絵美は揃えた膝に額がつきそうになるほど、深く頭を下げた。

 園長がテーブルの上に視線を据えたまま、肘掛けに置いた指を忙しなく動かしていた。何かを言わねばならない、けれども何から話すべきなのかを迷っているようだった。

 今、直人はどうしているんでしょうか――絵美はその言葉をぐっと飲みこんだ。直人が心配だった、直人に会いたい、それが正直な気持ちだった。けれども今、自分の口からそれを言ってはいけないような気がした。


 からから、と申し訳なさそうな音がして戸が開いた。

 保育士の佐々木が、直人を連れて立っている。

「直人っ」

 思わずソファから立ち上がり駆けよった。直人の頭に手を置く。その髪は柔らかくてさらさらとしていた。

 直人がキョトンとして、絵美を見つめている。

「どうして、ママがここにいるの」

「どうしてって…………」

「お仕事じゃないの?」

 直人の質問に戸惑いながら絵美は佐々木を見上げた。だが佐々木は、絵美と目を合わさない。

「直人君。ちょっとあっちで遊んでいようか」

 佐々木は直人の手を取り、職員室の奥に歩いて行った。直人を若い保育士に任せ、またこちらに戻ってくる。

 ソファに並んだ高橋と佐々木に、絵美はテーブルをはさんで向かい合った。

「私は実際にそのときの様子を見ていませんので、詳しい経緯は佐々木のほうから説明させます」

 そういって園長が佐々木に顔を向けた。

 佐々木は相変わらず固い顔のまま小さく頷いた。何かを心に決めたように強い目つきで絵美を見つめていた。

「先生、直人がお友達の首を絞めたって、本当でしょうか」

「ええ、残念ながら」

 絞り出すように佐々木がいい、唇をきつく結んだ。

「最初は直人君も大人しく本を読んでいたんです。でも急に隣のお友達を―――」

「どうして…………」


「どうやら本を読んでいたかったのに、お友達がうるさくしたらしいんです。だからって三歳の子どもが、他人の首を絞めるなんて。それも相手が気を失うほど強く…………子どもの喧嘩の範囲を超えてるというか…………」

 佐々木の唇からは血の気が引いて、口元にやった指先が震えていた。本当に怯えているようだった。

「いずれは面談のときにでも話をしようと思っていたんですが…………今までも直人君には同様のことがあったんです」


 園で飼っていたウサギの耳を直人がハサミで切り刻んだ、ヒヨコの目に小さな石をむりやり押し込んだ――佐々木が語る言葉は、耳を塞ぎたくなるほど残酷な内容だった。


「直人君は、羽をぱたぱたさせながら死んでいくヒヨコをじっと見つめていました。そして動かなくなってから、『頑張ったね』っていいました。他の子どもたちが泣いているのに、直人君は平気な顔をして『頑張ったね』っていうんです。子どもは生きるとか死ぬとかの概念が分からないのはよくあります。でも『頑張ったね』という言葉のなかには、自分で殺して、死ぬまで頑張ってもがいたという意味が含まれているような気がして…………」

 言葉の後半はほとんど泣き声だった。

「そのあとに、『またね』って言ってヒヨコを踏んで。私、恐ろしくって」

 信じたくはなかったが、佐々木の話が本当だと絵美にはわかった。『またね』というのは直人の口癖だった。

 園長がずり落ちた眼鏡の間から、上目遣いに絵美を見た。

「直人君は決して自分がやったとは認めなかったようです。他の園児たちが見ていたそうですから、直人君がやったのに間違いはないんですが」中指で眼鏡を押し上げた。「そんなわけで私たちも直人君には強くいえませんでしたが、さすがに今回は…………」

「それだけじゃないんです」

 肩を震わせていた佐々木が、顔を俯かせたままいった。

「直人君は私に『先生はヒヨコがいなくなって寂しい?』とか『ヒヨコのことを思い出して先生も泣くの?』って訊くんです。そのときの直人君の顔を見てぞっとしました…………。直人君は動物たちを殺しておいて、それを悲しむ人たちを見て喜んでるんです」

 話すにつれて声が大きくなっていった。佐々木の感情が昂ぶっていくのがわかった。

「ちょっと佐々木先生――」

 さすがに言い過ぎだと思ったのか、園長が佐々木をたしなめた。佐々木がはっと我に返り、「すいません」と頭を下げる。

 絵美は直人が座っている奥のデスクに目を向けた。直人はこちらの様子に気が付いたふうでもなく、手に持ったクレヨンを動かしていた。

 剣崎さん、という声に顔を戻した。園長が肘掛けに両手を広げ、真剣な顔で絵美を見ていた。

「剣崎さんは仕事をしておいでですよね。お帰りは毎日遅くていらしゃるんですか」

「八時までには帰るようにしているのですが…………」

 絵美は大学を卒業後、総合職として大手の銀行に入行した。あまりにもひどい男尊女卑の行風に嫌気が差し、ほどなく外資系の経営コンサルティング会社に移った。警察官僚である夫と出会ったのもちょうどその頃だった。男も女も関係ない今の職場での仕事は楽しかった。

「そうですか」

 膝の上で指を組み、園長が小さく息を吐いた。「これは私の意見なんですが、直人君はすこし他のお子さんよりも接してあげる時間が多く必要なのかもしれませんね」

 園長なりに気を使った言い方だと思った。要するにもっと直人に愛情を注げ、と言いたいのだろう。

「私たちもいろいろなお子さんを見てきています。おもちゃで友達を叩いたり、ガラスを割ってしまったりと乱暴なお子さんも沢山いました。けれども、いきなり友達の首を絞めて気絶させるなどというのは…………ちょっと聞いたことがありません」

 園長がソファに浅く座り直して、前かがみになった。

「今の直人君はとても危険な状態のように思えるのです」

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