『海鮮丼』 望郷の異世界レシピ06【KAC2021 お題『「私と読者と仲間たち」』】
枯れ谷。
岩山の中に一筋穿たれた一筋の亀裂。そのどん底を一騎の騎獣が駆け抜ける。
進化の過程で翼を捨てたその竜種は、大空の支配権と引き換えに地を這う雷を手に入れた。
鋭く大地を噛む爪と鋼を踏み砕く足裏。体を伏せ首を上げ低い姿勢で風の下へもぐりこむような体幹とバランス感覚。
走るために捨て、走るために得る。
そんな無限の営みの果てに積み上げられた、究極の『肉体』と極限の『才能』。
失ったはずの『翼』さえも幻視せずにはいられない、その異次元の疾走。
故に、こそ。現在の分類で「雷脚竜」というこの竜種を、ある古伝承は別の異名で呼ぶ。
――『
伝え聞いてはいました。本で読んでもいました。その事を授業で後輩の巫女に話したことすらありました。
でも、想像は全く及んでなかった! どんな正確な知識も現実に比べれば不完全な幻に過ぎない。そのことを、まさかこんな風に思い知ることになるなんて!
王都の神殿にいた頃には思いもしませんでした。
わたしは夢中で、必死に目の前の背中に縋りつきました。ほほを押し当て体全体で抱き着いて、彼の背中にすべてを預けていました。
怖かった。声も出ないくらいに胸の奥も頭も真っ白でした。必死に口を閉じていました。舌を噛むのが怖かったばかりではありません。口を開けば情けない悲鳴しか出ない。それがわかっているから。そんな情けない自分を見せて、彼に失望されたくないから。この人と思い定めて、すべてをなげうってついていこうと決めた『彼』にはそんな姿を見せたくない。
わたしの『勇者』の前だけでは、わたしは一番強いわたしでいたかったのです。
でも、そんな思いも彼にはお見通しだったようで。
「姫。大丈夫だからな」
彼の手が、確認をするように彼の腰に回した私の手を叩いて、
「絶対大丈夫だ。ちゃんと捕まってろよ!」
大きくて温かな背中越しに。私を力づけるそんな声がおりてきた。
それで気づく。背中越しの彼の心音の激しさに。
「――ちがう」
私が支えなくてはいけないのに! 私がともにあると決めたのに!
目を開いて、後方の間合いを確かめる。この三日間。つかず離れずで誘導してきたワイバーンの変異種が鎌首をもたげて羽ばたいた――降下の予備動作!
「――っ! 健太さん! 来ました! 後方にワイバーン変異種!」
「よっし! さあマルス! 最終コーナーだ! 一緒に姫にイイトコ見せようぜ!」
健太さんが首筋を叩くと、私たちの騎獣「マルス」が頷くように頭を下げた。
前へ。少しでも前へ。砂と岩を蹴りたて、左右の風景を置き去りにして、『彼』は私たち二人をのせてさらに加速する。
枯れ谷についた時に存在を確認した四本腕の災害級魔獣――健太さんが『クマ』と呼ぶあの恐ろしい谷の主(ヌシ)の縄張りまで、あと少し――
《中略》
決着は、ついた。
私たちはワイバーンの誘導に成功し、二頭の巨獣はもつれ合うように枯れ谷の底で戦いはじめ、そして双方大きなダメージを負った。
ワイバーンは完全に沈黙し、巨大な魔獣は四本の腕の二本までを失っている。
わたしは杖を握り締めて立っていたけども、手足の末端部を殴って注意を惹くくらいの事しかできませんでした。身体強化の魔法を限界まで使っても時間稼ぎすらできない――だけど、健太さんは。
「ほんとは、さ」
そう言って黒い杖を正面に構えました。
「怪我がない時に真正面から戦わなくちゃいけないんだ。でも、お前は強いからさ。こんなやり方でしか勝負にならない」
語る言葉はどこか沈痛ですらあって、私は健太さんの背中から目が離せませんでした。
「何もかも、弱っちい俺がわるいんだ」
そして無造作に、ただ恐ろしい程の滑らかさで、魔獣の懐に飛び込むと。
「――ごめんな」
健太さんの黒杖は魔獣のみぞおちにめり込み、そして無影の『衝撃』だけがその背にまで貫きました。私たち人間からみえば見上げるような大きさの魔獣はその一撃で、生命を終えたのです。
それは偉業といってよい勝利でした。
だのにそれを成し遂げた彼はどこか辛そうで。
駆け寄りたかったけどできませんでした。
悲しい程にきれいな夕暮れの光の中で。
今は彼がそれを望んでいないと、わかってしまったから――
《中略》
洞窟の奥へ進むと、行く手がぼんやり光っていました。さらさらと流れる水音とそれに沿うように流れる風。
やがて奥へ行きつくとそこは明るく光が降り注いでいました。洞窟の天井に窓のような穴があって、そこから降り注ぐ光が床に溜まった水の底まで届いていて。
そこに――『それ』がありました。
血よりも柔らかく、黄玉よりも鮮やかな橙黄色。命そのものを閉じ込めたような小さな宝玉。
それが泉の底にひと群れになって、揺らいでいたのです。
枯れ谷の生物を強大化させた龍脈。そこから溢れた自然の魔力がある種の植物を媒介とすることで結晶化した奇跡の宝珠。枯れ谷の魔獣はこれを食べて体内に魔力を蓄えさらに強大化します。あの『クマ』もこれを欲して枯れ谷に来たはずです。そしてその『クマ』を狙ってワイバーンの変異種『サケ』が枯れ谷を麓から山頂へ登ってくる。――この美しい宝石がかくも恐ろしい食物連鎖の起点なのです。
これを王都に持って帰ったら末端価格は一体いくらになるでしょう。
いや『存在している』という情報だけでしばらく遊んで暮らせるだけの報酬があるはず。私だって実物を目にするのは生まれて初めてなのです。これは大変なことです。
「――よかったー。姫! 『イクラ』あったぞ! ちらしずしの材料だ! すっごいお土産になる。これで大威張りで村に帰れるぞ!」
……魔法実験の素材としては極上――えっ! 食べる気ですか! コレを!
◇◆◇
「OK……今日はこのくらいにしておこうか」
花が瀬村への入口近く。長くづつく隧道の脇に立つ『研究所』。ここはその一室。
この書斎の主である彼女『キサラ』の言葉で、フィアーネは口述を停止した。
瀟洒な飾り机の前に座っていた彼女は虹色の綺麗な羽ペンを置いて「ん~」と気持ちよさそうに、背を伸ばした。
きっちり折り目のついた襞のあるスカートが少し捲れて白くて形のいい膝小僧が見えて……フィアーネはなんだか悪いことをしているような気になって目をそらせた。
整った面差し。気だるげに潤む青い瞳。みずみずしい唇。つややかで柔らかな栗色の髪が、ゆったりと波打ちながら宝石箱のような顔(かんばせ)を縁取っている。同性すらも直視できない美しさと妖艶。それが辺境の魔女「八重樫キサラ」。
彼女自身が『ため息しか出ないくらいにクラシック』と呼ぶ濃紺の襟の服はセーラー服といって異世界では学院の研究員が身に着ける制服らしいが、仕立てと言いデザインといいフィアーネには洒脱で洗練されたデザインに見えた。これがまたキサラの容貌や羽織った白衣と相まってある種の威風すら感じさせる。
年齢で言えばフィアーネよりもずっと年上のはずだが、その美貌は健太が物心ついたころから変わっていないらしい。フィアーネも年齢を確認したりはしない。『魔女に年齢を尋ねる』とは、失礼であり不用心であり命知らずであることを戒める魔法王国の諺だ。だからフィアーネは別の話題を口にした。
「いえ! キサラ師の研究の手助けになればこの程度! それに美味しい海鮮丼もいただいてしまいましたし」
「……あんた、ほんとにイクラ好きねえ」と呆れたようにキサラ。
フィアーネだって最初はあんな貴重なモノをオカズにしてご飯を食べるなんて信じられなかったが――そう思ったのも『ちらしずし』を一口食べるその時までの話だった。
「……それにイクラは健太さんと初めて獲りに行った食材、ですし」
イクラは醤油漬けにするがそれでも噛むほどに甘味が立ち上る。真っ白いごはん上に下が見えない程一面にイクラを敷き詰め、エビ、ホタテ、サケの切り身をそっと乗せ、薄目のタレを回しかける――と、これはもう天上の食卓であった。
海鮮(ほぼイクラ)丼は、思い出も込みでフィアーネの大好物である。
「――へーそーおー」とどこか平板な声で言って、キサラは手元の原稿をシャシャと〆のサインを入れ、紙ばさみに挟んだ。
フィアーネはその書類を村役場に届けることになっている。
「はい。『花が瀬村だより』の原稿。明日から全40回連載で『フィアーネの冒険』が始まるから」
ぱさ。封筒を受け取ろうと差し出したフィアーネの手から『原稿』が滑り落ちる。
「れ、連載?」
「そおよ。あ、事実には即してるけど、ちょいちょいセリフ変えて心理描写付け加えているから」
ばたばたとフィアーネは床の原稿を確認し(汚れないようにまとめて)読もうとして全部日本語だと気づいた。「はい。」とキサラが自分がかけていた眼鏡をかしてくれる。眼鏡に見えるが古代魔法王国期の鑑定魔法が付与された魔道具である。
そしてざっと読んでみて。
「あ、ああああわあああああっつ」
フィアーネは絶叫した。
「どう? 気に入った?」
「私こんなこと言ってません! いえ、それだけじゃなくて、ほかにもいろいろ」
「そのまんまじゃラノベっぽくならないのよ。だから味付け」
「味付け?」
「出汁としょうゆと控えめ砂糖で、ほんのり甘めの日本風」
「イクラ丼ならそれが正解だと思います!」
いや。そんなことではなくて、とフィアーネは抵抗した。
「こ、こんなの聞いてません!」
「じたばたしないの。原稿料食べたでしょ」
「原稿料って食べるものでは――あああっ。あのイクラ丼!」
「そんな」とフィアーネは崩れ落ちた。
「それから。先の展開しゃべってネタバレしちゃだめよ?」
「ネタバレってなんですか! 歓迎会で説明してるから皆さんご存じじゃありませんか! それに、これだと、わ、わたしと健太さんがどう見ても恋仲で……」
今更何言ってんだこいつ、という表情でフィアーネをみてから、キサラが言った。
「大丈夫よ。ホームズも武蔵も、最初は新聞連載だったから」
「何が大丈夫だか全くわかりません!」
完
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