『きんぴら』望郷の異世界レシピ03【KAC2021 お題『直観』】
王都の東門は、魔法王国の第十二代国王たる「聖賢王」に由来して「ブロードバルタ門」と呼ばれている。聖賢王は一度は滅びかけた王国を立て直した名君で、その偉業を讃えるためにつくられた城門はそれにふさわしい巨大なものだった。同時にこの『東の大門』は、王都をぐるりと囲む城壁の起点であり非常時には防衛拠点ともなるため、簡便ながら城として機能する。
これほどに巨大な門と城壁が作られたのは、かつて魔法王国を超巨大スタンピートが襲った時に大きな被害が出たことによる。大陸全土に版図を広げていた魔法王国の古代期――今から六〇〇年前におこった大規模な魔獣の暴走は、数知れない村と町、そして魔法王国の旧都アガレスを飲み込んだ。魔法王国の国土は六分の一になり、町や農地は荒野になり、辺境は人類に代わって魔獣が支配する世界になった。
「世界の半分を滅ぼした」という歴史書の形容はなんら誇張ではない。
辛くも東へ逃げ延びた王国の民は新たに都を築き、魔獣の再来を恐れて周囲を高い城壁で囲ったのである。
とはいえ「魔法王国存亡の危機」も六〇〇年前のこと。東の門も城壁も、今は都を代表する観光名所としての方が有名である。
また王都の城壁はたんなる壁ではなく、これ自体が汲み上げられた地下水を王都に循環させる水道の役割を果たしており、城壁の上には水路があって水が流れ、低木が植えられ、花壇が作られていてさながら巨大な空中庭園の様相を呈している。北にある王城、西にある至高神教団の神殿の周囲はさすがに出入りに制限があるが、それ以外の場所は誰もが散策できる憩いの場となっていた。
今も丁度、朝の勤めを終えた見習いと思しき若い女性神官が一人、朝早くの東門そばの「城壁公園」へとやってきた。食事前のひと時にクォータースタッフの稽古を行うためだった。
至高神の神官であり巫女であるという立場の彼女は、祈りをささげ神殿の静謐を守る使徒であると同時に、教団が有する神官戦士団においては一人の戦士であった。
無益な殺生を戒める神官であるから剣や槍は用いない。彼女の得物は「棒」であった。彼女は天稟に恵まれて技に長じ、幼少のころから始めて十年になる頃には大人混じって稽古し、むしろ他者を教導する立場になっていた。
また魔法王国の神官戦士であるからには身体強化の魔術体系にも習熟しており、その道については周囲の追随を許さない。それに満足することなく、身体強化魔術抜きの基礎練習にも熱心で、人よりも長い棒を使って独自に工夫をしている。これは彼女がいかに杖術に打ち込んでいるかという証左でもあろう。
その彼女が城壁の上にやってくると、いつも自分が棒術の稽古をしている定位置に人影があった。彼女が手にしている六尺棒よりも少し短い、黒い棒を手に杖術の「型」をやっているのだ。
「定位置」等とは言っても公共の公園の一隅に占有権などない。また棒を振るのに場所は関係ない。「今日は気分を変えて別のところでやろうか」と、きびすを返そうとして、彼女はその場から動けなくなった。
その人物。旅人、冒険者、あるいは武術家。いかようにも想像できる自分と同じくらいの年恰好の『少年』。その「佇まい」があまりに清冽だったからだ。
静かに型をやっているだけなのに少女はその後姿から目が離せなくなった。
綺麗だった。力強かった。積み重ねが見えた。
そんな万言を費やしても、目にした瞬間に彼女が感じた印象――否。「衝撃」を表現することはできない。
百万、千万、振って振るって自分の中に積み上げてきた言葉にならない『何か』が、少年の『何か』に反応し共鳴する。
この人はきっとわたしより頑張った人だ――直観的にそうわかった。
優れた「技」というのは美しい。それは型に正確だから美しいのではない。力を発揮すべく「理」に適っていればこそ、自然とその技は美しい軌跡を描く。
「道」を求めて無心に少年が振るう杖の軌跡が、そのありさまが、同じく一つ事に思い定めて稽古を積む少女の心を揺らし、また打ったのであった。
――どれだけ、そうして少年の演舞に心奪われていたろう。
少女がはたと我に返ると、杖を手に下げた自然体で、少年がこちらを見ていた。
黒い見慣れぬ材質の棒は四尺二寸ばかり。他のいかなる硬木とも違うじっとりとした「密度」を感じさせる重そうな質感をしていた。
そして、少年は都には珍しい真っ黒な髪していた。そして髪色と同様にやはり真っ黒な瞳を、いかにも珍しいものを見つけたといわんばかりに、好奇心に輝かせてこちらを見ていた。
あ。と一拍遅れて、気付く。
少年は、神官衣の少女がもつ、彼のモノより少し長い棒を見ていた。
ふっ。と小さく息を吐いて呼吸と視線を定め、少し下がって場所を開けてくれた少年に会釈をしてから。
少女は愛用のクォータースタッフを構える。少年が軽く目を瞠るのがわかった。その視線を誇らしく、面映ゆく感じながらも。
彼女は彼女の棒術の型を、彼の前で演じ始めた。
――その後。
互いの素振りを見せたり、足さばきを披露したり、約束稽古をしたり、自分の流派の技を教えあったり、流派違いのせいで同じ棒なのに長さの違うお互いの得物を交換して試しに振ってみたり、うまくいかなくて転びかけて大笑いをしたり。
このことでお互いの武器に興味を持った二人は、今日の出会いの記念に互いの棒を交換することにしたりしたのである。
商隊(キャラバン)に同行して王都に来たばかりの少年の王国公用語はずいぶん拙かったが、不思議とまったく苦にならなかった。無理もない。なにしろ二人が会話をしたのは稽古の時間が終わりに近づき、ようやく自己紹介もしていないと気づいた時だったのだ。
「名乗るのが遅くなり、失礼をしました」
いつもどおりに丁寧で美しい所作をほめられるお辞儀をしてから、少女は自分の胸に手を当てて示しながら、名前を名乗った。
「王都へようこそ。わたしは王都至高神神殿の神官で、フィアーネと申します。お名前をうかがってもよろしいですか? 旅人さん――」
◇ ◆ ◇
「ふむ。それがお前たち二人の出会い、というわけか」
広場の隅の長椅子に腰かけ、自分自身の杖を肩において一息つきながら、村人から「じいさん」とか「じっちゃん」と呼ばれている長老が言った。
「はい」とフィアーネはひとつ肯いて、消沈した様子で手のひらに目をやった。
彼女の手の中にあるのは黒い「杖」。あの出会いの日。夜明けの城壁の上で健太と交換した思い出の「杖」である。それが上から下へ縦に大きくひび割れている。
二、三日前から、妙な手ごたえがあったから「もしや」とは思っていたのだが、今朝の長老との稽古の途中、ついに「びきり」とひびが入った。
王都への旅立ちの前に、長老から健太へ免許皆伝の証として渡された杖であり、そんな大切なものを自分と交換してくれたのだと感激もした記念の杖。
正直、言葉も出ない。
「形あるものが壊れるのは自然に通底する道理というもの。懸命な稽古を積めばこそ至ったのだと誇らねば」
「はあ……」
答えるフィアーネの肩は力なく落ちたままである。
「流派も違うのによくぞここまで使い切ってくれた。よくぞ振ってくれた――否。よくぞ割ってくれたとわしは感謝しておるんじゃよ?」
「おじいさま……」
長老は健太の杖術の師であると知ったのは彼女がこの村にきたばかりのころ。すぐに入門を願い出て教えを請うた。健太の杖に魅せられたフィアーネにしてみれば、他の選択肢なんてなかった。もちろん健太も彼女の背中を推し、長老に口添えしてくれて、晴れて二人は同門の兄弟弟子になった。
フィアーネにどこか甘い所のある長老であるが、杖術の指導は厳しかった。フィアーネにとってもそれは望むところで、この半年余りの稽古は質量ともに充実していた。
だからこそ、長老の慰めは、フィアーネの心の響く。
「だいたい健太には正月までに二本は割っておけといったのに、一本をフィアーネさんに任せるなど、何を考えておるのか」
そのやさしさにフィアーネは……は?
「おしょうが、つ?」
思わず聞き返す。いや「お正月」がこの村における新年の祝いである事は承知しているけれど。
「うむ。」と長老は肩に置いた杖を眺めやった。
「『たたきごぼう』という正月料理があっての。文字通りゴボウを叩いて柔らかくしてから料理せねばならぬ。ところが、この世界のゴボウは非常に硬い故なまなかなことでは割れんでなあ。昼夜立木や岩を殴って年に4、5本くらいしか、準備できんのじゃ」
料理? 準備?
フィアーネは思った。今、自分は何を聞かされているのだろうか、と。
自分は杖術の稽古をして、杖術の話を聞いていたとおもっていたのだが。
「これを、食べるのですか……」
じっと手を見る。樫でも楢でもない、不思議な質感の棒ではあったけれど。
「それはゴボウというれっきとした食材じゃ」
では、健太と出会ってコレをもらって、ひたすら稽古のつもりでフィアーネがやっていたのは――あの日の直観は
「料理の、『下ごしらえ』?」
ぐらっと天地が逆になるようなめまいがした。
「ゴボウはうまいぞ! ほれ?昨日の夕食のきんぴらごぼう。おいしかったろ?」
「えっ! きんぴらってこれでつくるんですか!」
「そうじゃよ? 昨日のゴボウは今年健太が割ったやつじゃな」
そう、こともなげに言った後で、長老はさすがにフィアーネの心情をおもんばかったらしく。
「フィアーネさんが初めて割ったゴボウだから、フィアーネさんが決めていいよ。そのゴボウ、おせちの『たたきごぼう』にするかね? それともささがきにして『きんぴらごぼう』にするかね?」
「は? え、えっと……」
フィアーネは混乱しつつも考え込んだ。
そして、もう一度手の中の『杖』……ではなく、ゴボウをみた。
「き、『きんぴらごぼう』で」
多分その方がおいしい、と。
この村へきて色んな変わった料理を食べてきたフィアーネの直観がそう言っていた。
完
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