第183話 困惑

 朝食を終えてテントの片付けをした後。

 俺たちは、事情を聞くためエディンバラさんたちを家に招いた。


「えー! ぱぱ遊んでくれないの⁉」

「ごめんね。ちょっとエディンバラさんと大切な話をしないといけないから、あそこにいるばぁばと遊んできてくれる?」

「っ――⁉」


 スノウが俺の指さす方をバッと見る。

 窓の外から見える木陰に不自然な魔力の塊があり、闇の大精霊であるシェリル様がいるのはわかっていた。


 敢えてスルーしていたのは、他の二人の大精霊様と違って、彼女は見守るだけであまり表に出てこないからだ。


 どうやら普段のクールに対応しているからか、甘やかしているところを俺たちに見られるのが恥ずかしいらしい。


 最初は首を傾げていたスノウも、じっと見ていると、そこにいることに気付いたのだろう。


「行ってくる!」

「あんまり迷惑かけちゃ駄目だからねー!」


 慌てて窓から出て行ったスノウを見送ってから、俺は改めて視線をソファに座るエディンバラさんの方へ向ける。


「ほらレイナ、そんな風に睨んだら駄目だよ。エディンバラさんにもきっと、彼女なりの理由があるんだろうし」

「……わかってるわよ……ただどうしても納得いかないだけ」


 まあ彼女の言いたいこともわかる。

 これまでエディンバラさんは自分の記憶が戻したいと思っていなかった。


 それは俺も直接聞いたし、そこに嘘はなかったはずだ。

 過去のわだかまりがあるとはいえ、新しい人生を歩むというなら応援しよう。そう割り切ったタイミングでの発言に、心をどう置けば良いのか悩んでいるのだろう。


「……これじゃ駄目ね。一回マーリンたちのところに行ってくるわ」

「わかった。話は俺が聞いておくから」

「ええ……ごめんなさい」


 立ち上がるレイナを、ティルテュは心配そうに見上げる。


「旦那様……我もレイナに付いて行くぞ」

「うん、お願いね」


 それを止める気はないのか、エディンバラさんとヴィーさんはなにも言わない。

 二人が出て行ったのを見送った後、ようやく話を聞ける状況になった。


「それで、いったいどうしたんですか急に? 前までは記憶は戻らなくても良いって言ってましたよね?」

「ああ。どうやら過去の私は相当面倒な性格をしていたのか、マーリンたちに聞いても渋い顔をするし、レイナの顔も曇るばかりだ。だからこの記憶も必要ないと思っていたのだが……」


 エディンバラさんはどう言うべきか悩んで言葉に詰まり、ヴィーさんを見る。

 それを見ていた彼女は、呆れた顔をしていた。


「私を頼るな。自分の口で言ってみろ」

「わかっている……」


 そう言ってからなにか言葉にしようと何度も口籠もり、そしてようやく納得のいく言葉が思いついたのか言葉を紡ぐ。


 ――私は、私としてレイナを見送ってやりたいんだ。


 そう言った彼女はどこか緊張気味だが、同時に少し誇らしげな顔をしていた。



 エディンバラさんはレイナが結婚をすると聞いて、彼女と思い出がない今の状況ではなく、きちんと幼い頃から教えてきた本来の自分が祝うべきだと思ったと言う。


 彼女の想いは、とても尊いものだと思った。

 ただそれは過去の彼女を知らない俺だから言えることでもある。


「俺にとって、レイナは大切な人です」

「よくわかっている」

「その上で聞きます。レイナは辛い過去の自分と決別して、この島で新しい生活を選びました。それは貴方とも思い出も一緒です」

「ああ……」

「もし……もしも貴方が記憶を取り戻したとき、レイナが苦しい想いをしたなら俺は一生許せないかもしれません」


 俺が殺気を出して睨む。

 かなりのプレッシャーに感じるはずだが、エディンバラさんはまるでピクリともしない。


 目線をわずかにも逸らさず、真っ直ぐ俺の想いを受け止めようという意志を感じる


「それでも記憶を戻したいんですか? レイナを傷付けることになっても?」

「ああ。取り戻したい」


 最後の問いに、彼女は迷うことなく頷く。

 彼女が本気だというのは、痛いほど伝わってきた。


「……わかりました」

「私が言うのもなんだが……本当にいいのか? もしかしたら、記憶を取り戻したらみんなを酷い目に合わせるかもしれない」

「少なくとも俺の知ってるエディンバラさんは、そんなことしませんから」


 そもそも本来、こんなことは俺に言う必要なんてないのだ。

 彼女の記憶は彼女の物。取り戻したいと思うのは当然で、だからこそこうして律儀に言いに来てくれた彼女のことを尊重したい。


「……レイナの説得は任せてください。それに、記憶を取り戻すための協力もします」

「助かる。今のままだと、レイナとちゃんと話せる自信がない……」

「その代わり、今後ヴィーさんが俺たちにちょっかいをかけようとしたら止めてくださいね」


 我関せず、という雰囲気でコーヒーを飲んでいたヴィーさんに視線を移す。


「おいこら、なんで急にこっちに話を振る」

「任せてくれ。母のことは私が命にかけても止めよう」

「エディ、お前もそんなつまらない提案に乗るんじゃない」


 彼女が俺の冗談に乗ってくれたから、先ほどまでの重い空気はもうなくなって、部屋の中が明るくなった。


 とはいえ、レイナの説得は生半可なものにはならないだろう。

 だって彼女にとってこの人は、かつての俺にとっての上司に近い。


 ブラック企業時代に滅茶苦茶をした相手を、今恨んでいるかと言われるとそんなことはないけど……だからと言ってもう一度会いたいとは欠片も思わなかった。


「どうしたものかなぁ」

「案外、どうとでもなるさ」

「ヴィーさん?」

「レイナはあれで、私が認める程度には強い女だからな」


 相変わらずなんでもお見通しのような彼女の言葉が、今は心強い。

 たしかにレイナはもう過去ではなく、この島で未来を進むって決めてるもんな。


「記憶の件は正直、どうしたらいいのか検討も付かないんですけど……」

「こいつは自分で記憶を封印しているだけで、消えているわけじゃない。だったら、過去をきちんと思い出させてやれば自然と鍵は緩くなるものだ」

「なるほど……それじゃあ七天大魔導のみんなと昔の話をしながら、思い出を取り戻していく感じですね」


 どうやら元々の方針は最初から決まっていたらしい。協力すると言ったけど、俺に出来ることは特にはなさそうだけど……。


「ああ、そのつもりだ……それで、だな」

「ん?」


 なぜか急に恥ずかしそうな顔をするエディンバラさん。彼女にしては珍しい。


「父も、一緒に聞いてくれるか?」

「それはいいですけど……」


 彼女がこの島の来たとき、ゼフィールさん以外の人たちはエディンバラさんのことを恐怖の対象として扱っていた。


 それはマーリンさんやゼロスも一緒だ。

 つまりそれだけの過去が彼女にはあるのだろうし、聞くには勇気もいるものだろう。


 ――それも覚悟の上で、記憶を取り戻すってことだもんな。


「ヴィーさんは一緒じゃなくていいんですか?」

「私はこいつが島の外でなにをしていても気にしないからな。全部思い出したら、あとで酒の肴にしながらゆっくり聞くさ。それに――」


 ――子がどんなことをしていたとしても、受け入れるのが親というものだろう?


 そう言うヴィーさんの瞳は、優しげなものだった。


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