第175話 白い箱

 最終的にミリエル様の構いたがりにシェリル様の怒りが爆発し、この日はお開きになる。


 ジアース様の住処からの帰り道、スノウも疲れてしまったのか俺の腕の中で眠り、隣を歩くミリエル様がそんなこの子を微笑ましく見ていた。


「アラタ君、ありがとね」

「俺はなにもしてませんよ。今回の件だって、俺が行ったときにはもうシェリル様たちの方から会うつもりでいましたし」

「あのシェリルたちがそう思うようになったもの、きっとアラタ君が色んな種族の架け橋になってくれてるからだと思うんだ」

「うむ。昔よりもずっと丸くなった」


 そういえば、たしかに出会ったときのシェリル様はかなり尖っていたかもしれない。


 なにせ出会い頭にいきなりカティマ目掛けて攻撃してきたくらいだ。

 多分俺が止めなくても止めたとは思うけど、いきなり敵対行動を取っていた当時と比べると、たしかに今の方が優しいな。


「あれを見ると、私たちも色々と考えちゃうわ!」

「そうだな。私達も、そしてハイエルフの子たちも、もっと広い世界を知ってもらいたいと思ってしまった」


 二人がそう言うと、ブリュンヒルデさんも同じ想いなのか真剣な顔で頷いてくれる。

 もしそうなってくれればいいなと俺も思った。


「アラタ君がこの島に来たことで、色々なことが動き出したね」

「それこそ俺にはわかりませんよ。意識してやったことじゃないし、それが良かったのかすらわかっていません」

「良いことだよ。少なくとも、みんなそう思ってる。だってそうじゃないと、この子がこんなに懐くはずがないもん」


 そうやって微笑むミリエルは、聖母のように優しい雰囲気を纏っている。


「ありがとう……スノウを大切にしてくれて」


 俺と視線を合わせられるくらい浮くと、寝ているスノウのほっぺをツンツンと突く。


「さっき色々と聞いたけど、本当に嬉しそうに話すの。パパがいて、ママがいて、お姉ちゃんや友達がいて、スノウは幸せ者なんだってさ」

「んー……」

「あ、顔隠しちゃった。ごめんねぇ」


 意識などもうないだろうそう言われてもわからないだろうが、ミリエル様は何度も謝る。


 スノウが楽しいなら、俺も嬉しいな。それに多分、レイナも同じ想いだろう。


「良いお父さんしてるじゃない! 褒めてあげるわ!」

「ありがとうございます。フィー様も、良ければ遊びに来てあげてください」

「仕方ないわね! でもアンタたちが来ても歓迎してあげるわよ!」


 言葉の言い方はキツいが、言ってる内容はとても優しい。

 それに妖精のように小さな手でスノウの頭を撫でる仕草は、本当のお姉ちゃんのようだ。


 ミリエル様は俺のやっていることが良いことだと言ってくれた。


 だけど時々、怖くなるときがある。

 あの結界の先、ハイエルフの里のように穏やかでゆったりとした、争いのない空間。


 この島の俺が来るまでは、それぞれの種族で線引きがしっかりとされていて、それに近い環境になっていたはずだ。


 それを俺が色々と掻き乱しているんじゃないかと、本来穏やかに過ごせていたこの島の人たちの生活を破壊してしまったんじゃないかと、そう思うときがあった。


「アラタよ。お前が気にしていることは、間違いではない」

「ディーネ様?」


 真剣な声に、俺は思わず足を止めて水の大精霊様と向き合う。


「だが過去のこの島の在り方は、本来の自然から見れば不自然だったのだ。それは結界の中を見て、そう思っただろ?」

「……はい」

「だから、今の方がいい。そう思っておけ。なにせこの世界の自然を司る大精霊たちが全員、そう認めているのだからな」


 それだけ言うと、彼はそのまま前を進む。

 ミリエル様も、フィー様の同じ思いなのかなにも言わず、背中を見せた。


「大精霊様全員が、認めてくれてるのか……」


 だったら、大丈夫かな……。

 不思議と、彼らの言葉を聞くとそう思えるだけの力があった。


 ブリュンヒルデさんや大精霊様たちと別れ家のある広場に辿り着くと人だかりが出来ていた。


「なんだあれ?」


 俺たちの家の隣、ちょっと広いスペースに家くらいの大きさの白い箱が置いてある。

 近づくと、七天大魔導のみんなが困惑した様子で箱を調べている途中のようだ。


「あ、アラタ……お帰りなさい」

「ねえレイナ、これなんか嫌な予感しかしないんだけど……」


 特に装飾なども施されていない真っ白な巨大な箱。

 明らかに人工物ではないそれは、少なくとも俺たちが家を出る前にはなかった物だ。


 なにより、ヴィーさんが家で留守番をしていたのだ。こんな得体の知れない物が出来たことに気付かないはずがない。


「帰ってきたらこれが置いてあって……」


 そうして見せてくれた手紙には、『両思いだと思う男女は手を繋いで箱に触れると良い』と書かれていた。


 最初は警戒していたが、これもどうせヴィーさんのお遊びだろう。

 無視して後のちょっかいの方が厄介だし、ある程度付き合えば解放されるはず。


 そう考えて、唯一恋仲になっていたアークたちが手を繋いだまま箱に触れると、光り輝いて三人とも消えてしまったらしい。


「……どれくらい戻って来てないの?」

「まだ二時間くらい。この箱にいくら攻撃してみてもビクともしなくて、結局こうやってみんなで調べてたの」

「なるほど」


 ゼロスやマーリンさんだけでなく、ゼフィールさんもいる。

 少なくとも人間の中では最大火力を誇る彼ですら傷一つ付けられないのであれば、特殊な力が働いているのかもしれない。


 俺も箱に触れてみるが、冷たくもなければ熱があることもなく、ただ無機質な物体という印象。


「調べてみて、どんな感じ?」

「どの属性で攻撃してみても一切反応がなかったから、不純物の一切ない無属性の物質ってことくらいね」

「うむ、まず少なくとも自然界ではあり得ない物質ですな」

「もうヴィーさんの悪戯確定じゃないですか……」


 レイナを含め、七天大魔導のみんなは魔法に対しての知識が深い。

 そんな彼女たちが自然界ではあり得ない、と言っている時点でももう普通じゃないのがわかる。


 さっきの手紙といい、その内容やこの異常な箱といい、もはや彼女以外にこんなことが出来る存在がいるとは思えなかった。


 腕の中で幸せそうに眠るスノウをレイナに渡すと、俺は拳を握り込む。


「せーの!」


 思い切り殴ってみると凄まじい轟音が鳴るが、箱はビクともしなかった。


「……これ、力押しじゃどうにもならないかも」


 いちおうまだ本気ではないが、それでも感覚的になにかが違う気がした。

 見た目は固形の箱だが、実際は超巨大な海を殴ったような、そんな感じ。


「マジか、アラタで駄目だったら絶対無理じゃねぇか」

「どうする? あの吸血鬼の悪戯なら死ぬような酷い目には合わないと思うけど……」


 ゼロスとマーリンさんはもう若干諦め気味だ。

 彼らは早くにこの島に来てヴィーさんの力も少し見たことがあるから、余計にそう思うのかもしれない。


「心配しなくて良いぞ」


 頭上から声が聞こえてきたので見上げると、エディンバラさんが立っていた。


「あ、エディンバラさん」

「師匠! 人の家の隣になに作ってるのよ!」


 彼女は箱から飛び降りると、ゆったりとした動作で着地して近づいてくると、じっと俺とレイナを交互に見た。


「アークたちももうすぐ出てくる」

「だから説明を……」


 レイナが説明を求めようとした瞬間、白い箱が光り輝く。


「これ、セレスさんたちが消えたときと同じ⁉」


 そうして、箱の前に三人が現れる。

 見た感じ怪我とかはしてないみたいで無事みたいだけど……。


「いや、無事かあれ?」


 アークは生気のない顔でげっそりとしている。

 ただセレスさんとエリーさんは顔を真っ赤にしているだけで、幸せそうな表情。

 手を繋いだらという話だったが、アークの両腕を美少女二人が掴んだ状態でまさに両手に花だ。


「アーク、大丈夫?」

「あ……」


 声をかけるとゆっくり顔を上げ、俺の存在に気付いた瞬間声を上げる。


「アラタさん⁉ いけない! ここは危険なので離れて――」


 その言葉より早く動く人たちがいた。


「レイナさん! ちょっとこっちに来て!」

「さあ、早く! アラタ様も!」

「スノウは私が預かろう」

「え、なに? ちょ――」


 エリーさんとセレスさんが素早くレイナの背中を押し、さっとエディンバラさんがスノウを受け取る。


 三人で連携を取りながら彼女を白い箱の前に連れて行き、ついでに俺も腕を引っ張られた。


 そして二人揃って並ばさせられると――。


「はい手を繋いで!」

「お二人とも頑張ってください! 応援してます!」


 いつもと違う雰囲気の二人の声援がレイナに投げられ、俺たちは戸惑っているうちに光に巻き込まれるのであった。

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