天網恢恢

フロクロ

第1話

この村の外れには、学びの神として祀られている祠がある。


その祠――当時はただの洞窟だったが――の存在に最初に気がついたのは、村の子どもたちだった。



「あそこにいると声が聞こえるんだよ」

「いろんな人の声がするんだ」


ある日、遊びから帰ってきた子どもたちは口々にこう告げた。

村の北北西をしばらく行った山の、その中にある洞窟に"それ"はあるらしい。聞くところによると子供たちは今までも何度かそこに立ち入って、その声の主との会話を楽しんだという。それを知った大人たちは血相を変えて子供たちに釘を差した。


「二度と近づくんじゃありません」


そして村長の名の下、その洞窟の周辺は立ち入りが禁じられた。しょせん子供の言い草であるが、もし本当であれば何らかの怪異であるに違いない。なんにせよ、そのようなものは触らぬに越したことはないのだ。


ところで、子どもたちはその洞窟を、あるいは、洞窟の声の主を何故だか「斉藤さん」と呼んだ。今となっては、理由はわからない。声の主が名乗ったのかもしれないし、子どもたちが勝手にそう呼んだのもしれない。いずれにせよ、その場所はその後一部の村人に「斉藤さん」と呼ばれることになった。


そうして2年ほどの歳月が経った。この年、この村は大きな変化を遂げる。

あるとき、村の青年が小さなボヤ騒ぎを起こしてしまった。青年はおっちょこちょいなきらいがあり、この手の失敗も一度や二度ではない。以前から周りの大人たちに呆れられているのは自覚していたが、この事件を機にあまり口も聞いてもらえなくなり、青年は村で孤立した。村にいると自らの惨めさがいっそ際立つ。耐え難くなった青年は、翌朝、宛もなく村を飛び出した。そして、気づくと"そこ"の前に立っていた。


「ここは、村で忌まれているかの洞窟ではあるまいか」


青年はすぐに勘付き、そしてすぐさまこう考えた。


「この際、誰でもいいから言葉を交わしたい。この孤独が紛れるなら、怪異でも祟りでも構うものか」


今の青年に恐れるものはもはや無かった。洞窟に足を踏み入れる。しかし、声などは聞こえない。


「やはり子供のいたずらであったか」


しかし、その瞬間。


「もしも~し」


どこからともなく若い女の声が聞こえた。青年は驚き、思わずその場で尻餅をついた。


「こ、声が、本当に……」

「え、声?当たり前でしょ、斉藤さんなんだから」


"斉藤さん"。そういえば子供たちがここをそう呼んでいたのを思い出した。噂はほんとうだったのだ。青年はすぐさま問いかけた。


「わ、私はあなたと話がしたいのですが、あなたは何者なのでしょうか」

「え、めっちゃ訛ってんだケド。ウケる~え、でも声イケメンかも」


訛りがひどく、半分くらいしか聞き取れない。それでも誰かと話ができることが嬉しかった。

その後、青年が悩みについて語れば、"斉藤さん"はそれに明るく応えた。


「ま、ドンマイじゃね?」


意味はわからないがその言葉に勇気づけられた青年は、その後村に戻りこのことを村の者たちに伝えた。多くの大人は怪訝な顔をしただけだったが、一部の好き者が洞窟を訪れ、たちまちこのことは村じゅうに広まった。

この洞窟からは老若男女さまざまな声が聞こえる。それらはどうやら毎回別人のようで、常に前回の会話を覚えていないようだ。そして村人たちが驚いたのはその内容である。料理、占星術、農耕、呪術、天文、気象などについて、村の誰も保たぬような知恵を持ち、伝えてくださるのだ。


「うお座、今日金運サイコーらしいですよ」


そうして村人たちは次第に確信していった。


「これは怪異なんかではない、八百万の神々の声だ!」


そして、この洞窟は祠として祀られることとなった。そして、神々との会話を通じ、様々なことが明らかになった。神は皆「えっせんねす」なるものや「ぐぐる(叡智の門を"くぐり"、そこから知恵を授かっていると考えられた)」という動作を通して知識を得ているということ。洞窟の地面にある"石"に触れることで神々が降りてくること。しかし声のほとんどは途中で途切れてしまい、会話が成立するのは数日に一回であるということなど……。


このように神と対話ができることは多くなかったが、それでもこの祠がもたらした知識は大きいもので、村は災厄に見舞われると必ずこの"斎藤さん"を頼り、啓示を得た。そうして数年間、この力で多くの困難を乗り越えることになる。


しかし数年後、村に今までにない大きな危機が訪れる。

よそからやってきた未知の雑草に田畑が覆われ、作物が育たなくなってしまったのである。村はたちまち飢饉の恐怖に怯えることとなった。この大きな困難に対し、村人は例によって"斉藤さん"に啓示を求めた。


「ということなんですが、どうすればいいでしょう……」


すると明るい男の声をしたその神はこう答えた。


「この前"えっせんねす"で見たんですけど……


塩を撒くといいっすよ!」


そのお告げを最後に、その祠から声がすることはなくなった。


サ終であった。

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