この夏を〝 正解〟にする為に

 ハッとしてそちらに視線を向けると、銀髪の少女の姿があった。天使の翼の様に見えたそれは、絃羽の髪だ。彼女は駅のホームの柱に凭れかかり、俯いている。遠目でもわかるほど、彼女は寂しそうで、悲痛さに耐えているようだった。


 ──そんなとこで、待ってたのかよ。


 言葉が出てこなかった。息をするのも忘れてしまっていた。

 最後の最後に会える場所で、彼女はずっと待ってくれていたのだ。

 それに気づいた美紀子さんが、俺の背中をトンと押した。


「早く、行ってあげなさい」


 俺は頷いてから、駅の改札に走る。

 もう電車が来る時間まで、そう長くない。ICカードをタッチして、跨線橋への階段を駆け上り、外房線のホームへと駆け降りた。

 毎日会っていたのに、早く会いたい。少しでも長く会っていたい。この瞬間、今更ながらあと二~三日滞在してもよかったかな、と後悔もした。でも、ここにいち早く戻ってくる為に、一日でも早く帰ってやらないといけない事がある。

 胸を張れる自分に……なる為に。


「絃羽!」


 階段を降りると、彼女の名を叫んだ。俯いていた絃羽が、ハッと顔を上げる。

 そしてそのまま彼女のもとまで駆けて行き──両手で力一杯抱き締めて、唇を重ねた。

 彼女も最初は驚いた様だが、すぐに背中に腕を回して、その口付けに応えてくれた。

 昨夜、来年まで会えなくても我慢できるようにとたくさん触れた。肌の感触も、匂いも、全部脳裏に刻んだつもりだった。でも、全然足りなくて、触れたらそれだけで離したくなくなってしまう。

 ゆっくりと顔を離すと、そこには浅葱色の瞳から涙を溢れさせている、大好きな人がいた。


「私……大丈夫、だから」


 銀髪の少女は嗚咽を堪えながら言葉を紡いだ。


「武史くんとも、仲良くなれたし、ほのちゃんとも、仲直り、できたし……美紀子さんも、一緒にいてくれるから……私、もう大丈夫、だから……ッ」


 うう、と俺の胸の中に顔を埋めて咽び泣く。そんな彼女をもう一度力一杯に抱き締めてやった。

 畜生……そんな強がられたら、こっちだって色々耐えられなくなる。でも、ここで男の俺が泣くのはあまりに格好悪い。目頭が熱くなるのを堪えて、彼女の肩を掴んで離す。

 そして、涙がとめどなく溢れてくるその浅葱色の瞳を、真正面からじっと見つめた。


「絃羽……好きだ。大好きだ。絶対に戻ってくるから……それからはずっと一緒だから。もうお前に寂しい想いはさせないから」

「うん……私も。私も、悠真さんの事、大好き。大好きだから。ちゃんと、待ってるから……!」


 とめどなく流れる涙を拭ってやり、もう一度口付けた。そこからは言葉なんて要らなかった。

 電車が来るまでのほんの僅かな間だけ、ずっと俺達は口付けて抱き締めていた。ほんのひと時でも長く一緒に居れるように、その時間を取りこぼさないように、そして互いの存在を感じられるように必死だった。

 それからすぐに電車が到着して、俺達は否応なしに離れた。

 電車のドアが開いて、駅のホームに行先を告げるアナウンスが流れる。

 俺だけが電車に乗り込むが、まだ彼女との手は繋がれたままだった。このままこの手を引っ張ってこっちに連れ込みたい欲求を必死で抑える。

 俺達は言葉を交わさなかった。流れる僅かな時間さえも惜しむ様に互いに見つめ合うだけだった。話す時間さえも勿体なかった。

 会おうと思えばいつでも会えるから──そう自分に言い聞かせながら、愛しい人の姿を脳裏に刻む。

 発車のアナウンスが流れて、俺達の手は離された。そして、次の瞬間にはドアが音を立てて閉まって、俺達の空間は遮断される。

 電車はそれから間もなく発車された。

 近くの空いている席に行き、その窓から必死に絃羽の姿を追う。彼女は俺が見えなくなるまで、そのホームでずっと去り行く電車を見送ってくれていた。

 季節はまだ夏。夏はまだ終わっていない。だが、この瞬間──確かに、俺の夏は終わった。

 それは奇しくも、俺が忘れていた楽しい夏休みだった。遊んで、食べて、ドキドキがあって……そのドキドキは昔とは異なるけれど、ずっと彼女の隣でドキドキしている夏だった。

 そして、この夏を〝正解〟にする為に……これまでの情けない自分とは決別しなければならない。彼女に相応しく、そして自分が誇れる自分にならなければならないのだ。

 この夏にここを訪れ、そしてこの夏に至るまでの経験とこの夏に得た全てを〝正解〟にする為に。

 車窓から見えたあの岬に、俺はそう誓うのだった──。

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