三人の台所

 家に帰ると、台所では美紀子さんが夕飯の仕度をしていたところだった。

 台所には、野菜だけでなく、魚や肉などたくさんある。広げられている食材の量からして、今日も人がたくさん来るらしい。

 とは言え、この食材もほとんどご近所や港からの貰い物らしく、ほぼほぼお金がかかっていないのだとか。ご近所の人気者・美紀子さんの元にはこうして食材が勝手に集まってくるようだ。

 こうして桐谷家に人や食材が勝手に集まってくる文化は、美紀子さんとうちの母親が若い頃にできた風習だったそうだ。町では美人姉妹だった美紀子さんとその姉ことうちの母には、近所から贈り物が多かった。そのうち一家族だけでは食べきれないという事からご近所さんを誘っているうちに、こうして当たり前に毎晩宴会みたいに人が集まるようになっているのだと言う。

 こうして食材を提供してくれる代わりに、桐谷家──今では美紀子さんだけだが──は手料理を振舞う事でお返しをしているようだった。自然経済と信用経済が混ざり合っている場所だ。

 これも田舎特有のご近所付き合いで、都会にはないものだな、と思わされる。人付き合いは面倒ではあるものの、そこには温かさで溢れている。核家族として育った俺は、その風習が少し羨ましいな、と思うのだった。


 ──いや、違うか。ここで住んでるうちに、田舎のそういうところが気に入ってきたのかな。


 とはいえ、料理ができない俺は手伝える事はなく、せいぜい材料を使いやすいように並べたり、居間や玄関の掃除をするくらいしかない。

 台所で野菜を洗っていると、絃羽が制服から着替えるや否や、二階からパタパタと降りてきた。


「美紀子さん、夕飯作るの手伝うね」


 そう言って彼女は自分のエプロンを掛けて髪を結い、美紀子さんの横に立った。

 美紀子さんはぽかんとしてそんな絃羽を見つめている。一方の絃羽はちらりと俺を見て、にこっと微笑んだ。

 どうやら、第一関門は突破したらしい。これは甘えているというのとは少し違うんだけどな、と思いつつも、きっとそういう事ではないのだろう。

 絃羽は基本的に朝食担当で、夕飯作りには滅多に参加しない。絃羽が夕飯を作りを手伝う時は、夕飯に誰も来ない日が確定している時だけだ。

 美紀子さんは絃羽の表情を見てから俺の方をちらりと見て、呆れたような笑みを浮かべていた。


「じゃあ、このお魚捌いておいてもらえる?」

「うん。今日は何作るの?」

「今日はね、山田さんがくれたこれで──」


 二人が作る献立について会話を交わしている。

 こうして後ろから二人が台所で並んでいる姿を見ていると、髪の色は違うかもしれないけれど、親子にしか見えなかった。そんな光景を微笑ましく思いながらも、俺は居間に移動してテーブルを拭くのであった。

 それから暫くすると、帆夏が久しぶりに来た。さっき絃羽と仲直りをしたからだろう。

 まだほんの少し目が赤かったが、俺は絶対に触れてはいけないだろうな、と思って気付かないふりをする。台所では「あれー? 絃羽が手伝ってるー!」と嬉しそうな声を上げて、料理作りに参加していた。

 それは、昔俺がここに遊びに来ていた時によく見た光景だった。台所には美紀子さんと祖母がいて、それについて回るように帆夏と絃羽が手伝いをしていた。小さいながら、役に立ちたかったらしい。もう祖母はいないけれど、あの頃の光景を見ている気がして、じわっと目頭が熱くなった。


「なーんかさ、女の切り替えって、ほんと早すぎて付き合い切れねえよな」


 帆夏より少し遅れて桐谷家に到着した武史が、その光景を見てぼやいていた。


「昨日なんてさ、修羅場だったんだぜ、修羅場。泣いてワーワー喚く帆夏を連れて帰ってさ、夜遅くまで愚痴聞かされてさ、さっきも慰めてさ、そのすぐ後に何で修羅場った相手と一緒に楽しそうに料理作ってるわけ? 付き合ったこっちの身にもなってくれよ」


 台所からきゃっきゃと楽しそうな声が聞こえてくる中、武史の愚痴に「そうだな」と付き合ってやる。

 実際に帆夏がこうして前向き──なのかはわからないけれど──に変われたのは、武史の御蔭だ。こいつの功績を讃えてやりたいところだが、本人に自覚がないので、その愚痴をただ聞いてやる事くらいしか俺にはできなかった。

 武史と帆夏が何を話したのかは気になるところではあるけれど、この二人にはこの二人の付き合いがある。きっと、俺が入り込んで良いものではないだろうと思って、何も訊かなかった。帆夏が絃羽に謝って、絃羽が本音を帆夏に言う──それだけで、十分過ぎる結果だと思うのだ。


「で、ユウ兄」


 いきなり武史が声を潜めた。


「なんだよ」

「もう絃羽とはヤッ──いってぇぇぇぇ!」


 最後まで聞く必要がなかったので、とりあえずおもいっきりぶん殴っておいた。というか、色々突っ込まれるとこっちのぼろが出てしまう可能性の方が高い。


「バカ、大人はそんな節操がないわけじゃねーの。あと、そういう事訊くと女子から嫌われるからやめとけよ」


 どの口が言ってるんだと思うが、ここは大人として振舞う必要がある。というか振舞わないとまずい。武史は「ちぇっ」と舌打ちをして殴られた箇所を擦っていた。

 とりあえず帆夏達が料理を居間に運び始めた事もあって、武史からの追及は逃れられた。本当に助かった。

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