絃羽と帆夏②

 緊張のあまりか、何故かいきなり敬語になってしまっている。

 言ってから、絃羽は怖くなったのか下を向いてしまった。怯えと恥ずかしさと、申し訳なさと、色んな感情が混じり合っていた声色だった。それでも、絃羽は逃げずに自分の素直な気持ちを伝えた。

 それに対して帆夏は一瞬表情を崩したものの──


「そっか……おめでとう!」


 すぐに笑顔を取り戻して、祝いの言葉を述べた。

 絃羽は驚いて顔を上げて、帆夏を見つめていた。まさか祝ってもらえるとは思ってなかったのだろう。


「っていうかさー、絃羽。あたしがまだお兄ちゃんの事好きだと思ってたの?」


 大袈裟に溜め息を吐いて両手のひらを空に向けて、首を竦める。


「え、違うの……?」

「そんなの、小学生の時の話だっての。そんな一年に一回しか会えないような人をいつまでも好きでいるわけないじゃん。織姫と彦星かってーの。って、あんたはそうだったっけ?」


 帆夏の指摘に、絃羽は顔を真っ赤にして顔を伏せた。

 当時は想いを重ねていたわけではないけれど、絃羽からすれば織姫と彦星同然、一年に一回しか会えない人だったのだ。五年間の空白があっても、その感情は消えなかった。いや、消せなかったのかもしれない。


「まー、あたしはそんなに気ぃ長くないからさ? 絃羽は絃羽で、あたしの事気にしなくていいんだって。念願叶って良かったじゃん」

「ほのちゃん……ごめん」


 そのまま、うう、と呻くようにして俯いて、浅葱色の瞳から、綺麗な涙がぽろぽろと零れてくる。何とか涙を堪えようとするも、堪え切れなくて両手で顔を覆っていた。


「もう……バカ、何であんたが謝るのよ。今まで酷い事してきたの、あたしなんだから……謝るのはあたしじゃんか」


 帆夏も涙を堪えて声を震わせながら、絃羽に歩み寄って、そっと彼女を抱き締めた。

 結局、帆夏の本心もここにあったのかもしれない。本当は彼女も仲直りをするタイミングが欲しくて、絃羽の本音も聞けなくて。だからこそ、敵対関係みたいになってしまっていたのだ。

 絃羽の本音が聞けたから、帆夏も本音を出せたのだろう。


「初カレが初恋の人とか、やるじゃん絃羽。今度、あたしともコイバナしようね」


 絃羽の肩をぽんぽんと撫でてそう耳元でささやいてから、とんと絃羽を俺の方に突き出した。


「ほーら、さっさと下校デートしてきなさいよ!」

「ほのちゃん……うん!」


 そんな帆夏に対して、絃羽は相変わらず涙を浮かべたまま、笑顔で頷いて見せた。

 それはこれまでにないくらい綺麗で、晴れやかな笑顔だった。自分の本心を隠さず言う事で、色々な殻を破れたのだろう。そして、殻を破ったのは絃羽だけではない。絃羽が殻を破った事で、帆夏もまた、殻を破れたのだ。

 元通りというわけにはいかないけれど、きっと二人はまた、新しい関係を構築していくのだろう。


「それと、お兄ちゃん」


 帆夏が怖い顔をして、俺の方を向いた。


「なんだよ」

「絃羽の事、ちゃんと幸せにしろよ、甲斐性無しのプー太郎!」

「まだプーじゃねえ! まだ猶予はあるんだよ!」


 何て事を言いやがる。いや、耳が痛くて何も言い返せないのだけれど。実際プー秒読みだし。


「もうプーみたいなもんだろ、ユウ兄」


 武史が笑いながらそこに乗っかってくる。悪ノリしてきやがって。


「ちげーから! くそッ、もういいから帰るぞ、絃羽!」


 このままだと俺が何を言われるかわからないので、絃羽の手を引いて歩き出した。

 彼らに背を向けた時に、少しだけ横目で後ろを見てみると……帆夏が顔を伏せ、腕で目元を覆っていた。そこに、武史がぽんと肩を乗せている。

 帆夏が流す涙には、きっと初恋への別れが混じっていて、それに対して俺は何の言葉も掛けてやれない。俺は彼女の気持ちを知っていて尚、絃羽に気持ちを告げたのだから。彼女が『小学生の時の話』だと言うなら、それに合わせてやるしかないのだ。

 昨日は帆夏を面倒臭い女だと思ったが、ただ少しだけ気持ちが先走ってしまっただけだったのだ。

 初恋や思春期ならではの嫉妬や羨望……そんなもの、誰にだってある。そして、誰だってミスを犯す。そんな時は、反省して、謝って、またやり直せばいい。

 それに、帆夏には武史がいる。自分の事をしっかりと叱ってくれる人間が傍にいるなら、道は踏み外さない。あいつがいれば、きっと大丈夫だろう。


 ──帆夏の事はお前に任せるよ、武史。


 ぐずぐずと泣いて俺の横を歩く、絃羽を眺めながら、そんな事を思うのだった。

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