最低な言葉②

「何でお兄ちゃん、そいつにばっか構うの?」

「は?」

「昔からそうだったじゃん。絃羽いとはを連れてくるまでは、あたしの事もっとちゃんと構ってくれてたのに。絃羽が来てから絃羽絃羽って……そんなにそいつが大事なの?」

「別に、そんなつもりじゃ」


 くそ、と内心舌打ちをした。

 論点をすり替えられた。俺が思っていた以上に帆夏ほのかは面倒な性格になっていた。

 俺の知る限り、これも〝めんどくさい女〟の特徴だ。自分が不利になると全く別の話題にすり替えて、あくまでも自分は被害者であろうとする。

 多分、帆夏は地頭が良いのだろう。だから不利になると、自分が有利に立てる場所に立つ。こっちはこっちで、相手の話題に付き合えば付き合うほど泥沼にハマってしまうのだ。

 だが、論点を戻そうとしたところで癇癪を起されるのが関の山である。一番面倒なタイプだ。


「住吉のおじさんが言ってたけど、お兄ちゃん最近そいつの部屋で一緒に夕飯食べてあげてるんでしょ? あたしとは二人で食事なんてしてくれないくせに……!」


 目尻に涙を溜めて、俺を睨んで言う。

 住吉のおじさんがどのおじさんかはわからないが、きっと最近桐谷家で夕食を食べにきた誰かなのだろう。面倒な事を吹き込んでくれたなと思う反面、『帆夏の初恋相手は俺だった』という事実が伸し掛かってくる。

 もしかしたら、帆夏の初恋はまだどこかに残っていて、だからこそあれだけ俺との再会を楽しみにしていたのではないか。そう考えると、俺がここに来た初日、絃羽を探しに行こうとして怒ったのも頷ける。

 俺は無意識に、帆夏を傷つけ続けていたのだ。今も、そして昔も。


「いいねー、絃羽。お兄ちゃんが来なくなってからはずっとぼっちだったのに、お兄ちゃんが来た途端また人に囲まれて」

「おい」

「ずっと一緒にいるみたいだけど、絃羽ってお兄ちゃんと付き合ってるの? 毎日送り迎えしてもらって、良い身分よね」


 帆夏が俺の制止を無視して絃羽に訊いた。


「そんなっ……付き合ってなんて、ないよ。私が、ただ遊んでもらってるだけだから」


 絃羽は怯えたように帆夏を上目で伺いつつ、言葉を選んで返答していた。

 ただ遊びたいだけじゃないんだけどな、と思うけれど、今はそれどころではない。

 こうして絃羽が帆夏に対して言葉を返していたのは初めて見た。いや、今回俺がここに来てから会話を交わしているのも初めてだ。絃羽が岬から飛び降りたあの日は、ただ帆夏が一方的に詰るだけで、絃羽は何も話していなかった。

 しかし、それでも帆夏は攻撃の手を緩めない。


「でも、お兄ちゃんの泊まってる部屋って絃羽の隣なんでしょ? 毎日ドキドキだよね。あんた昔からお兄ちゃんの事好きだったもんねー?」

「──ッ⁉」


 帆夏の言葉に、絃羽が顔をかっと赤くして、俯いた。

 ちらりと横目で絃羽を伺うと、表情は髪で隠れていてわからないが、肩を震わせていた。彼女が傷ついているのは、それだけでもよくわかった。


「図星でしょ? 好きだからずっとお兄ちゃんに構ってもらおうとしてたんでしょ?」

「おい、帆夏! お前な、いい加減にしろよ!」

「いい加減じゃない!」


 キッとこちらを向いて、俺の言葉を制する。彼女は絃羽に視線を戻して続けた。


「それで、もしかして逆夜這いとかした系? 昔と違ってもう大人だからそういうのもできるって? それでお兄ちゃんを味方にしたの?」

「そ、そんな事、するわけないッ!」


 絃羽が顔を上げて、必死に否定する。

 言いがかりもいいところだ。お風呂上りを見られるだけでも恥ずかしがる絃羽に、そんな事などできようはずもない。

 ちらりと武史たけしを見ると、彼は肩を竦めて首を横に振った。お手上げだ、と言わんばかりに溜め息を吐いている。

 きっと武史は、何度かこの帆夏を見ているのだろう。だから、こうなった帆夏が面倒だというのもわかっているし、変に言い返すと話がこじれるのも身を以て知っている。だから何も言わないのだ。


「絃羽は昔っから卑怯なのよ!」


 帆夏が怒鳴りつけるように続けた。


「何でも持ってるくせに、そうやって誰かの気を引いて自分のものにして。美紀子さんも、お兄ちゃんも、あんたばっかり! 昔っからずっとそうじゃん! ほんとうざいッ」


 それは言い過ぎだろう、と思って帆夏を怒鳴ろうと思った時だ。


「何でも持ってるって……何?」


 絃羽が、これまでの申し訳なさそうな声色とは打って変わって、静かに問い返した。

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