BMI/C
滝神淡
第1話
電子機器が立ち並ぶ中の一角にある会議用テーブル。
昼白色に照らされた室内。
採光用の窓は無く、天井には換気口。
落ち着いた空調、これといった臭いの無い空間。
良く言えば保たれた、悪く言えば無機質な場所だ。
テーブルに対面で座る二人の男。
一人は僕。もう一人は……
「ゲームを始めよう」
落ち着いた壮年の声。
M字型でグレーの頭部。目が大きくラグビーボール型の顔。
僕は口を引き結び、テーブルの下で手をグーパーと動かす。首の裏が強張っている。
目の前の男は左腕をテーブルに載せ、企業の採用面接でもするような調子だ。
「ルールは分かるね?」
傍にあるディスプレイには10月28日19時05分が映し出されている。
「ええ」
猛獣の檻に入るような激しい緊張。
最初のお題が発表された。
「Aさんから読み出した情報とBさんから読み出した情報をミックスしてCさんを作り出した……これは出産と言えるか?」
冷気が肌をさわさわと這い回るのを感じた。産毛が一本一本逆立っていく。
これは……猛獣の檻すら生ぬるい。
ゲームのルールその1、いいかげんな回答をしてはならない。
同僚の
10月21日、新千歳空港。
ステンドグラスの時計は13時08分を示していた。
行き交う人はぽつぽつ。
多くの人が北海道の味覚を堪能中なのかもしれない。
昼食を意識した途端、スーツケースの取っ手の感触が気になり始めた。
「これは絶対だ。情報を得たいのなら」
調塑は彫りが深く、鼻頭が長い。表情は硬く、声はクールだ。
僕が担当する案件の前任者である。
「そんなのさ、普通にお喋りするんじゃ駄目なの?」
僕らは刑事のように専門家ではないが、犯人の口を割らせる話術は一通り学んでいる。それだけでは足りないのだろうか。
「本人はどうか知らんが、満実の方は見分けてくる。上っ面では駄目だ」
この話はまだ信じ難く靄が巻いている。空港に着き調塑から案件の引継ぎを受けたが、それはUFOの乗船談を聞かされた気分だった。
犯人は
通常、こんな案件は結論欄に『満実との関係性は認められず』と書き上司に提出して終了だ。
仮に関係があったとしても現役の大臣相手に下手なことは書けない。
それなのに、調塑の結論は『逮捕相当』だった。
調塑は寡黙に業務をこなすタイプで、普段奇抜なことは全然言わない。
その彼からさきほど聞かされたのは……
遠藤と満実に面識は無い。しかし遠藤は満実でもある。
遠藤はBMIによって満実に上書きされた。
満実の記憶に従い遠藤は犯行に及んだ。
国昌はBMI研究者の一人で、満実と確執があった。遠藤と面識は無し。
もう最初の一行目から僕は混乱を極めたものだ。
『遠藤は満実でもある』……
BMIとはBrain-machine Interfaceの略である。
脳とコンピュータで情報のやり取りをする技術だ。
次世代型サポートマシン法が今年施行され、全国民にマイクロマシン手術が施された。
アニメの世界では脳を機械に置換するSFがあるが、現実がその領域に近付いてきたのだ。
ただ、現段階では記憶の補助くらいしかできない。
この、記憶の補助しかできないはずのBMIで、遠藤は脳を上書きされ、満実になった。
脳の上書きは満実が秘密裏に進めた研究で、国昌はそれに参加した内の一人。
国昌は途中で研究に恐怖を覚え、うちの子だけはBMI手術の対象から外してくれと満実に懇願。
満実は例外を認めないとしたところ国昌はメディアに告発すると迫った。そして……
さて。
これを遠藤から聴取しましたとだけ言われたら誰にも相手にされないだろう。
確証が取れないだけでなく変人扱いされて終わりだ。
問題はここからだ。
全然別の事件が宮崎県で起きていたのだが、調塑はこれも聴取に行った。
犯人は
遠藤と兼咲に面識は無い。
警察は二人に面識があると見てネット上で接点が無いか徹底的に洗った。
しかし全く接触の痕跡が見付けられなかった。
もう完全にホラーの域に達している。
空港の出口へ向かう。
スーツケースのガラガラ音。
時々聴こえるアナウンス。
「まだ隠していることはありそう?」
「奴は謎をエサにお喋りを楽しむ。それが奴にとってのゲームなんだそうだ」
念のため調塑の横顔を確認したが、異常性は見られない。
知能犯に操られている風でも、与太話を信じ切っている風でもない。
苦渋を奥底に押し込めている感じだった。
それから空港を出るまで無言だった。
外では雪が舞っていた。
きちんと裏取りして確信を持ったのだろう。
別れ際に差し出された手帳を見て、そう思った。
紙が波打ち膨らんだ手帳。
何か食べたいと思ったが一緒に食べる仲ではない。
かといって、無関係でもない……
調塑の右腕には包帯が巻かれている。
それは僕の娘を庇って負った傷。
遠藤の犯行を目撃した僕の娘がその場で襲われた。それを助けたのが彼なのだ。
調塑は怪我の大事を取るという理由で案件を解任された。
僕は彼の怪我の分は義理を返さないといけない、と思う。
でも……
手帳の黒革を次々と雪粒が滑っていく。少しずつ欠片が溜まっていく。
頬が冷たくなってくる。
雪は雨と違い、静かだ。
静かに寒さが体の奥へ浸透していく。
受け取った手帳はまるで形見だ。そっと扱わざるをえない。
『逮捕相当』……そう書けば僕も解任されることになる。
どうすれば良いのだろう。
せっかく北海道まで来たのに厄介な知恵の輪を渡されてしまった。
互いに片手を上げ、別々の方向へ。
まだ10月だというのに雪の降り方が強い。初雪くらいの時期なのに。
実家へ向かい荷物を置き、娘の無事を確認したら、その足で警察署へ向かった。
拘留中の遠藤に会うためだ。
地元の警察はかなり神経を尖らせていた。マスコミに見付かりたくないとの理由で巡回中のパトカーに拾ってもらい、職員専用口から入った。満実の名前はマスコミに流れてないから大丈夫だと思うんだけど。ずいぶん厳重ですねと言ったら、パトカーで送ってくれた巡査が「なんせ田舎ですから!」と自虐ネタをかましてくれた。同郷ネタで懐に入ろうとしていたのに、これでは言い出せない……
実際に遠藤に会ってみた感想は『似合わなすぎ』。
取調室で対面した男は目が細くしもぶくれで、顔の両サイドから口元まで髭が繁茂している。失礼だがこの見た目で知性がある人にはお目にかかったことが無い。
しかし喋り出すとこれがまた仰天もので。
「担当が変わったのかね? 前の担当は割と気に入っていたんだが」
「前の担当は怪我の具合が芳しくないため休養になりました。あなたが負わせた怪我で」
「そうなのか。それは悪いことをした…………いや、おかしいな……彼は私に怪我をさせられたために担当になったと言っていたぞ?」
要らないことに気付く。しかも速攻で。
「君は飛行機に乗ってきた。知っているか? 時速1千キロメートルのジェット機に乗っていると時間の遅れは1秒あたり1兆分の1秒。羽田から新千歳空港だろう? 1時間半くらいか? すると……100億分の54秒くらい、君の時間は遅れたことになる。まだまだ1秒にはほど遠い時間だがね。君は相対性理論に興味はあるかね?」
聞いただけで頭痛がするようなことを楽しそうに話す。
遠藤の家宅捜索結果を見ると、志向性はヒップホップ、スケボー、風俗、アイドル……科学のかの字も無い。
「まさか取調室で東大の問題をやることになるとは思わなかったよ。今はもう昔みたいにはできない。当時は随分頑張ったものだがね」
調塑は東大入試の問題を抜粋して解かせてみたらしい。
結果を見ると、本人が言うようにそこそこの点数でしかなかったが、問題用紙を読んでみたら僕はその点数すら取れる自信が無かった。
遠藤の履歴にはマンモス校の、楽に入れる大学名が書かれていた。
満実の経歴は東大卒で経産省入省、それから渡米し軍需関連企業に五年在籍した後帰国、衆院議員に。長年与党で活動し、去年経産大臣になった。遠藤は満実の小学校からの全ての経歴を諳んじ、満実の妻子の名前、満実の学生時代からの友人の名前まで言い当てた。
遠藤の交友関係の調査結果では、今の総理の名前を答えられる友人が一人もいないし選挙も行ったことがないと口を揃えている。これでは満実に興味を持ちようが無い。
僕は資料を雑に置いた。
データと現物が違い過ぎる。
なんなんだこれ。
『遠藤は満実でもある』…………
隣でメモと睨めっこしている相棒と顔を見合わせる。
相棒はオリヴァーというCIA職員だ。
何故彼がこの案件に付けられたのか上司は説明してくれていない。
調塑も何故かは知らないと言っていた。
まあ僕達はやれと言われればやるし、上層部の詮索はタブーだ。
オリヴァーがそれとなくメモを見せてきた。
『嘘だとすれば簡単に破れる嘘ではない』
そうだよなあ。
僕も疑ってかかってはいるものの、疑う余地が一つ一つ潰れていく感触しか得られない。
あれ、ここおかしいな? みたいなちょっとした違和感すら出てこないのだ。
あー知恵の輪、知恵の輪。
まあこの辺のやり取りは警察も調塑もやったはずだ。
これ以上のことを知りたければ相手の土俵に上がるしかない。
半信半疑だが、僕はゲームとやらに挑むことにした。
「ゲームは単純だよ。私はお題を出す。君は可能な限り考えて回答を出す。私が満足できれば君の知りたいことを教える」
本当に単純だ。
ゲームとも言えないくらい。
では軽く探るところから……
「あなたが刺殺したのは何人ですか?」
細かな動きも見逃さないよう目の前の男を観察する。これにはプレッシャーの意味もある。
「そうだなぁ……」
遠藤はしばし顎を弄って、それからお題を出した。
「吸血鬼は何のために創作されたと思う?」
取調室を漂うのは和やかな空気。
しかしその中に紛れ、冷たく攻撃的な空気がヒュッと頬を掠めた。
僕はしばらくお地蔵さんになるしかなかった。
遠藤の観察どころではない。
一問目から、何だよおい……、ちょっとアイマスク着けて国道を横切ってみてくれない? みたいな。そんなレベル。
「クリアできれば何人かを答えよう。ルールを言っておくが……」
ルールその1は事前に聞いていた通り、いいかげんに答えてはならないというものだった。
その2以降もあったがその1とさして変わらない。
ネット検索はダメ。
質問可だけど丸ごと訊くのはダメ。
一言で言えば真面目にやれよってこと。
僕は僕に優しいゲームが好きなんだけどなあ。
何も考えず、楽にできて、それなりに気持ちよくなれるやつ。
無言の時間。
遠藤は言葉に詰まる僕をじっと観察している。
やられた。
観察するのは僕の方だったはずなのに。
焦りといらつきを握り締める。
くそっ……
僕はこの案件をなめていたようだ。
ネクタイの結び目を整える。
仕切り直しだ……!
意気込み新たに頭をフル回転。
すらすらと回答が。
回答が……
出ない。
だいたい問題が難し過ぎるんだよ。
吸血鬼なんてのはいつ頃発祥なのか知らないし、当時の人々はどんな暮らしをしていたとか、当時の世界情勢はどうだったとか、などなど、歴史や考古学の観点が求められる。日本の例だと天岩戸のお話は皆既日食を表したものなんじゃないかっていう話とかね。
回答を出すまで僕は七転八倒する羽目になった。
5分。
10分。
ひたすら重苦しい時間が流れた。
話を組み立てては直し、組み立てては直し、ぐちゃぐちゃになったのでいったん壊して一から作り上げる。
そんなことを何回もやった。
そうして出来上がった回答も自信はまるで無かった。
しかしこれ以上はもう耐えられないため回答に踏み切った。
「僕は昔の人が鉄分不足で貧血になりやすかったんじゃないかと仮定しました。貴族が奴隷から血を集めて飲んでいたんじゃないですかね? そんな光景が、民衆からは化物に見えたとか、で、……どうでしょうか……」
いやはっきり言えば、詳しい人が聞けば何言ってんだってなると思う。
自分だって何言ってんだって思うくらいだし。
でも分からないものは分からないのだ。
分からないなりに知恵を絞って何か言うしかなかった。
これじゃあ一問目は落としてしまっただろうな……
しかし意外にも、奴は気に入ったようだった。
「面白いじゃないか。吸血鬼に貴族のイメージが付与されるきっかけが何かしらあったんじゃないかと着眼した所が良い」
こちらはそんなこと意識していなかったけれど、漠然とイメージから想像を膨らませたらそうなった。まさかそれをお気に召すとは……何たるラッキー。
「君の問いに答えよう。二人だ。この遠藤という者に限って言えば一人だが」
ちゃんと報酬も支払われた。
あっけないくらいに。
僕は頭を使い過ぎたことと安堵で、深い息を吐いた。
このハードな脳トレは滝汗で溺れさせたかと思えば、次は跨いで通れるほど低いハードルを差し出してくる……そんな落差の激しいゲームだった。
「気配とは何だ?」
「君の考える最高のお茶漬けは?」
「君の右目は人格形成にどう影響した?」
お題は多岐に渡り、全く予想していない角度から仕掛けてくる。
暗中模索。
僕は必死に手がかりを探し彷徨った。
しかし鈍足であっても進み続けた。
訊きたいことは山ほどあった。
満実しか知りえない情報。
遠藤が満実だと仮定した場合のあれこれ。
調塑が既に聞いた内容の再確認。
話してみて分かったのは、正解を求めているわけではないこと。
というか、完全な答えが出るようなお題は出されなかった。
あくまでも思考の過程を見て楽しんでいるようだった。
もう一つ、これだけは試しておこうと思っていたものがあった。
途中で、いいかげんな回答をしてみたのだ。
いったいどんな反応を見せるのか、確認しておきたかった。
『残念だよ』
そう言ってその時出されていたお題は終了。
もっと厳しい罰則、例えばその日はもう口をきいてくれないとか、そういうレベルのを想像していたんだけど。
あっけなかった。
四十分も話したらくたくたになってしまった。
それでも食らいついていけたのは、義務と意地が燃えたからだ、特に後者の方。僕は大したことない人間だが、大したことない人間だと他人に思われるのは嫌だ、そういう性格だ。
終わり際。
僕が帰り支度をしているところへ遠藤が話かけてきた。
「随分楽しめたよ。食らいついてくるのが大変そうだったがね」
「もう少しお手柔らかにお願いしたいものですが」
とはいえ、黙秘を貫こうとする奴やすぐキレて会話にならない奴よりは全然良かったかもしれない。
話が通じるって素晴らしい。
コートも持ったし鞄も持った。忘れ物無し。
さてこの後どう動くか……そんなことを考えながら出口に向かう。
「子供は小さいか?」
ドアノブを捻ったところで呼び止められたため、僕は振り向く格好になった。
僕が出ていくその瞬間までお喋りが止まらないとは、本当にお喋り好きな奴だ。
「ああ、はい」
「じゃあ、急いだ方が良いぞ」
「え、何でですか……?」
「子供もこの体みたいになる」
ドクン、と内側の深い所から大きな音が聴こえた。
何かの種が発芽したのだ、と思う。
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