第32話 2005/3
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[さくらの想い出]
前回の続き。
それはまだ、昭和の頃のオハナシ。
少年だった僕は、静岡に住んでおり.....
時々、父に連れられて東京の親戚へ往復したり
または、ひとりであちこち旅する子供でした。
我が家は国鉄一家で、祖父、叔父と車掌職を代々受け継いでおり
僕もいつかは、と将来を約束されていた少年でした。
ある時、東京ゆき153系「東海1号」に乗り遅れて僕らは
思わず、後続に来た「さくら」20系(長崎・佐世保-東京)に飛び乗りました。
当時は「東海」と「さくら」は静岡県内では雁行ダイアでした。
今と違ってダイアものどかなもので、あまり本数も多くはない状況でした。
20系に飛び乗った僕らは、座席車が無い事は承知していたので
(立席制度もありませんでした...これは、先日までも同じですが)。
食堂車に向かいました。
デッキのところで車掌が通りかかり、僕らが飛び乗ったのを見て乗車券の提示を求めました。
当然、乗車券しか持っていなかったので、補充券を、と求めたところ
寝台なので、料金が高いから熱海で降りて新幹線で行った方が良い、という案内を車掌は
物腰柔らかに言いました。
僕は、このまま乗っていたかったので父に頼みました。
父は、車掌に伝えます。
この子は鉄道が大好きで、いつかは車掌になると決めている子なので
今回は社会見学のつもりで、このまま乗せてやる事はできませんか、と
車掌は、その様子を見ていて微笑み、こう言います。
寝台の使用時間も過ぎていますし、本日は満席ですから
それでは、食堂車でも居て下さい。
と、寝台券も発行せずに行ってしまいました。
今よりもダイアはのんびりとしていたようで、食堂車も揺れはすくなく思いました。
列車は丹那トンネルをくぐり、湘南の海岸をしなやかに駆け抜けます。
EF65は、時々甲高い空気笛の音を響かせながら牽引しています。
僕は
コーンクリームスープのクルトンをスプーンで追いながら車窓を眺めていました。
20系の食堂車は、後のニュー・ブルートレインのそれよりも豪華な印象があり
清潔そうな内装で天井は高く、サービスもホテル並みのように思えました。
-----つづく-----------
[あとがき]
「さくら」最終列車長崎発車時、蛍の光が流れ、ホームの職員、保線職員一同敬礼の中
長いタイフォンを鳴らしED76は最後の列車を率いていったそうです。
見送り客には、過去を懐かしみ涙する人々の姿もあった、との事で....
私もTVでこの映像を見、涙なくしては語れない心境であります。
ありがとう、「さくら」号。
「さくら」と言う列車愛称は、後のリニア・モーターカーに使用される予定、との事ですが
「つばめ」が九州新幹線で残ったように、どのような形であっても栄光の歴史が
語り継がれ、受け継がれる為に列車名を残してほしいと私は思います。
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