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1 壱 ~ 里帰り ~
そうして現在。地球へ戻ってきてから約一ヶ月目の朝。久しぶりに家族全員で朝食を食べ、父と妹を職場へ見送った自分は、大いに暇を持て余している。
各種面倒な手続きを終えた後、会社へ顔を出して翌日から出勤できる旨を伝えたが、部長の気遣いにより、思い切り休めと言われてしまったためだ。それならばと、溜まっていた二十日分の有休を申請したのだが、どうせならひと月休めと社長から更に十日追加されてしまった。こうして、計三十日に及ぶ休みを半ば押し付けられるようにして手に入れる事になり、学生の夏休みのような日数をどう消費してやろうか、という贅沢な悩みを抱えてしまっているのだ。
昔はよくつるんでいた友人知人連中も、今ではほとんどが家庭を持っており、一緒に遊ぶ機会もめっきり減ってしまっている。そうなると、必然的に仕事以外で外出するような事も少なくなり、休日は家にいることが多くなる。そんなところへ急に休みをもらってしまうと、非常に困ってしまうのだ。暇ができたところで用事が湧いて出る筈もなく、
今日も朝食を食べた後、相も変わらず横になって老猫のコガネザワ君を構っていたとき、夏休み中の姪が慌てた様子で二階から降りて来た。茶の間へやってきた姪は、洗い物をしている母から「もう少し静かに階段を降りなさい」と叱責されるが、「だってー」などと言いつつ自分の元へ来ると、小声で囁いてくる。
「ねぇ晴ちゃん。なんか晴ちゃんの部屋から音がするんだけど、戸を開けても誰も居ないんだよ~。なんか怖いからちょっと見てくれないかな?」
彼女の言葉を聞いて、自分はとても嫌な予感がしたので、一言「分かった」と返し二階の自室へ向かう。怖いもの見たさなのか、後ろから姪が付いて来ていたので、万が一を考えて室内を見せない様にカバーしつつ、部屋の引き戸を二センチほど開けて中を覗いた。しかし、部屋の中は特に変わった様子もなかったので、軽くため息をつきながらさらに引き戸を開く。すると、戸の陰で見えなかったが、そこには一匹の猫が居てこちらをじっと見上げていた。どうやら音の正体はチビだったようだ。自分の承認がなければ、ここへは来られないはずのこの子が、どういう訳か室内に居る……。
「どしたの? 何かあった?」
控えめなトーンの声に振り返ると、半歩ほど後ろにいた姪が、恐々といった感じで不安な眼差しを向けている。
「いや、何もないよ。窓が開いてたから風か何かの音だったんじゃないかな」
あからさまな笑顔と共にそう返事を返す。そして、不自然に体をねじ込むようにして狭い隙間から部屋に入り、後ろ手に引き戸を閉めると、チビを抱き上げてベッドに座った。
「何でお前がここにいるんだよ。どうやって来たんだい?」
「えへへ。ネコにはネコようのヒミツのぬけみちがあるんだよはるちゃん。ネコはいつもこうやって、はるちゃんのそばとむこうをいったりきたりしていたの」
AIたちのインターフェースボディと同様に、チビの体も精巧な猫の生体レプリカボディでできている。そのため、搭載されている様々な機能を駆使し、独自の超空間リンクを形成して、
「えぇ~。いやぁでもなぁ……。チビは死んだことになってるし。新たに受け入れても良いんだけど――チビも行き来するとちょいちょい居なくなるだろう? 不審に思われないかね?」
賢いチビの事だから、コガネザワ君ともきっと上手くやって行けるだろう。けれど、家族の目を欺いて二重生活を送るのは、少し難しいのではと思われた。だが、何やらチビは自信ありげな様子なので、何か策があるのかと聞いてみる。
「だいじょうぶだよはるちゃん。ネコにはかげむしゃがいるから」
チビはそう言うと、膝の上からベッドの上に移動する。
するとチビの体が一瞬ブレた様に歪み、同時に二体へ分裂した。驚いた自分は一瞬固まってしまったが、気を取り直して増えた方のチビに触れてみる。それは本物と差異のない、撫で慣れたもふもふな普通の猫の感触だった。
「ほほ~凄いな。こんな事もできるのか……。増殖バグかと思ったぞ」
「えへへ。ネコにはもっといろいろできることがあるけれど、それはまだひみつね」
自慢げにそう言うと、全く同じ仕草でしっぽを振っている影武者を格納して、チビは再び膝の上に乗って来る。まぁこれならば、鼻の赤いロボットを残して活躍するヒーローのように上手く偽装できるだろうし、飼い猫の一頭が二頭に増えた所で負担になる事も無いだろう。何より、何でもできるチビがいれば、自分が留守の間でも心強いだろうと思い、ゴロゴロと喉を鳴らす彼女を肩に乗せて、早速部屋を出て階下へ降りた。
「あらぁ~? はる、アンタその猫どうしたのよ?」
「ええっ? 猫?」
「にゃ~」
階段を降りてキッチンを抜ける所で、母が肩の上のチビに気づいて素っ頓狂な声を上げる。その声に釣られた姪がこちらを振り向き、肩の上にいるチビの姿を見て目を丸くする。
チビはそれらに応えるように、「にゃ~にゃ~」と肩の上で鳴きはじめた。すると、チビの声にコガネザワ君が反応し、一瞬振り返ったかと思うと猛ダッシュした。勢いを保ったまま、猫特有の身軽さで素早くキャットタワーに駆け上り、「フーッ」という威嚇の声を上げる。見知らぬ猫の姿を見て、荒ぶっているコガネザワ君の元へゆっくりと近付き、対応をチビに任せると、何事もなかったかのようにごく普通の猫挨拶を交わす。そうしてチビはあっという間にコガネザワ君の警戒を解き、まるで旧知の仲のように、二匹の猫はタワーの上に収まった。
「あらま~。不思議な猫ねぇ。すぐ仲良くなっちゃった。なあにこれ? それにチビとそっくりねぇ」
「うん。似てるでしょ? 俺ももうチビって名前つけたから、二代目チビだね」
「チビってわたしが幼稚園の頃死んじゃった子だよね? あ、さっきの音のはその子?」
「そうそう。隠してて悪いな。実は昨日買い物に出たとき拾ってきてたんだよ」
当時は幼かった姪も、チビの事をちゃんと覚えていて、ペット霊園に埋葬した時の事を話していた。そういえば、チビは火葬された時どうしたんだろう。遺灰にはきちんと猫の骨が残っていたし……。別途生成した猫の肉体でも用意したのだろうか。
母と姪は昔の思い出を話しながら、タワー上で仲良く香箱(こうばこ)座りになっている二匹の猫を撫でていた。大人しい二匹はともに目を閉じて、ふたりのされるがままになっている。
「そしたら餌箱とかトイレとかどうしよう?」
母は、チビが昔使っていたキャットボウルがあったはずと、キッチンの収納を開けて奥の方をごそごそし始めた。トイレに関しては、今あるコガネザワ君と共用できるはずだと母に伝えると、それに答えるようにチビが「にゃ~」と鳴く。トイレを目撃される事はあまり無いと思うけど、エサは食べていないと不審がられるだろうし、ボウルだけでも用意はしておきたい。そう思った矢先、収納の奥の方から先代チビのボウルが無事発掘されたようだ。
何が凄いって、自分は一言も「飼って良いか?」とも聞いていないのに、母と姪はすっかり家族の一員として受け入れてしまっている事だろう。それは父や妹も同じだろうし、帰宅すれば何事も無かったように受け入れてしまうはずだ。あっちの家族たちもそうだが、堤の家族たちも大概緩い。そんな緩さに救われて、自分はまた少しだけ目頭が熱くなってしまう。
◆ ◆ ◆ ◆
チビの受け入れも恙(つつが)なく済んだようなので、再び自室へと向かう。ベッドの上に投げ出してあった蛍光カラーのショルダーバッグを引っ掴み、接続先を確認しつつ今入ってきた引き戸を再度開く。扉の向こうはすぐ上品な和室となっていて、部屋の中央に据え付けられたこたつでは、数人の女子たちが座布団や座椅子へ着いて蜜柑などを食べていた。
「ただいま」
「おかえりなさ~いはる様~」
「ただいま~リエ~。元気してたか~? 相変わらずちっちゃいな~。って数日で成長してたらそれはそれでびっくりだけど」
真っ先にこたつを飛び出して、体当たりのように抱き着いて来たのはリエだった。彼女はこの惑星の保守管理を担うAIで、姉妹の中では次女に当たる。外見は九歳から十歳ほどの女の子に見えるが、見た目にそぐわず有事の際には優れた判断力を発揮し、極めて冷静に対処をする能力を持つ。聞き分けは良いし、これまで我が儘らしい我が儘も言った事が無いという、子供らしからぬ一面もあったりする。しかし、食べ物はよくこぼしていたりするので、結局は子供っぽい。そして、AI姉妹の中では飛び抜けた怪力を持つという肉体派だったりと、色々ギャップが凄い。
熱烈歓迎と言った感じで、ぴょんぴょん跳ねているリエを抱き上げて、頭に頬ずりをしていると、今度は矢絣の着物を着た子が寄ってきた。
「晴一くん。もっと小まめに帰って来れませんの? 二週に一度では寂しいですわよ!」
「ああ、うん。仕方ないんだよ。俺の都合だけじゃ世の中生きてけないし。そこはかんべんしてくれよう」
どこぞのお嬢様のように女性語を話すこの娘は、惑星全てのエネルギーを司る動力制御AIのランである。乙女チックな三女に当たる彼女は、何かと物事を色恋沙汰に捉える傾向があったりなかったりと落ち着きがない。そういった意識は無駄に強いのだが、こちらが攻めに転じた場合は、羞恥に駆られてしおらしくなってしまうという乙女な弱点がありをりはべりいまそかり。
見た目とは裏腹に中身は意外と子供なので、つまらない事で拗ねてしまいがちだが、根はとても優しい良い子だ。感情の起伏という意味では、長姉の影響を最も受けている彼女かも知れないが、体型は最もかけ離れていると言えるだろう。特に胸とか。
「晴兄がいないとホントに暇なんだよね~。まーいても暇なんだけど。あはは~」
「たまにはゲーセンでも行けばいいんじゃないか? サクラならはまるタイトルも多そうだけど?」
そう声を掛けてきたのは、蜜柑の
彼女は、要塞惑星の防衛と攻撃能力を司る兵站AIのサクラである。自身の存在を“暴力”と宣(のたま)うサクラだが、彼女の言う通り、個体としての戦闘力は極めて高い。本気になれば担当区画に格納されている各種兵装を展開し、敵対者を塵一つ残さず殲滅できるらしい。まだ見た事ないからホントの所は分からないし、そんな場面には遭遇したくないけれど。
彼女は自分の近接格闘術の師範でもあり、暇を見てはふたりで組手などの手合わせをしてもらっている。姉妹の中では、二番目に胸が大きい上に胸元を大きく開けた着こなしをした挙句、臍まで出しているため、私的にはもう少し恥じらいを持って欲しいと思っている。さらに言うと、程よく日焼けしたきれいな褐色肌のため、三割り増しくらいエッ――健康的に見える。
「おかえりなさい晴一。お土産は無いの? お菓子とか。またはお菓子とか」
「おうただいま。今回の土産で食べ物は――ええと、ずんだ餅と、ちょっとお高いサツマイモと、あと落花生とか人形焼とか……? 他には鴨サブレーと九万石饅頭を買って来た。見事に地域バラバラだけどな」
外見はリエよりもちょっと大きいくらいだが、この体形の元となった子は十二歳という年齢である。但し、それも百八十年も前の人間であるため、現代っ子の平均より色々と小さい。
この子の名前はユカリ。以前はこの要塞惑星の中枢を担う、統括管理AIだった。思いがけない出来事からその任を離れる事となり、ある人間の少女と脳機能を共有して、現在のインターフェースボディを遠隔操作している。AI姉妹の中で長女に当たる存在の彼女は、沸点が低く意地っ張りで見た目と同様に子供っぽい。しかし、妹たちと真剣に向き合う時はそんな子供っぽさは消え失せ、どこからともなく引っ張り出されてくる謎の姉の威厳は本物だ。普段の彼女からは想像できないその変貌ぶりを初めて目の当たりにしたときは、大層驚いたものだった。
高い分析能力と発想の豊かさがあるので、長女と言うポジション通りリーダー的な存在になれそうなのだが、少し残念な部分もあるため、オブザーバー的な補佐役が妥当だろうか。
この惑星で、初めて独自の自我を発現させたAIであり、姉妹たちの源流でもあるユカリは、少々強情なところはあるが、優しい心の持ち主だ。
「堤さんがいないと、ここも静かになりますね。皆思考リンク上で意志の疎通を行うようになってしまうので、実際に言葉を交わす機会も減りますし、生活も味気ないものになりがちです」
一見すると委員長のような見た目をした女の子が、端の方から苦言を呈す。
「そっか。合理的過ぎるのも問題だな~。仮にそれで皆の人間味が損なわれたりしたら、俺は物凄く悲しいぞ」
自分はメイの発した苦言に応え、苦笑を向けた。
姉妹の中で唯一黒髪を湛えており、非常に大人しい印象をしているメイ。彼女は様々な情報管理と解析を担当するAIで、その中学生のような外見からは非常にクールな印象を受けるが、単純に口数が少ないだけだったりする。しかし、彼女の持つ高い分析能力を生かした情報伝達力は絶妙で、相手の理解度を深めるための補足説明や解説がとても上手い。機械的な話で例えるならば、誤り検出訂正とでも言おうか。方法は分からないが、話し相手に正確な情報が伝わっているかを厳密に判断して、的確に理解できるよう努めているというか。とにかく何事に関しても彼女の話は聞きやすく、非常に分かりやすいのだ。もしメイのような教師が居たとしたら、彼女が担当する教科では、赤点を取る生徒など一人も出ないのではないだろうか。ただ、少々引っ込み思案な性格故に、自ら率先して口を開く機会は多く無いため、こちらから声を掛けなければいけない事もままある。
彼女についてユカリは、「俯瞰に拘るあまり、気を回し過ぎるきらいがあるのが難点ね」と言っていた。
襖を閉めてこたつに入り、ショルダーバッグの収納スペースを空中に展開して、持ってきたお土産を天板の上へ広げる。この収納スペースは、ユカリセットの物と共通となっていて、実際のスペースは格納区画の方に割り当てがあるため、色んなものを大量に詰め込むことができる。以前聞いたユカリの説明によれば、日本列島を丸ごと収納する事も可能らしい。
こたつの上に取り出された土産物をすかさずユカリが走査して、全ての品を情報化し、社の記憶領域へ保存する。自分は他の土産物も配りたいと思い、姿の見えない四人のことをたずねると、今は厨房に籠っているところだそうだ。また何か新しい献立の研究でもしているのだろうか。
「面倒事は片付いたようだけど、実家の方は大丈夫なの?」
土産の中からずんだ餅を取り出したユカリは、そう言いつつ餅を一つ口に放り込み、コンソールに視線を向ける。そこそこ大きい餅なのだが、一口で頬張っても大丈夫だろうか。
「ああ。もう心配ないよ。な~んも問題ない」
彼女のコンソールに表示されている文字は、相変わらずユカリセットがなければ読めず、いい加減不便に感じていた。そこで丁度良い機会だと思い、ずっと考えていた事をユカリに相談してみることにする。
「ところでユカリ。忙しいところ悪いんだが、俺にもナノマシンを適用してくれないか?」
「ん~? ……えっ!?」
一旦は生返事を返したユカリだったが、言葉の内容を理解した途端に顔を上げ、目を丸くしてこちらを凝視してくる。そんな彼女の口の端には、緑色をした枝豆の破片が付いていたので、卓上のティッシュで拭ってやった。
「本気で言ってるの……? って聞くまでも無いようね。そういう顔してるし」
彼女の言うように、今自分は真剣に話を切り出している。要塞惑星が稼働状態に入ったことでもあるし、権限の譲渡を受けた以上、もうナノマシンの適用を受けても問題ないはずだ。
「今までは認証の妨げになるって話だったから俺も望まなかったけれど、これからトモエの依頼をこなして行く上でこの処置は必ず必要になると思ってたんだ。それに俺がもう少しマシになれば、皆の足を引っ張らないで済むはずだし……」
今までずっと抱えてきた自身の不甲斐なさを、ついでとばかりにユカリへ吐き出す。
比較的安全が確保されていた以前の要塞惑星の中でさえ、皆がいなければ自分などとっくに死んでいただろう。仮に、今後自律兵器群などと対峙する事になった場合、こんな状態のままじゃ足手まといになるのは目に見えている。何より、ナノマシンを用いた内側からの機能強化が行えれば、ユカリセットの能力を上限まで引き出すことが可能になるだろう。
「そうねぇ。晴一の言う事はもっともだと思うし、異論はないわ。むしろ私の方からも何時かは頼まなきゃいけないと思っていたくらいだったし……。それと勘違いしているようだけれど、晴一が足手まといだったことなんて一度も無いわよ。あなたは自己評価が低すぎるって、もう何度も言ってるでしょ?」
「そう言ってくれるのは有難いんだが、俺が力不足なのは事実だし。それにこれは必ず念頭に置いとかなきゃならん事でもあるしな。でもナノマシン適用については賛成なんだな。ありがとう」
礼を言って頭を下げると、ユカリは「何頭なんて下げてるのよ」とあたふたしていた。自分的にはそのくらい感謝する気持ちがあるので、頭も下げようという物なのだが。
「はぁ……。まぁいいわ。じゃあ手出して」
「あ、うん。早速だな」
ユカリは着物の胸を緩め、突き出した自分の手を取って鳩尾付近へ誘導する。その意外な動きを見て咄嗟に手を引こうとしたが、顔の赤いユカリが「いいから!」というので、大人しく従うことにした。言われるがまま手のひらを広げて胸に密着させると、ユカリは両手をその上に重ねて目を伏せる。伝わってくるユカリの体温と、やわらかい肌の感触に緊張して手が汗ばむのを感じた時、手を当てているユカリの胸部周辺がわずかに光り、同時に手には砂に触れているようなざらついた感触が生じた。やがてユカリは手を胸から離し、着物を直しながら話を続ける。
「これでナノマシンの移植は済んだわよ。今後晴一はこの惑星が存在する限り、私たちと同様に自然死する事もなくなったわ。それと肉体年齢も任意に制御できるから、足したり引いたり自由自在よ」
「おお~マジか~。ありがとうユカリ。よし。これで俺もめでたく人間じゃなくなったってことだな」
完全に人間からかけ離れてしまった体を憂うような気持ちで、あちこち見まわしていると、ユカリがさらに続ける。
「まったくそんな事はないわ。晴一もヨリと同じく人間よ。圧倒的に人間離れはしているけど、機能的な部分は何一つ変わらないし、遺伝子レベルでも人間のままよ。ナノマシンが不活性化したら、その時点で普通の人間に戻るし」
「あれ? ナノマシンを適用すると遺伝情報って変わっちゃうんじゃないの?」
以前聞いた中村氏の話でそんな事を言っていたはずだが……。と、そこまで考えた所で、トモエの顔が目に浮かぶ。
「資料全部読んでないのね? ならいい機会だからテストも兼ねて、データを取得してみるといいわ」
そうユカリに言われたので、自分はヘルメットのインターフェースを使用するように、HUDを呼び出してみる。すると、視界内や五感とは別の感覚として様々な情報が一挙に脳内へ殺到し、反射的に目をつむってしまった。しかし目を閉じれば閉じたで、今度は暗闇だった視界が俯瞰に変わり、社システム経由の環境情報などがまた大量になだれ込んできた。これにはさすがに耐えられなくなり、自分は前屈みに体勢を崩して、座ったまま床へ両手をついてしまう。
「ちょっと、晴一くん大丈夫ですの?」
そばで成り行きを見守っていたランが、自分の様子を見かねて体を支えてくれた。
「ああ。大丈夫だよ。ありがとう」
やっと開けた薄目でランを見て無事を伝えるが、全く無事には見えない様子に、彼女は
数秒程意識が定まらなかったようだが、気づくとユカリが背後へ移動していて、自分の体をゆっくりと引き倒し、頭をそろえた脚の上に置いた。
「初めは難しいでしょう? 私が誘導するから、それで感覚に慣れるといいわ」
両手で自分の頬を覆ったユカリが、接触通信で手ほどきをしてくれる。最初は一つの情報に絞って、意識を向けるように操作をすれば上手く行くと、穏やかな口調で彼女は言い、操作感覚の共有を行いながら的確なアドバイスをくれた。指示通りに操作を進めていくと、コツのようなものが徐々に掴めて来たので、余裕ができた自分は軽く応用を挟んでいろいろ試してみる。
『あら。意外と慣れるのが早いわね』
『そうかね。まあテレビゲーム世代なもんで、こういうのは割と得意ではあるけれど』
そうして暫くの間思考リンクでやり取りを続けていると、大まかな操作方法は習得できたようなので、目を開いて現実世界へと戻る。復帰した視界には、虹色に輝く双眸でこちらを覗き込むように見ているユカリの笑顔があった。
「ありがとうユカリ。しかしこう比較してみると、トモエの欺瞞(ぎまん)情報って意外と多かったんだな」
操作法はほぼ理解できたので、礼を言ってユカリの膝から起き上がり、自分のホームポジションに陣取っていたリエを背後から抱く様にして、こたつへ戻る。
例のアクセス禁止領域内の情報を全て格納して、過去にユカリの得ていた情報と比べてみると、細かな点が色々と隠蔽されていたり、解釈がすり替えられたりしていた。結局トモエの言っていたように、AIたちとの関係向上というのが、この惑星の権限認証の判断条件となっており、ナノマシンを適用する事によって認証が通らなくなるというような事実は、まったくなかったのだ。遺伝子改良機能を持たせたような場合は別としても、ナノマシンの適用によって遺伝子情報に齟齬(そご)が発生するなどという事は、通常あり得ないそうだ。
「まったく。トモエは真面目に役目を果たしていたみたいね。数々の偶然もあったけど、そのお陰で晴一とも出会えたわけだし」
「ですわねぇ。そう考えると感慨深いものを感じますわ」
隙間を詰めてきたユカリとランに、左右からぎゅうと挟まれながら、鴨サブレーをもそもそ齧り茶を啜る。そして、リエのちいさな頭を撫でくりして癒しを得ている自分に、毎度の如くユカリは不満そうな顔を向けてきた。
「ユカリはお姉ちゃんなんだから少し我慢するように」
「む。別にそんなんじゃないわよ」
口ではそう否定はするも、ユカリの態度は明らかに不満そうだ。
コンソールの操作に戻ってからも、ユカリは繰り返し肩へ頭をぶつけてくるので、腕をまわして体を引き寄せた。そうすると今度はランの機嫌が悪くなるため、彼女の方にも腕をまわす。
「あ~そうそう。もう暫くしたら、皆をウチの家族に紹介しようと思ってるんだよね」
堤家の人間に紹介すると言った自分の言葉に、皆は軽くざわつく。
中でもユカリとランは無駄に意識をして、まるで考えなくてもいい事を考えているかのように、目を泳がせて落ち着きがなくなった。胡坐の上では鴨サブレーを齧りつつ、リエがふたりの顔を交互に見ている。こたつの向こう側では、サクラが座椅子にもたれ掛かかって口を開けたまま寝こけており、端に座るメイは、ユカリと同じく空中に展開した透過コンソールを操作していた。
落ち着きのなくなったユカリとランの頭を、手のひらでぺしぺしと叩いて
「あーっ! 晴一さんおかえりなさ~い。いつ戻られたんです? お土産は? わたしに会えなくて寂しくなかったですか?」
「なんだよ騒がしいな。あと捲し立て過ぎ。戻ったのはついさっきだし、菓子類だけどお土産も持ってきたよ。もうユカリが走査して情報化してるから食べ放題だ」
部屋に入るなり声をあげた子は、現在この要塞惑星を統括管理しているAIのアイだった。
外見が十四~十五歳程度の彼女は、中々
一見頼り無さげな彼女だが、その能力は高く、統括管理というポジションをそつなくこなしている。また意外な事に努力家で料理なども上手く、非常に頼りになる仲間の一人だが、気の毒なことに場の勢いで適当に付けられた“総務課長”という肩書を持っていたりもする。まあこれは自分の仕業なのだけれど。
「おかえりなさい晴一さん。今回はどのくらい滞在できるんですか?」
「ん~、この後また一旦家に帰って、単身旅行に出る事にしてからまたこっちに来ようと思ってるよ」
この子の名はヨリ。今から約百八十年前、ここへと誘拐されて来た日本人の少女をベースに生み出されたクローン体である。かつて、ユカリの手によって生み出された彼女は、自分がここへやって来た時に初めて出会った人間であり、これまでやって来れたのは、この子の助力によるところが非常に大きい。
ユカリの姉というポジションでもあり、とても面倒見が良いしっかり者の彼女は、AI姉妹たちの長女にも当たる存在だ。ユカリをはじめ、彼女たちの人格プログラムや感情ルーチンに大きな影響を与え、ユカリ自身が進化成長するための最大要因となったのも、このヨリである。
当惑星の台所事情を担う有力者でもあるので、家事全般のスキルが高く、オリジナルの生前は漁村の出という事もあって、特に海鮮料理に対する造詣が深い。その記憶には凄惨な過去を持つものの、小さな外見からは想像できない強靭な精神力を持ち、努力家で思いやりのある優しいお母さんのような子である。
「そうそう。皆には何社かの厨房機器メーカーカタログを持って来たよ。仕事関係の伝手(つて)で取り寄せて貰ったものだから、電子データの方にはない物も載ってるそうだよ」
そう言って収納スペースを展開して、何冊かのカタログを取り出す。装丁は皆背綴じで、表紙はビニールコート。中身はストーンコート紙でフルカラーオフセット印刷という、それは大変コストのかかっている業界配布用カタログである。
「ほう、これは興味深い」
「お宝ホイで御座います」
そういいつつ早速カタログに飛びついた、ヨリやユカリと全く同じ外見を持つふたり組。
チカとムツミという名を持つ彼女たちは、少し前まで、社の運営を行うヨリレプリカ型ガイノイドの仲居ヨリシリーズと同じ存在だった。社内には他に五十体の同型機がいるのだが、このふたりは自分たちの専属として徴用されていたところを、ユカリの新しい試みによってアップグレードを施されることとなった。そこからさらに試験的に改良された、疑似感情サブルーチンプログラムを導入後、面白可笑しく成長して、大変ひょうきんな娘たちへと変わって行ったのだ。
本業が仲居である彼女たちは、人の行動を先読みする能力に長け、いつでも接待対象の要望を見越した完璧な対応を行う事ができる。彼女たちの持つ社システムとリンクされた各機能は、世界の有名ホテルコンシェルジュが、束になってもかなわない程あらゆるニーズに対応ができるそうで、その実力は既に超超女将クラスだろう。多分。
ユカリ曰く、ふたりは予想を遥かに超えた進化を果たしており、疑似的に与えたはずの感情も、現在では真性と判断されるまでに至ってしまったという事だ。それはつまり、新たな生命体であると言っても差し支えないだろう。
「ふたりがこんなに目を輝かせているのは初めて見るな……。喜んでもらえたようでよかったよ」
チカとムツミのふたりは、電話帳のように分厚く重い数冊のカタログを超速度でめくり、食い入るように内容を記録していた。わざわざ文字で読まなくても、このふたりなら
「ところで晴一さん。こちらにはどのくらい滞在されるんですかぁ?」
「おまえそれはさっきヨリが聞いたじゃないか。何で同じことを聞くんだよぅ」
「あれぇ? そうでしたっけ?」
人の話はちゃんと聞いて欲しい。アイはポンコツな表情で会話ログを確認して、「おお」とか言いながら手のひらへポンと拳を打ち付けていた。話ついでに、厨房から出てきた四人へ今まで何をしていたのかと尋ねると、先週できたカフェテリアで提供するための軽食や、甘味の創作などを行って登録する作業をしていたという事だった。
「そっか。俺が向こうへ帰っている間にできてたんだっけ。これは後で行ってみなければいかんな」
「そうそう、カフェテリアからの出前も頼めるわよ。もし欲しいものがあったら、メニューを呼び出して頼んでみるといいわ。オーダーのカスタマイズもできるし」
得意気なユカリが、まるでSNSで見たような呪文めいたドリンクのカスタムプランを、自分へひけらかしている。このところ彼女は、暇さえあればネットサーフィンに明け暮れていているらしいので、自分としては、何かとお子様なユカリんの教育によろしくない気がしていた。いや、それは今更か。
「それとね晴一。私やっと独立できたのよ~」
「え? なにそれ」
腰に手を当てたユカリが、薄い胸を反らせてどや顔をしている。
「ええとですね。この度ユカリがインターフェースボディに完全移行しまして。私との脳機能共有から解放されたんです」
顔の横で可愛く手の平を合わせたヨリが、笑顔でユカリの言葉の真意を教えてくれた。
「ええ!? マジで? 量子脳並の受け皿なのそれ?」
「そうよね~。やっぱり驚くわよね~。トモエが作ったこの体はかなりの規格外性能だったのよ~♪」
嬉しそうにアホ毛を揺らすユカリによれば、トモエが残していったこの体はユカリのために用意された特別仕様だという事で、脳に当たる部分には生体に近似した脳機能が搭載されているのだとか。
いつもどことなく感じていた窮屈感も無くなって、いろいろな事が新鮮に感じるようになったと言う彼女は、とても嬉しそうだ。
「ほうほう。という事は風呂でのぼせることも無くなったんだ」
「それは……。残念ですが……」
ちょっぴり悲し気な表情で、ユカリの向こうに居るヨリが自分のシャツの裾を引く。
「晴一。その話は――」
「ああ。そう……」
規格外とは一体。彼女の面白機能は、ハードが変わっても無事移植されたようだった。
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