皇帝イリア

 大陸歴1658年3月12日・旧国境ズードヴァイフェル川付近


 早朝、モルデンからオットーが帰還した。

 到着早々、私のテントまでやって来て、モルデンで共和国派との会合の内容について報告する。

 私が気になっていた、モルデンの共和国派と公国が裏でつながっている件は、否定された。

 共和国派首領のダニエル・ホルツの元へ派遣したマリア・リヒターにも同様の質問の手紙を渡してある。こちらは結果待ちだが、地理的にもかなり離れている公国とのつながりはやはりないとみて良いかもしれない。

 モルデンでの共和国派の主な指導者は三名。エリアス・コフ、ルイーザ・ハートマン、リアム・クーラ。彼らは、街の帝国軍が減っている状況でも、今回は行動を起こさないと決めているようだ。それの方が良いだろう。

 オットーからの報告が終わると、私はテントを出て出発の準備をするように伝える。


 遊撃部隊は、モルデン郊外の野営地から出発し、次の目的地へ向かう。


 進軍の途中、私はオレガを見つけて近づいた。彼女はソフィアと連れ立って歩いている。

 昨日の夜、考えたことを聞いてみようと思った。


 私は馬上から声を掛けた。

「オレガ、疲れてないか?」

「これぐらい大丈夫です。ありがとうございます」。

 オレガは、いつもの無表情で答える。

 彼女は無表情が常であるため、その本心を見抜くのは少々困難だ。もし、本当に疲れていても『大丈夫』と答えるだろう。彼女の強がりな性格はこの一年、修練などでよく見せつけられた。

 今日は、その言葉を信じよう。


 私は本題に入る。

「ちょっと聞きたいことがあるのだが」。

「何でしょうか?」

「皇帝陛下についてだ。以前、君は陛下と話す機会はあったのだろう?」

「はい。召使いの頃はイリア様のお世話もしておりましたので、その頃は良くお話しさせていただきました」。

「なるほど」。

 私は、うなずいた。

「ところで、陛下は用心深い性格なのだろうか?」

「そうですね」。オレガは少し考えてから答えた。「用心深いところもありますが、どちらかと言うと豪胆な性格だと思います」。

「そうか。ありがとう」。

 私は礼を言う。オレガは、なぜそのような事を聞くのか?と言うような表情をしたように見えたが、すぐにいつもの無表情に戻った。

 私は、彼女の心の中の疑問に答えることにした。

「今回の作戦では、最前線に帝国軍の大軍がいる。我々はその後方で待機することになるのだが、最前線の軍を公国軍がこれを突破できるとは思えない。そのうえで、我々を展開させるのは、用心し過ぎなのではないかと思ったんだ」。

 彼女は、私を見上げて言った。

「たしかにそうですね。誰か他の人の案なのかもしれません」。

「やはり、そう思うか。その誰かが思い当たらなくてね」。

 オレガは少し考えてから言った。

「私も思い当たりません。即位前は、いつも一人でいらっしゃったので」。

 ということは、今回の指令の発案者は、別に居るのだろうか?

 元々、首都にいた司令官のソローキンやキーシンの案とも思えない。彼らも用心深い性格ではないし、噂に聞く戦い方から見て過剰な自信家でもあるようので、公国軍に自分たちの部隊が突破されるなどとは考えたりしないだろう。

 今では、皇帝の側近として親衛隊長のアクーニナがいるが、彼女もどちらかと言えば豪胆な性格だ。そして、彼女が軍事戦略に詳しいという話は聞いたことがない。

 即位後に誰か助言を与える者ができたのだろうか?

 もしそうなら、国を不法に牛耳っていたアーランドソンのような者でなければ良いが。


 そして、もう一点、公国が帝国に侵攻してこようとしているというのも、不自然に感じていた。退役する兵士が多いと言っても、帝国軍はまだまだ公国軍より強大なはずだ。あえて強力な敵に攻撃を仕掛けようとするだろうか?公国が、それほど愚かとも思えない。

 それとも、ルツコイが言っていたように、何者かが手引きしたのだろうか?

 考えがまとまらない。

「ありがとう」

 オレガに礼を言って、私は馬の横腹を蹴り、オレガの元を離れ部隊の先頭へ向かった。


 夕刻、旧国境のズードヴァイフェル川が見えてきた。

 部隊は川を越え、その少し先を野営地と決めた。

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