本物になるために
隅田 天美
諸注意 全てのライトノベルを否定しているわけではありません
『苦しんだり楽しんだりして、その修練を極めたあとの幸福があって、はじめて長続きする。疑ったり信じたりして考え抜き、考え抜いた後に得た知識があって、はじめて本物になる』
この言葉は菜根譚という本に出てくる言葉である。
作者は洪自誠。
今だ謎多き著者にして、未だ影響のある中国古典文学である。
そして、私は「大疑団」(この言葉でよかったか?)を思い出した。
昨年あたりに禅宗の中祖である白隠禅師のお寺に行った。(『暇人の集い 特別編』番外編より)(なお、私は典型的な日本人で十二月二十四日にはチキンを食べ、正月に神社に行き、葬式は寺という人間)
その時、建物に掲げられていた。
『仏を心から信じ、疑い、悩め』という意味合いの一説らしいが詳しくは知らない。
昨今、マルチメディアとインターネットの普及、ゲーム世代の台頭によりライトノベルが台頭している。
その中でもテンプレート作家というのも登場した。
私は基本的に静観している。
ただ、今の風潮やメディア展開などを観て果たして、『読み続けられる』作家がどれだけ出るか疑念がわく。
今回は特にテンプレート作家(「異世界モノ」)に的を絞って書きたい。
「ざまぁ系」「ハーレム」「俺TUEEE!」など様々なジャンルがあるが、彼らに聞きたい。
「空しくないか?」
あらかじめ書いてくが、私は最初から全部オリジナルというのは天才(というのもどうだ?)でもない限りほぼ不可能だ。
だから、真似るのはしょうがない。
でも、オリジナルティが『他人を見下す』というのも何か酷い。(個人の感想です)
「うるせー、おめぇらみたいな文章マニアのせいで小説がつまらなくなった」というのであれば、あなたはどれだけ古典などに触れただろう?
確かに近代の文学では読みにくい、分かりずらい小説というのはある。
正直、誰とは言わないが読むと腹が立つ作家もいる。
でも、読むと読み継がれる理由もわかる。
菜根譚にしろ白隠の書物にしろ、現代人が読めば漢文だし分かりにくいものもある。(白隠さんはたくさんの書物を書きひらがなで書いたものもあるんだけどね)
でも、読めば勇気が出る。
生きようと思う。
では、今の異世界モノ、ライトノベルにその力があるか?
はっきり言おう。
ない。
ただただ欲望の消耗品で目標もなければ目的もない。
禅宗における座禅や問答は命がけのものだ。
中途半端なものは容赦なく師によって打ち砕かれる。
恐怖や不安を面白がれ。
今、悩んで頑張らないで何処で頑張れる?
数年後。
果たして、小説を書き続けている人はどれぐらいいるだろう?
その中で『本物』の作家がどれだけ生まれるだろう?
本物になるために 隅田 天美 @sumida-amami
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