夜の電話
リビングのソファに横になった私は、スマホ画面を見つめながらにやにやしていた。ディスプレイに表示されているのは、文化祭の衣装を着た高梨くんの写真だ。
黒のジャケットの下に派手な柄シャツを着て、短い髪を無理やりオールバックにしている。みんなからは「完璧なチンピラ」「ヤクザの鉄砲玉」と言われて不服そうにしていたけれど、カメラを向けると意外とノリノリでポーズまで決めてくれた。隠し撮りではない、カメラ目線の高梨くんの写真を手に入れたのははじめてだ。宝物にしよう。
つけっぱなしのテレビからは、生放送の音楽番組が流れている。ふと見ると、高梨くんが前に好きだと言っていたロックバンドが登場したところだった。活動はライブ中心で、あまりテレビに出演しないバンドなので珍しいことだ。教えてあげた方がいいかな、と思い、LINEアプリを立ち上げてみる。
――今テレビ見てる? 高梨くんの好きなバンド出てるよ。
突然馴れ馴れしいかな、とも思ったけれど、最近は彼ともかなり仲良くなれたし、このくらいなら許されるだろう。このタイミングを逃したら、バンドの演奏が終わってしまう!
私は勢いをつけて、えいっと送信ボタンをタップした。その瞬間、やっぱりやめといた方がよかったかな……というどうしようもない後悔の念に襲われる。スマホのディスプレイを伏せて、ソファの上でじたばたと悶えた。
と、すぐにスマホが震えてLINEの通知を知らせる。私は慌てて画面をひっくり返すと、震える指でトーク画面を開いた。
――まじで? 今テレビつけた! ありがとう!
高梨くんから返事がきた!
私は頰を緩ませながら、ぺこりとお辞儀をしている犬のスタンプを送る。ものの数秒ですぐに既読がついた。もうちょっとLINE続けたいな、と思って文面を考えていると、驚くべきことに向こうからメッセージが送られてきた。
――浅倉、今何してたん?
私は思わず居住まいを正し、ソファの上に正座した。高梨くんの写真を見てニヤニヤしていました、とは絶対に言えない。私は少し考えて「ゴロゴロしながらテレビ見てた!」と送った。ついでに、ゴロゴロしている犬のスタンプも追加する。
しばらくすると、「そのスタンプかわいいな」というコメントと共に、私が使っているものと同じスタンプが送られてきた。購入してる、と私は思わず吹き出す。
――買ってる! かわいいやろ。私のお気に入りやねん。
――かわいい。ちょっと浅倉に似てる。
――えっ、どこが?
――顔がまるくて目がくりっとしてるとことか。
高梨くんの言葉を見て、私は思わず両手で頰を押さえた。たしかに丸い……丸いけど……。喜んでいいのかどうか微妙なところだ。かわいい、と言われたことだけ覚えておこう。
それからもやりとりは途切れることなく、それほど中身のないメッセージを送り合う。話題は間近に控えた文化祭の話や、来月末に始まるウィンターカップ予選の話だ。ソファに寝そべったまませっせと文章を打ち込んでいると、お母さんが呆れたように声をかけてくる。
「璃子。あんた、早よお風呂入りや」
そう言われて時間を確認すると、もう十一時前だった。時が経つのも忘れて、つい夢中になってしまった。現実の高梨くんとLINEをしていたい気持ちはあるけれど、早く寝て夢でハルくんに会いたい気持ちもある。まったくもって贅沢な悩みだ。
あまり遅くまで付き合わせるのも悪いだろうと思い、私は「ごめん、そろそろお風呂入ってくるね!」と送信した。そのままスマホを持って脱衣所に向かう。彼からの返信を気にしつつも、そのままお風呂に入った。私はスマホをお風呂に持ち込まない派だ。
バスルームから出てきた私は、身体を拭くのもそこそこに、いの一番にスマホを確認する。見ると、十分ほど前に「風呂出た? もう寝る?」というメッセージがきていた。もうやりとりを打ち切る流れだと思っていたので、私は驚いて目を丸くする。
私はバスタオルを首からかけると、全裸のまま「まだ起きてる」と送信した。次の瞬間に、手の中にあるスマホがさっきよりも長く震える。高梨くんからの着信画面が表示されていた。私は慌てて通話ボタンを押すと「も、もしもし!」と叫ぶ。
『あ、いきなりごめん』
耳に押し当てたスマホから、高梨くんの声が聞こえてくる。私はどぎまぎと高鳴る鼓動を押さえつけながら、「どうしたん?」と尋ねる。彼はやや言いにくそうに口ごもった。
『いや、特に用事はないんやけど』
「けど?」
『……浅倉の声聞いてから寝よかな、と思って』
予想外の言葉に、私の胸はときめいた。高梨くん、それってどういうこと? 濡れた髪からポタポタと水滴が落ちて、バスマットの上に落ちる。私は思わず「わ、私も」と口走っていた。
「……私も高梨くんの声聞きたいなあって思ってた……」
ぼそぼそと早口でそう呟くと、高梨くんは『まじ?』とくすぐったそうな笑い声をたてる。くしゃっと目を細める笑顔が目に浮かぶようで、私の口元にも笑みが浮かぶ。
「くしゅんっ」
そのとき、私の口から小さなくしゃみが飛び出した。しまった、恥ずかしい。よくよく考えると、私はまだパンツすら履いていない。まだ九月だしそれほど寒いわけではないけれど、このままだと風邪をひいてしまうかもしれない。
「ごめん、高梨くん。服着てもいい?」
『……は?』
私が言うと、電話の向こうで高梨くんが絶句した。ややあって、慌てたような声が聞こえてくる。
『ちょ、ちょっと待って。浅倉、今どんなカッコしてるん?』
「お、お風呂上がりで服着てへんから……今から着る」
『あ、アホ!』
耳元で怒鳴り声が響いて、私の耳はキーンとなった。私が唖然としていると、高梨くんは怒った声で続ける。
『何考えてんねん! さっさと服着て寝ろ!』
「ご、ごめんなさい……」
口調は怒っているけれど、たぶん私を心配してくれているのだろう。私がもう一度「ごめんね」と繰り返すと、『いや、おれはいいんやけど……』と高梨くんは溜息をついた。
『ほな、もう切るわ』
「うん。おやすみ、高梨くん。また明日」
『……おやすみ、浅倉』
スマホ越しに聞こえる声は、まるで耳元で囁かれているような錯覚を起こさせる。夢の中で甘く優しく囁く彼の声を思い出して、私の頰は熱を持つ。通話を切った後も、全裸のままぼうっと余韻に浸っていたものだから、様子を見に来たお母さんに「あんた、何してんの?」と心配されてしまった。
いつもの夢の中で、私たちはほぼ同時に目を覚ました。ふかふかのベッドの中で、ぱちりと視線がかち合う。
「おはよう、ハルくん」
「……おはよう」
ついさっき「おやすみ」と言い合ったのに、すぐに「おはよう」と言い合ってるなんて変な感じだ。ハルくんは上体を起こすと、私の腕を引いてベッドの上に座らせた。
「璃子、ちょっと」
眉間に皺を寄せた彼の顔を見て、私は慌てて正座をする。理由はよくわからないけれど、なんだか怒っているみたいだ。私はこわごわ「なに?」と尋ねた。
「……男から電話かかってきたときに、その……ハダカで出るのはどうかと思う」
「へ?」
私はきょとんと目を丸くした。ハルくんはガシガシと頭を掻いて、不服そうにこちらを睨んでくる。
「普通ハダカのまま電話出る? もしかしておれ、全然男として意識されてへんの?」
そんなことは全然ない。高梨くんは私にとって男の子以外の何者でもないし、むしろこの上なく意識している。私はぶんぶんと首を振った。
「いや、そんなことないけど……いきなりやったから、とっさに」
「せめて服は着てから出て! 今電話の向こうで好きな女の子がハダカなんやと思ったら、普通の男はエロいことしか考えれんくなるから! 風呂入ってくるって言われた時点でヤバかったのに……」
ハルくんは私の両肩をがしりと掴むと、真剣な表情で諭すように言った。
「璃子。お願いやから、他の男にそんなことせんといてな」
「う、うん。大丈夫……」
そんな心配をしてくれなくても、私はハルくん以外に気軽に電話をするような男友達はいない。私が「気をつける」とこくこく頷くのを確認して、ハルくんは小さく息をついた。
「前から思ってたけど、璃子ってちょっと危機感薄くない? キャンプのときも、水着のまましがみついてきたりとか」
たしかにそんなこともあったけれど、誰にでもそんなことをすると思われるのは心外だ。私はハルくんのシャツの袖を掴むと、上目遣いに睨みつけた。
「そんなこと、ハルくんにしかせーへんもん……」
「せやから、そういうとこ……」
ハルくんはそう言って、私の肩を軽く押した。ベッドの上にごろんと倒れた私にのしかかると、躊躇いなくパジャマのボタンに手をかける。
「きょ、今日もするん……?」
「……璃子のせいでムラムラしてるから、責任とって」
「私のせいって……んっ」
反論はキスで塞がれて、彼の手が私の身体のあちこちを這い回る。ここのところ毎日だ。もしかするとこれも、私の欲求不満の表れなのかもしれないけれど。電話越しの「おやすみ」だけで、胸がときめいて仕方がないのだから。
それでも体育会系の彼に付き合っていたら、文化系の私の体力が持たない。私が耳元で「待って」と囁くと、彼がぴたりと動きを止めて顔を覗き込んできた。
「……あ、あんまり激しくせんといてね……」
私が言うと、ハルくんの喉がごくりと動くのが見て取れた。それから「……やっぱり璃子は危機感が足りひん」とひとりごちる。私がぽかんとしていると、痛いくらいにぎゅうっと強く抱きしめられた。
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