ハンバーガーとラブレター

 高校の最寄りにある駅前のファーストフード店は、お昼どきということもあり混み合っていた。部活や補習の帰りなのだろうか、私たちと同じ制服を着た生徒もいる。賑やかな店内は勉強をするには不向きだろうが、同級生とお喋りをするにはちょうどいい空間だ。


「あ、ラッキー。そこ空いてる」


 高梨くんはそう言って、二階の奥にある四人席にエナメルバッグを置いた。その隣に翔ちゃんも腰を下ろす。私のシャツの袖を引いた鮎川さんは、声をひそめて囁いてきた。


「なあ、浅倉さん。ほんまにわたしら来てよかったん?」

「ぜ、全然いいよ! むしろ鮎川さんにいてほしい……」


 なりゆきで高梨くんと翔ちゃんとお昼ごはんを食べることになった私は、よかったら鮎川さんも一緒に来ないかと声をかけてみた。高梨くんと二人きりでないのなら、三人も四人も一緒だ。それなら、女の子がいた方が絶対にいい。ちなみに四人で連れ立って体育館を出ていくときに、翔ちゃんのファンの子たちからはひややかな視線を向けられてしまった。

 私は高梨くんの正面の席にリュックを置く。私の隣に座った鮎川さんが、「浅倉さんと高梨くん、先に買っておいでよ」と言った。翔ちゃんも特に反対しなかったので、私たちは二人揃って一階のレジに向かった。


「浅倉、なにする?」


 高梨くんが振り向いてそう尋ねてくれる。こうしてるとなんだかデートみたいや、と私はこっそり浮かれた。

 ……あーあ、二人きりやと思ったのになあ。

 高梨くんからごはんに誘われたとき、私は天にも昇る心地だった。幸せすぎて今日死ぬんちゃうかな、と真剣に考えた。私が感極まっていると、高梨くんは非情にも通りかかった翔ちゃんにまで声をかけてしまった。期待させておいてなんて仕打ちだろうか。高梨くんのアホ。うそ、大好き。

 私は少しでもデート気分を味わうべく、高梨くんの隣に並んで一緒にメニュー表を覗き込む。


「ほんまに奢ってくれるん?」

「ええよ。そのために来たんやし」


 私は少し考えた後、ベーコンレタスバーガーとバニラシェイクのSサイズを選んだ。高梨くんはビッグマックのLサイズセットとチキンナゲットを注文する。


「え。浅倉、そんだけで足りるん?」

「うん。足りると思う」

「少食やな……」


 高梨くんはそう言ったけれど、さっきまであれだけ動き回っていた人とはエネルギー消費量が違うのだから、同じ量を食べる方がむしろ問題だ。会計を済ませ、トレイを受け取った高梨くんがスタスタと歩いていく。私はその後ろを彼女気分でついて行った。席に戻ると、高梨くんがトレイをテーブルの上に置いた。


「おまたせー」

「おかえり。わたしらも行ってくるわ。ほら、羽柴くん」

「疲れた。動きたくない。鮎川、俺の分も買うてきて……」

「何言うてんの、一緒に行こ。あ、二人とも先に食べててなー」


 鮎川さんに促され、翔ちゃんは渋々と立ち上がってレジに向かう。おそらく鮎川さんは、私に気を遣ってできるだけ二人きりにしてくれているのだろう。私はバニラシェイクのストローに口をつけながら、ビッグマックの箱を開けている高梨くんをじっと見つめる。こうしているだけで、身体中のそこかしこから「好き」が溢れ出してしまいそうになる。

 今日の高梨くんは、本当に本当にかっこよかった。こんなに素敵な人を好きになった私はなんて見る目があるんだろう、と自画自賛してしまうほどだった。試合を見に来ていた翔ちゃんのファンの子たちも、あの活躍を目の当たりにしたら高梨くんに乗り換えてしまうかもしれない。それはものすごく困る。

 高梨くんがビッグマックにかぶりつく。大きく口を開けると犬歯が覗くのがかわいい。美味しそうにもぐもぐ頬張っているところもかわいい。高梨くんのすべてが愛おしくて、ショーケースに入れて大切に飾っておきたいような気持ちになる。高梨くんは私に視線をやると、ちょっとからかうような口調で言った。


「浅倉、口ちっちゃいからビッグマック食えなさそう」

「そういや、食べたことない……」

「食ってみる?」


 高梨くんが私の目の前にビッグマックを差し出してきた。一生懸命口を開いてみたけれど、どう考えてもバーガーの縦幅よりも私の口の方が小さい。上半分のバンズを齧るので精一杯で、下のパティまで辿り着けなかった。


「やっぱ、口ちっちゃ……」


 高梨くんがそう言って、何かを思い出したように真っ赤になった。私の方も、そういえば今の間接キスだ、と思い至って頬が熱くなる。ごまかすようにバニラシェイクをごくごく飲んだ。甘くてひんやりとしたシェクがどろりと喉を通過して、上がった体温を冷ましてくれる。


「なんでダブチーなん? チーズバーガー二個買った方がコスパええやん」

「肉とチーズは二枚欲しいけど、チーズバーガー二個はいらんねんもん」


 そんなやりとりをしながら、翔ちゃんと鮎川さんが戻ってきた。なんだか気まずくなって、慌ててお互い視線を逸らす。真っ赤になっている私たちを見て、鮎川さんが「あらあら」といったような表情になる。空気の読めない翔ちゃんは、「二人とも顔赤ない? そんなに暑い?」と首を傾げていた。


「そ、そういえば浅倉さん。今日来てくれてありがとうね。なんか心なしか、みんな張り切ってたし。やっぱかわいい女子がいると違うなあ」


 気まずい空気を変えるように、鮎川さんが話題を振ってくれた。私はぶんぶんと両手を振る。


「いや、私なんて全然……! しょ、翔ちゃんのファンの子らとか、みんな美人やし」

「俺のファン?」


 ポテトを咥えた翔ちゃんがきょとんとする。まさかあれだけキャーキャー言われてたのに、気付いてなかったのかな。鮎川さんが呆れたように説明をする。


「ほら、今日も入り口んとこに女の子いっぱい来てたやん。うちのクラスの子もおったやろ」

「そうやったっけ。でも、あいつら全然試合見てへんかったやん。冷やかしで応援来られても正直邪魔やわ」

「ご、ごめんなさい……」


 翔ちゃんの厳しい言葉に、私は反射的に謝ってしまう。不純な動機で試合を見に来たのは私も同じだ。やっぱり迷惑だったのかもしれない。しょんぼりした私を見て、高梨くんが「おまえ、そういうこと言うなや」と翔ちゃんを咎める。


「別に璃子が邪魔とは言うてへんけど」

「おまえの言い方がキツいねん。てか、きっかけはなんでも、バスケに興味持ってもらえるんは嬉しいやん」

「あ、そういや璃子ってなんでバスケ好きになったん? 昔はそうでもなかったやんな?」


 ……翔ちゃんはどうしてこう、何も考えずに絶妙に答えづらい質問を投げかけてくるのだろうか。私はベーコンレタスバーガーの包みを開けながら、どうしたものかと考える。ここにいる高梨くんに恋をしたからです、と馬鹿正直に答えるわけにはいかない。


「えーと、中三の夏に、府立体育館に男バスの試合見に行って……ほら、耀昂付属ようこうふぞくとの試合。覚えてる?」

「え、それっておれらの引退試合やん。浅倉、見に来てたんや」


 高梨くんが驚いたように言った。私は曖昧に「うん」と頷く。ロッカールームの前で号泣していた高梨くんの姿を、私は今でもありありと思い浮かべることができる。当時の彼は、今目の前にいる彼よりも十センチ以上身長が低かった。


「そのときに、バスケって面白いなあって思って」


 一番大事なことを伏せているだけで、嘘はついていない。高梨くんはナゲットを掴んだまま、じっと何かを考え込んでいるようだった。翔ちゃんは興味なさげに「ふーん」と頷いてチキンフィレオを頬張る。別にいいけど、自分から訊いておいてその態度はあんまりだと思う。


「あ。そういやハルト、盆休み暇?」


 ふいに話題を転換させた翔ちゃんが、高梨くんに尋ねた。高梨くんは「暇やけど」と答える。


「町内会のキャンプ行かん?」

「え、翔ちゃんお盆のキャンプ行くの?」


 うちの町内会では、毎年お盆の頃に滋賀県にある宿泊施設にキャンプに行くのだ。私も小学生の頃は毎年行っていたけれど、中学に上がってからは一度も行っていない。


「親が仕事で行けんくなったから、おれが裕樹ゆうき綾葉あやはの面倒みなあかんねん」


 私はなるほどと頷いた。翔ちゃんには歳の離れた双子の弟と妹がいるのだ。面倒臭がりで無愛想な翔ちゃんだけれど弟と妹のことはかわいいらしく、結構きちんとお世話をしている。


「近所に川とかもあるし、結構おもろいで。璃子もおるし、三人で遊ぼうや」


 しれっと勝手なことを言い出す翔ちゃんに、思わずシェイクを吹き出しそうになった。私は慌てて口を挟む。


「ちょっ……ちょっと待って。私、行くつもりなかったんやけど」

「えー、なんでやねん。女子がおらんと、綾葉風呂に入れるときとか困るやろ」


 相変わらず翔ちゃんは人のことを労働力程度にしか思っていない。私がむくれていると、懲りない翔ちゃんは「ほんなら鮎川来る?」と言った。鮎川さんは黙って苦笑いを浮かべている。


「……おれ、行こかなー。盆休み、どうせすることないし」


 高梨くんがポツリと呟いた。そこで私はハッとする。ということは、もし私もキャンプに参加したら、高梨くんとお泊まりできてしまうってこと…? なにそれ、素敵すぎる!


「はい! わ、私も行きます!」


 私は勢いよく挙手をした。勢いがよすぎて、隣の鮎川さんがちょっと吹き出すのが見えた。しまった、今のはかなり露骨だったかもしれない。私は咳払いをして、掲げた右手をすごすごと下ろす。


「あ、鮎川さんも行かへん? 女子一人やと寂しい…」

「え、いいの? じゃあ、面白そうやし行きたい!」


 鮎川さんがニコニコとそう言ってくれた。鮎川さんは高梨くんとも翔ちゃんとも親しげだし、彼女がいてくれるととても心強い。


「川って泳げる? 水着持ってくべき?」

「泳げるで。スイカ冷やして食ったらうまい」


 男子二人のそんなやりとりを聞きながら、私はタンスの奥にしまいこまれた中学時代のスクール水着のことを思い出していた。悲しいことに体型はほとんど変わっていないから着れてしまうだろうけど、そんな姿を高梨くんに見せるわけにはいかない。キャンプに行くまでにかわいい水着を買っておこう、と私は決意した。




 真っ白い部屋の中でハルくんの顔を見た瞬間、私は彼に抱きついていた。ベッドの上で、私がハルくんを押し倒しているような体勢になる。「わっ」と声をあげた彼は、躊躇いがちに私の背中に腕を回した。


「ハルくん、今日ほんまにかっこよかったあ……」


 彼の身体に体重を預けながら、私はうっとりと呟く。本当は今日一日、思い切り抱きつきたいのをずっと我慢していたのだ。笑ってピースサインを向けてくれたときも、梯子から下ろしてくれたときも、私の目の前でビッグマックを食べていたときも、大声で「好き!」と叫んで飛びつきたくて仕方がなかった。

 夢の中では私の理性のブレーキも壊れてしまうので、私は思う存分「すき」と繰り返して彼に頬擦りをした。こんなにかっこいい彼が、夢の中では私の恋人だなんて幸せすぎる。


「璃子、ちょっと……どいて」


 起き上がったハルくんに引き剥がされて、私はむーっと唇を尖らせる。今夜は少しだって離れていたくない。1ミリの隙間もなく、ずっとくっついていたいのに。再びじりじりと近付いていくと、ハルくんはいつもの定位置である膝の上に私を座らせた。いつもは後ろから抱きしめられることが多いけど、今日は座ったまま向かい合うような体勢だ。


「今日ありがと。璃子にいいとこ見せたくて、めちゃめちゃがんばった」


 ハルくんはそう言って、私にキスをしてきた。触れるだけではない深いキスに、私は舌を伸ばして一生懸命に応える。キスの合間にハルくんが私の唇をなぞって、「璃子、やっぱり口ちっちゃい」と笑った。その笑顔に胸がきゅんと高鳴って、今度は私の方から唇を重ねる。


「……なあ璃子」


 ハルくんが優しい手つきで私の頰を撫でる。私はとろんと蕩けそうになりながら「うん?」と訊き返す。


「中学の頃、おれに手紙くれたんって、もしかして璃子?」


 ハルくんに問われて、私は目を見張った。好きだと伝える勇気もないくせに想いが抑えきれなくて、「このあいだの引退試合、かっこよかったです」とだけ書いて、名前も書かずに彼の机に突っ込んだ手紙だ。

 誤魔化そうとも思ったけれど、ハルくんはじっと真剣なまなざしでこちらを見つめている。バレるのは恥ずかしいけど、夢の中だしまあいいか。


「……うん」


 ゆっくりと頷くと、ハルくんの表情がぱっと輝いた。強い力でぎゅうっと抱きしめられて、息が止まりそうになる。「く、苦しい」と背中を叩くと、ハルくんは上機嫌に目を細めながら、私の顔を覗き込んでくる。


「めっちゃ嬉しい。璃子やったらいいなって思ってた」


 ハルくんはそう言うと、私の身体をぽすんとベッドの上に押し倒す。あっと思う暇もなく唇が塞がれて、白い天井を背にしたハルくんが愛おしそうに私の名前を呼んだ。

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