第130話 bound 境界 4

 テーミスの能力ならば、自分がいることも、仲間がいなくなっていることも、何よりトリィアがここにいることにも気づいているはずだ。


 しかしそのテーミスが乗った馬車は、動きを変えることもなく、もうすぐここに帰ってくる。


 ウレイアが馬車の動きを気にしていると、トリィアはそれを察して目つきが変わる。


「もうそろそろ、やって来ますか?」


「ええ、慌てる様子も無くね…さすがに影武者…ということは無いと思うけど」


 ウレイアは立ち上がると祭壇の上に飛び乗って、遥かに高い天井を見上げた。


(ここならばうってつけね)


 そのまま天井をしばらく見回していると、静かに礼拝堂の重いドアが開いた。


「ようこそ…ウレイア姉さん」


 囁くようで、しかし良く通る高い声…白い『天使』、考えてみると『人形』が歩いているのを見るのは初めてだ。


 テーミスは銀白のローブと、そのフードを深々とかぶった姿で現れた。これで整えられた舞台に三人の役者が揃った。他に類を見ない大聖堂にもかかわらず、ポツンと入り口に立つ小さなテーミスの存在感は離れた祭壇の上から見下ろすウレイアからでも息づかいを感じるほどの圧力がある。


「わたしの…姉妹たちを感じないけど…まさか姉さん…?」


 ウレイアの無感情な目がテーミスを見つめる。


「もういないわよ……?でも良かったわね、良かれ悪しかれ3人はあなたを守ろうとしたわよ?」


 テーミスが眉をひそめる。


「かわいそうに…」


 彼女は短い祈りを捧げると、


「姉さんは…〝姉妹たちにやきもちをいだいたのね…そうでしょう?〟なら…仕方ない」


 始まった…テーミスはウレイアの中で自分を肯定させる言葉を紡いでいく。


「でも…わたしの姉妹たちは殺したのに…なぜその娘は生きているの?」


 意外にテーミスがはっきりと心の揺らぎを見せる。初めて出会ったついこの前とは少し印象が変わったように見えた。


 その言葉でトリィアがすっくと立ち上がるのを見てウレイアはぎょっとした。


(トリィア?!あんなに忘れないように言ったのに……?)


「テーミス、あなたはお姉様が私を殺すと思っていたのでしょう?噛みつく飼い犬を処分するように。確かにあなたの思惑通り、私はお姉様に噛みついてしまった………でもねっ、この人はたとえ自分が死んでも、私の牙を笑って受け止めてくれるのっ!」


 そう言ってトリィアがウレイアを見上げた時に、ウレイアは自分の頰に手を当てるフリをして人差し指で耳を3回叩いて見せた。


(ん?……あっ!)


 その仕草を見てようやく思い出したのか、トリィアは慌てて祭壇に身を隠してしゃがみ込んだ。


(んん…でも……)


 !!


 身を潜めたはずのトリィアが今度は祭壇の横に大きく飛び出して全身をテーミスに晒した。


(トリィアっ?)


「わたしが……自分が弱かったのかもしれないっ、けれど、私はあなたのしたことが許せない。でも…それでもね、あなたには感謝するべきこともあるの………」


 ウレイアははらはらと見守っているが、テーミスは首を傾げて、黙って耳を傾けていた。


「今でもそれが何なのか、言葉では説明できない。でもあなたがもたらした傷みの先に、私は何か…この世界の言葉には無い大きな何かに気づいて、それをこの手に掴めた………それは…とても大きくて収める器など無さそうなのにこの手にしっかりと握れるようなもの…私は、それに気づいて確かに握りしめたの……今もっこの手に!」


 その手を自分に突き出して見せるトリィアの話を黙って聞いていたテーミスの表情が、不可解と不快にゆがむ。それでもトリィアはかまわない。


「だからお礼を言っておくね。そして…さようならテーミス」


 トリィアがテーミスに微笑んだ瞬間っ、トリィアが火柱に包まれた!


 ウレイアはつい叫んだっ。


「トリィアっ!」


 しかし、焼き殺されるかと思った途端、トリィアが火柱の中から飛び出してくる。


「あ…っ、つーーいっっっ!」


 そして飛び出した勢いのまま、またしても祭壇の下に収まる。


(あちちいーっ!お姉様に着せられたローブが無かったら危なかったかもーっ?うおーっ?前髪がちょりちょりにーっ!)


 テーミスが明らかに驚いて困惑している。


「ナゼ?…なぜ燃えないの…?」


 ウレイアは得意な顔をした。


「なぜ燃えないかって?あなたがその程度だからよ……?」


「?!…………」


 いや、そんなわけはない。


 実はウレイア達が宿から着込んできたものは、最も重く厚い綿の生地を3枚も重ねて特注したローブで、それにたっぷりと水を吸わせておいたもの…たとえ炎に包まれても、この程度の熱では燃え出す筈もない。


 加えて宿から出る前にウレイアが言い聞かせておいたことがある。


「いい?テーミスと対峙したら常に体を逃す方向を意識しておいて。そして火に巻かれた時はすぐに目を閉じ、息を止めて、火の外に飛び出すことっ。何度も想像しておいてね?」


「はあ、でも…こんな簡単なことで?」


「そうね、簡単ね。でも常に用意しておけることでは無いし、用意できないようなことは考えから除外してしまうのが人間の心理なのよ。そして火の天敵は水、濡れた物をすぐに燃やせるほどの温度はとてもとても高いのよ」


 トリィアは腑に落ちない様子で返事をする。


「はあ…」


「でも、やはり一番大切なのは、今のあなたに『力』の耐性が無くなっていることを悟られないことよ。気づかれれば一瞬で殺されかねないからね?」


「あ、はいっ」


 自分の力が通用しない、その心理を、疑う心をテーミスに植えつけたいのだ。


(それにしてもトリィアったら、わざとテーミスに技を使わせたわね?終わったら叱らないと…)


 でもそれだけでは無かった、トリィアはひと言、テーミスに言ってやりたかったのだ。


「テーミス?あなた少し変わったわね……」


 驚くと同時に悔しそうな顔でトリィアを見ていたテーミスはウレイアの問いに不意を突かれた。


「え?わた…し…?」


「ええ、少し人間らしくなった…今の方がずっと…ステキよ?」


「わたし…が?」


 『人形』が動揺しはじめている。ウレイアのことが気に入っているならば、ウレイア自身が動揺を誘うテーミスの弱点にもなりえる。


「何か心の傷むことでもあったの?口惜しいことがあったの?かわいそうなテーミス…私が抱きしめてあげましょうか?」


「あ……」


 蝋のような顔に赤味が差す。


「でも今、自分の『臭い』を嗅いでごらんなさいな……少し人間臭くなっていない?」


(うおーっお姉様、ひどいっ!)


 テーミスの顔の赤味に黒色が差したかと思うと、ウレイアの周りが一瞬熱くなった。


「あらあ…私は燃やさないの…?私を好きだから?それとも神の祭壇とすぐ後ろにある神の像はさすがに燃やせないから?あなたの信仰心は本物だものねえ……?」


 テーミスの怒りや悲しみが空気を揺らしている。警戒して離れていた距離も徐々に詰まってきた。


「なぜ…?なんで…そんなひどいことを私に言うの?なんで?ウレイア…」


 茶化して逆撫でして、問われることを待っていたその言葉にウレイアは無感情に答えた。


「あなたのことが嫌いだからよ!テーミス?」


「!!!!!っ」


 うつむいたまま、テーミスはかっと目を見開いた。


「ウレイアっ………そこは神の御前よ…〝今すぐに降りてっ!!!〟」


 言葉の圧力に教会の空気が震えたっ!


 感の良い者なら街の外れにいても感じ取っているだろう。おそらく彼女全力の『神言』。


 しかしウレイアはテーミスを見下ろしたまま微動だにしない。


 その様子を見て予想もしていなかったテーミスは、見開いた目でそのままウレイアを見上げた。


「え…?????」


「だから言ったでしょう?あなたの『力』はその程度だって…」


「うそ………」


 そしてウレイアは冷ややかに、『きっかけ』としている言葉を告げた。


 

「テーミスあなた…今までは運が良かったのね?」



「「!!!!っ」」


 次の瞬間っ、猛然たる炎の熱が爆発するように『ウレイア』が圧となって『テーミス』を押し返して空間を支配する!


 トリィアが、テーミスが硬直する。それは2人が経験したことの無い『力』の『気当たり』の暴風であった。


 そして熱を帯びた空気が幾万倍にも重さを増しその場にいる者を押さえつける。たとえそれが『錯覚』のようではあっても2人にとってこの『錯覚』は紛れも無い現実……それはウレイアの資質と尽きぬ探求と160年の弛まぬ錬磨で纏うに至った畏敬を抱かせるほどの『気格』と、相手を打ちのめす『力』である。


(私は長い時間、私の中に棲まうたくさんの自分たちと話しをしてきた……自分の内面を自覚することは、思った以上の恥辱や葛藤、残酷な告白を自身に強いなければならない。しかし、それらのまぎれもない沢山の自分達を理解し受け入れ、交じり合って初めて自分の『かたち』をひとつのものに成した時、嘘偽りの無くなった自分に喜びを感じることができる………そして、知ることができた、その時の自分の限界と、その先にある果てしの無い可能性をっ)


 ウレイアはその可能性をひたすらに育ててきた結果を、存在の全てを曝け出して見せたっ。


 長く時間を共に過ごしてきたトリィアでさえ、全身の震えと鳥肌が収まらない。


(お姉様っ?こっこれはっ?気を抜くとひっぱられるっ!?酔って意識を呑まれてしまうっ。大お姉様の遙か上、です…っ!でも、でも大お姉様の信服を強いる圧倒的な支配者感とは違う…何か敵意でさえ包み込んで溶かしてしまうような暖かさ、しかし恐ろしい……そうかっ!だからお姉様と対峙した者は皆…)


 しかしさすがにテーミスは臆するどころか、両手を祈る様に合わせて欲に染まった笑い顔を見せた。


「ああ…うふふ…やっぱり…っ!」


 チャリ……


 テーミスの言葉に混じって何かが聞こえた。

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