第122話 命約 1
つらそうに眠っているトリィアをしばらく見つめてから、ウレイアはテーミスを葬る準備を始めた。
自らの血に染まった服を脱ぎ捨て、身体の血を水で拭い、既に塞がりかけている傷を確認する。
(ふふ…本当におそろしい)
首を斬られた瞬間を思い出す度に身体中がふるふると震えた。
「ふう……」
ウレイアは息を吐き出すと、キレイな服を身につけた。
そしてトリィアが微かに声を上げる。
「トリィア…?」
「ん、んん…」
苦しそうなうめき声を聞くたびにウレイアの胸は痛む。そしてトリィアはまるで石を飲み込むように喘ぐと、暗闇から抜け出して来たように目を開けた。
「くっ…んんっ!はあ………おねえ…さま……?」
ウレイアの姿を見てほっと微笑んで見せたのもひと時で、すぐにトリィアは目を涙でいっぱいにして飛び跳ねるように体を起こしウレイアにしがみついた。
「よかったっ……お姉様が…ご無事で……っ」
良かった…ほっと胸を撫で下ろしたのはウレイアの方だった。何とかテーミスの影響からは脱したようだった。
ウレイアは少しでもトリィアにのしかかる罪の意識を取り除くために軽口をたたいてみせる。
「当たり前ね?少し死んだフリをしていただけだもの。でも最悪のお披露目になったけれど…ケールの技はすごかったわよ?いい、絶対に忘れてはダメよっ?」
トリィアは震えた指先でまだ治りきらないウレイアの首の傷に触れると、ウレイアの胸に顔を埋めた。
「ごめん…なさい…っごめんなさいお姉様……」
「なにが…?それにね……」
トリィアの頭を撫で、そのまま精一杯包んで囁いた。
「謝る意味なんて無いのよ?私は元々怒ってなどいないし、あなたが悪いことをしたわけでもないし…」
「でも…」
「いいこと?その気持ちを怒りに変えなさいっ。あなたが、あなた自身がテーミスを討つのよ!テーミスに償いをさせなさい、トリィア」
自分の運命と敵に勝つために、最も力を与えてくれるものは強い『怒り』だ。そして怒りは『目的』を浮かび上がらせて、目的は駆け引きと手段を導きだす。澄みきった怒りは自分をおとしめることも無いもので、時として救いにもなるモノだから。
それでも、トリィアは鷲づかみにしていた手から力を抜くと、
「あの…お姉様、水を…いただけませんか?」
「え?ええ、いいわよ。すぐに持ってこさせましょう」
そうは答えたがトリィアを置いて行くつもりは無かった。トリィアはたった今も後悔と絶望の忌まわしい泥沼に沈み続け囚われている。それに、こんなに覚悟を秘めた声を聞かされて気がつかないほど、ウレイアの眼…耳は節穴ではない。だから……
「ねえ、トリィア…あなたに提案があるのだけど?」
「え…?」
「あなたの命を私にちょうだい。そのかわりに…私の命をあなたにあげるから……お互い、何時でも自由にできるのは互いの命だけ…もちろん、誰かに操られているならば当てはまらないけど、これは互いの命が尽きるまで盟約ならぬ命約ね?…どう?」
「え……?」
トリィアは首をかしげた。どのような理由があろうと正気の自分がウレイアを殺したいなどと思うはずがないからだ。そして考えた、大切なことは『自ら命を捨てられないこと』それから『相手が死ぬまでの約束』ということ。
「!」
つまりそれは、『自ら生を放棄したいのなら先ずは私を殺しなさい』そう言っているのだ。ウレイアはトリィアと同じだけの覚悟をこの『命約』に込めた。
「そんなのだめですっ!おねっ……」
今にもとっぷりと呑み込まれてしまいそうだったトリィアが死滅の沼からウレイアを見上げた時……見上げてウレイアの目を覗き込み、彼女の心の内に触れ、そして精一杯に伸ばされたその手を思わず、ただ強く掴んだ……その時
「……………!」
ウレイアの情と赦しは忌まわしい底無し沼からトリィアを軽がると引き上げる……するとトリィアのこころは一瞬で『何か』に満たされあふれ……
こぼれて落ちそうになると瞳を閉じて受け止めようとした…
「あなたにとっては…酷いわがままを言っているのかもしれないけれど……トリィア、死のうなんて考えないで!」
心を満たしてあふれたものが何なのかトリィアには分からなかったが、経験したことのない喜びと安らぎが彼女の魂をやさしく包み込んでいた。
「おねえさまごめんなさいっ……お姉様に教わったものを…いただいたものを…私は汚してしまうところだった」
それでも満たして溢れたものはトリィアの瞳から流れていた。
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