第96話 つながって、つらなって 4
ちょうどその頃、カッシミウのウレイアの家では、セレーネがドアの前でウレイア達の気配が無いのを確認すると、クルグスの方角の空を見上げていた。
(お師さま…姉さん、会いたいなぁ…)
大きくは無いこの町でも、早朝の客を目当てに早々から営業しているパブが一軒はあるものだ。トリィアは朝食を前にして、ふいにカッシミウを遠く見た。
「どうしたの?トリィア」
「いえ、セレーネはどうしてるかなーと」
「メイドでしょ?」
素っ気ないウレイアの言葉に、
「お姉様…まあ、それはそうですけど…」
「目立たないようには言っておいたし、たくさんの課題も置いてきたから、あの子はあの子なりに頑張っているでしょう?」
「一緒に来たがってましたねー」
セレーネのいじらしくもぐっと耐えていた顔が思い出されると、トリィアは切ない表情を浮かべた。
「そばで見せてあげるべきだけど、あの子にはまだ早すぎるわ。でも、心が共にあれば、それでいいんじゃない?」
「ううん…それでも、もやもやしますねー」
「ふふ、どちらの気持ちも分かるでしょう?今のあなたなら」
「分かるだけに…もやもやしてますー」
「そう、もやもやしてちょうだい、トリィア姉さん。それよりも…」
ウレイアにはエルセーの行動は自分のことのように分かる、解ってしまう。
今も時間のズレもなく町に向かって来る見慣れた馬車と手綱を預かるリードの姿が確認できた。そしてウレイアの監視目線からトリィアもエルセーを見つけたようだ。
「おお、いらっしゃいましたね?さすがお姉様、大お姉様の行動予測は漁師さんのお天気予想よりも正確ですね?でも、私の『お姉様予報』も負けてませんよ?」
「くす、そうでしょうね、以心伝心…とでも言うのかしら?」
「そうですよ、私達はいつでも繋がっているんですよ、お姉様っ?そしてエルセー様、お姉様、わたし、セレーネと連なっているんです、一本の絆で。今も何となくセレーネに呼ばれた気がして…」
そう言うと、トリィアはカッシミウの方へ振り返った。
「エルセーも来たことだし、ここでは人の目があるから食べたら宿に戻りましょうか?」
「はーい」
トリィアは食べかけていた朝食を片付けると、店から茶葉を少しとお菓子をたくさん仕入れ、さらに宿からはお湯をもらうと、エルセーを迎える支度が出来上がった。
「私達って本当便利ですよねー?」
「そう、なのかしらね?もう忘れたわ。『急』なことで本当に驚くことはあまり無いものね。でも、それに慣れてしまってはダメよ?」
逆に突然の対処には弱くなりがちなので、常に奇襲などを意識していることが大切になる。身体の硬直や思考の停止も防衛反応ではあるが、敵の攻撃に対しては無力を晒すことなるからだ。
「2人ともお疲れ、エキドナちゃんは捕まえたぁ?」
「うっ」
「えう…」
しかし、この師のプレッシャーは大概は突然である。
「すいません…私の読みが甘かったのか、上手くかわされたのか…」
言い訳の余地は無いと素直にウレイアが謝罪する姿を見せると
「じょっ、冗談よ、冗談。何も連絡が無かったから当然そうだと思っていたし、まだまだ勝負はこれからでしょう?ねえ……」
「あのう、とりあえずお茶をご用意しましたので…」
「まぁまぁ、ありがとうトリィア」
少し気まずくなったのか微妙に視線をそらしながらお茶をすするエルセーに報告することと言えば、ケールの亡霊のことくらいだった。
これに関してはやはりトリィアが、ウレイアにしたように丁寧にエルセーに説明したが、今回はエルセーにも少し衝撃的な内容だった。特にエルセーの師、オネイロの話は。
「あ…」
ケールの亡霊に『会いたい』…エルセーは思わず口に出してしまいそうになるのを自制した。
「そ、そう…お母様が…」
「エルセー…」
「それじゃあ、お母様もこの地を踏んだのね…ならば更に西へ旅立ったのかしら…?」
「ケール様はそこまでは話してくださいませんでした」
トリィアは静かに答えた。
「ああ、ごめんなさいねぇ、トリィアはこの話は聞いていなかったのでしょう?レイにも詳しくは話さなかったし…でも、あの後の話が聞けて嬉しいわ。ありがとうね、トリィア」
「いえ、私が冷静だったらもっとお話を聞けたと思うんですが……」
「いいのよ。…でも驚いたわ、そこまで完全なケールがレイの中に居るなんて。おまけに守護を買って出るなんてねぇ。それは私が死んだ後の役割りなんだけど……」
ウレイアは眉を少し持ち上げるとくすっと笑った。
「私の背中は騒がしくなるばかりなのですね?」
「そうよぉ、だから今のうちに優しくしておきなさい?」
「ふう…分かりました…まあ、目下の守護霊であるケール様もそのうちにまた出て来るような気がします。その時にエルセーがそばに居たら色々と聞いてみてください。なにしろ、ケールの記憶は私にも自由にできないようなので」
もしくは、問題ではあるがせめてウレイアが眠ると必ず顔を出してくれるなら分かりやすいのだが…
「そ、そう?じゃあ、はいっ!すぐに眠ってっ!」
また始まった…。
「は?いえ、それは無茶が過ぎます……でも、そういえば、ケールが登場する前に感じたのは軽い無気力感でしょうか?」
「あらそう、今はどうなの?けっこうやる気が無い感じじゃ無いの?どう?」
「いえ、あの…意地でも眠らせようとしないで下さい。確かに少し疲れてはいますが」
ウレイアとトリィアの間にぐいぐいとエルセーが割って入って来る。
「ほらっ、じゃあ、はいはい、私の膝を貸すからちょっと横になって」
ウレイアの腰が浮きそうになると、トリィアがくっくっと笑いを堪えている。
ウレイアはおもはゆい思いで体制を立て直すと、
「ですから急におっしゃられても…うっ」
そんなウレイアの抵抗もエルセーに強引に引き倒され、さあ眠れ…すぐ眠れ…そんな命令がエルセーの目から聴こえてくる。
「む…」
「む?」
「無理です」
「んまあっ、それはあなたが私にまで心を閉じているからでしょう?さあ、心の壁を取り払って、私の言葉を受け入れなさいっ!」
「エルセー?そう言う問題では無い、こともご存知の上ですよね?」
相手の『言葉』を防ぐのは自分の『力』の塁壁であって、本人の意思で加減はできても取り除くようにできるものではないのだ。
「もう、いいじゃないの!コミュニケーションなんだから。なんでこんなにノリの悪い子に育ってしまったのかしら?この私が育てたというのに…」
大げさに嘆くフリをするエルセーに追い討ちをかける。
「だからじゃないですか?」
「ま!この子は本当に小憎たらしいったらっ、もう末代まで付きまとってあげますよっ!!」
膝枕に乗せられたままグニグニとウレイアの顔が捏ねくり回される。膝の上は逃れようの無いエルセー必中の射程範囲である。
そしてトリィアはさっきからくすくすとこの滑稽劇を楽しんでいるようだが
(甘いわね、トリィア……)
必ず自分の身の上の大変さを思い知ることになるとウレイアは心の中でほくそ笑んだ。
「トリィアちゃん?」
びくっ。
「は、はぇ?」
トリィアは顔をがしっとエルセーに鷲づかみにされると、
「何を他人事のように笑っているのかしら?末代までと言ったでしょう、レイの次はあなたよ!」
「えー?な、にゃんれ、いつもわらひまれ……あう……うにゅ…………これは…よほういじょ、に…………」
『パン屋の刑』がトリィアに移ったところで、ウレイアは素早く体を起こして顔をさすって整えた。
たっぷりと丁寧にこねられたトリィアの顔はふっくらと仕上がって…じつに痛々しい。
「はぁ、はぁ、ちょっと悪ふざけが過ぎましたね…」
「こ、これ…ほどのダメージで悪ふざけなんて…パン屋の刑を侮っていました…か、顔の感覚が…これが本家のパン屋なんですね?でもちょっと癖になるかも…?」
エルセーのスキンシップをものともしないとはトリィアも大したもの、いや、エルセーと趣味が合うだけなのだろうか?ウレイアも嫌…ではないが、こねられている間はただ無心である。
「まあまあまあ、お遊びはこれくらいにしましょう。ケールの件も…また今度にしましょう。それでこの後のことはもう決めているの?」
トリィアのおかげでウレイアも大分助かった。パン屋が仕事を終えたところで、改まって作戦会議が始まった。
「エキドナが様子を伺いに来るのは間違いないと思います。ただ私が思っていた以上に慎重でもっと日を置いてから来るつもりなのか、それとも既に上手いこと抜かれてしまったのか?まあ、他にも可能性はあったのですが……」
「それで?」
「手紙に書かれていたのはボーデヨールの教会ですよね?」
「ええ、そうよ」
「その後も、テーミスの存在を感じるようなこと、あるいは所在を匂わす情報なども無かったのですね?」
「ええ、そうよ」
「…………」
もちろんエルセーは誰かの記憶に残るような目立つ情報収集をすることはないだろう、しかしエルセーの能力と大商人であるマリエスタの情報網に掛からないというのは、実はかなり異常なことである。
これは教会が今までとは異なる筋書きで、故意にテーミスの所在はおろか存在までも隠してきたということだ。
ウレイアにはそれがひどく気持ちが悪かった。
「明日は予定通りにボーデヨールに入って…まずは街を下見したいと思います」
「そう、分かりました。でも気をつけてね…?ボーデヨールは言わばテーミスの懐中になるわよ?」
「まだ無理をするつもりはありませんから。でもその前にエルセー、できれば今夜は一緒にいていただけませんか?」
「え…………?」
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