第58話 バートン通り探偵社 5

 ウレイアは扉の前に立つと音も無く鍵を開けた。


「あそれいります」


 初めはウレイアが先導し、女相手にただ小芝居をしてもらう程度のつもりだったのだが、先に滑り込んだリードの身のこなしは完璧だった。


 足音を消し、スーツの衣擦れの音さえ立てずに素早く動く、彼が相当な手だれであることを再認識する。ウレイアは姿を消して彼の背後に付いた、暗闇の中でリードをサポートするつもりだったが、常に壁と一定の距離を保ち障害物をかわし、罠を警戒している素振りさえ見せる。しばらくその動きを眺めていたいほどだ。


 口伝えで位置を教えた寝室の前に迷わず止まると、扉に耳を近づけて中の様子をうかがっている。


 リードは納得したのか、古い扉を音も無く開いて部屋の中に侵入した。


 手を伸ばせば届く程度にベッドに近づくと、今にも寝つこうとしたしている女に静かに声をかける。


「くれぐれもお静かに…」


「ひぃっ?!」


 声にもならない悲鳴で女は体を起こした。


「夜分に失礼いたします、アフトンさん。私の言うことをよく聞いて下さい、私の剣はあなたが声を上げようとした瞬間に、あなたの声だけを奪うことが出来ます……」


 いつの間にか抜かれた剣が女の前でわずかな光を受けて生々しく光っている。


「ひっ、だれなのっ?」


「それは、申せません。ただ、レインズ氏に貸しのある者の代理でやって参りました」


「!、れ、レインズ?」


「はい」


 リードは言葉は丁寧に、しかし効果的に剣をギラつかせながら話を進める。


「私への依頼は、レインズ氏が信頼を置いていた人物の割り出しと、依頼主にとっては問題となる記録の確認と回収でございます。お分かりですね?」


「い、いいえっっ、何のお話しをされているのか私には……」


「私は依頼を完遂するために夜間はレインズ邸を見張っておりました。あなたを見つけることが出来たのはそのおかげなのですが……まさかあのような思い切った事をされるとは…驚かされましたが、レインズ氏があなたと秘密を共有していたことに確信を得たという訳です」


「…」


「ところで、その枕の下のナイフは例の凶器ですかな?まあ触れぬ方がよろしいと思いますよ。手首から先が無くなることになりますので……」


「!……」


 ナイフの事は事前に教えておいたが、丁寧で執拗な尋問にアフトンはパニック寸前まで追い詰められていた。


「ひ、ぐすっ、ころさ、ないで…」


 無理も無いが遂には泣き出してしまった。


「セラ、落ち着いて下さいミス・セラ。あなたは今、置かれている状況をようやく理解出来たのです。ならばするべき、いえ、あなたが出来る事が分かりますね?記録を渡して下さい」


「ぐす、無かったの…」


「は?」


「見つからなかったの」


「それは、本当ですか?」


「ほんとうなのっ。私言ったの、ぐずっ……そんな事をしていて大丈夫なのか?って。そしたら、『自分が死んだら全て、全て明るみに出る』と言ってあるから大丈夫だって……」


「セラ?落ち着いて思い出して下さい。マロー氏は消息を断つ前にあなたに何かを言いませんでしたか?」


「『すぐに連絡する』からって…でもまだ連絡が無いの、ひっく。もし捕まってたりしたら助けないと、それには彼が残したモノが必要でしょ?だから…」


 アフトンが泣き崩れても尋問のテンションは変わらない。だらりとさげたリードの手にはゆらゆらと剣がぶら下がっている。


「なるほどっ。あなたの話を信じるならば、レインズ氏の記録は存在しないようですね?」


「ええ?」


「そもそも脅迫相手に見せられないものなど用意する意味が無いと思いませんか?つまりハッタリですね。他には、もし捕らえられたのならば、あなたに持って来て欲しいと連絡させると思いませんか?労せずにあなたと記録を同時に始末できるのですから」


「えええ??」


「さて、あなたをどういたしましょう」


「ええええ???お、お願いします。私は何も知りません……!」


「ふむ、そうでしょうね」


「お願いしますぅ」


 リードはわざと長い沈黙を作る。逃げる事も出来ず、アフトンは目の前の悪魔の審判を固唾を飲んで見守った。


「いいでしょう。私も人殺しが趣味というわけでもありませんので」


「は…はああ……ありがとうございますーっ」


「いえ、勘違いはされない方がよろしいですよ?」


「え?」


「たまたまです…運良く私があなたを最初に見つけましたが、あなたを探しているのは私だけではないでしょう。レインズ氏が消えた以上、あなたの価値が上がりましたから」


「そんな…」


「幸いあなたは持つべきものはお持ちの様です。それを持って人生をやり直されては?では、私はこれで…」


 リードは軽く会釈をしてこの場を去ろうとした。


「そんな、あ、あの人は?あの人は一体?」


「私には知り様もありません。では…」


 暗闇に溶け込むように後ずさると、入った時よりも更に素早く出口に向かって動く。


 もちろん出口では一旦停止を守り、外を確認したウレイアが肩を叩くと流れる様に外に飛び出し安全圏まで油断する事なく移動した。


 『去り際に気をつけなさい』


 ウレイアもことある毎に言われた言葉だ。


「素晴らしいわ!」


 ウレイアは思わず声に出してしまった。これまで見てきた人間の中でも飛び抜けた技巧、単純な強さでは計れないものだ。


 もしかしたら自分達の力は他人の能力にも影響を与えることが出来るのだろうか?リードの年齢を考えれば、尚更そんなことを思ってしまうほどだった。


「お役に立てましたでしょうか?久しぶりでしたので少々不安でした」


「いいえ…予想以上でしたよ」


 良いものを見せてもらった、ウレイアは上機嫌で帰路に着く。と同時に彼が敵でなかったことに感謝した。もちろん殺すにはあまりに惜しいと思ったからだ。

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